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第6話

外科室 6
172
2021/07/04 09:00
壮者
これはきびしいね
吉さん
串戯じょうだんじゃあない。あれ見な、やっぱりそれ、手があって、足で立って、着物も羽織もぞろりとお召しで、おんなじような蝙蝠傘こうもりがさで立ってるところは、はばかりながらこれ人間の女だ。しかも女の新造しんぞだ。女の新造に違いはないが、今拝んだのとくらべて、どうだい。まるでもって、くすぶって、なんといっていいかよごれ切っていらあ。あれでもおんなじ女だっさ、へん、聞いてあきれらい
壮者
おやおや、どうした大変なことを謂い出したぜ。しかし全くだよ。私もさ、今まではこう、ちょいとした女を見ると、ついそのなんだ。いっしょに歩くおまえにも、ずいぶん迷惑を懸けたっけが、今のを見てからもうもう胸がすっきりした。なんだかせいせいとする、以来女はふっつりだ
吉さん
それじゃあ生涯しょうがいありつけまいぜ。源吉とやら、みずからは、とあの姫様ひいさまが、言いそうもないからね
壮者
罰があたらあ、あてこともない
吉さん
でも、あなたやあ、ときたらどうする
壮者
正直なところ、わっしはげるよ
吉さん
足下そこもか
壮者
え、君は
吉さん
私も遁げるよ
と目を合わせつ。しばらくことば途絶えたり。
高峰、ちっと歩こうか
 予は高峰とともに立ち上がりて、遠くかの壮佼わかものを離れしとき、高峰はさも感じたる面色おももちにて、
高峰
ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君はお手のものだ、勉強したまえ
 予は画師たるがゆえに動かされぬ。行くこと百歩、あのくすの大樹の鬱蓊うつおうたる下蔭したかげの、やや薄暗きあたりを行く藤色のきぬの端を遠くよりちらとぞ見たる。

 園をずればたけ高く肥えたる馬二頭立ちて、りガラス入りたる馬車に、三個みたり馬丁べっとう休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言ことをも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室あらざるべからざる身なるにもかかわらず、家を納むる夫人なく、しかも渠は学生たりし時代より品行いっそう謹厳にてありしなり。予は多くを謂わざるべし。

 青山の墓地と、谷中やなかの墓地と所こそは変わりたれ、同一おなじ日に前後して相けり。

 語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

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