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第1話

ガトーオペラと幸せな時間
常連客
常連客
久留ひさどめさん、ありがとう。
また来るね
久留 柑奈
久留 柑奈
こちらこそ、ありがとうございました。
またお越し下さいませ!

私は大学二年になったこの春から、ここ洋菓子店パティスリー・【ミラージュ】でアルバイトをしている。


仕事にはもう随分と慣れて、今では常連さんに名前を覚えてもらえるようになった。
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
柑奈かんなさん、今のお客さんで最後?
久留 柑奈
久留 柑奈
はい、店長! 入り口、閉めますね
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
よろしく

幼い頃から甘いものが大好きな私は、今日に至るまで、たくさんのスイーツを食べてきた。


大学生になり、この店のアルバイトに応募して、店長のケーキを初めて食べた時。


〝ほっぺたが落ちそう〟なんて、簡単な一言では言い表せないくらいの衝撃が走った。


ミラージュの店長であり、パティシエである栗栖くりす柊伍しゅうごさんは、洋菓子業界で注目されている若手パティシエ。


二十三歳という若さで、国内の洋菓子コンクール優勝。


その後、世界の洋菓子コンクールでも上位入賞を果たし、二十六歳でこのミラージュを出店した。


彼が作ったスイーツは、見た目のかわいさや美しさはさることながら、甘さも食感も香りも、全てが今までで一番だった。


私がこの店のアルバイトに興味を持ったのも、休憩中のまかないで、店長の作ったスイーツが食べられるからだ。
久留 柑奈
久留 柑奈
ふう……。
今日で、年内の営業は終わりですね
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
うん、お疲れさま
久留 柑奈
久留 柑奈
クリスマスが終わってもお客さんが減らないのって、店長のスイーツが大人気って証明ですよね
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
ありがとう。
期待を裏切らないように、これからも頑張るよ

クリスマスシーズンは、予約を開始したケーキ類が、一日で限定数に達して完売。


すると今度は、二十四日と二十五日に、お客さんが外に列を成すほど殺到した。


オープン以来、それほど絶大な人気を誇っている。
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
ということで、柑奈さん、この後時間ある?
久留 柑奈
久留 柑奈
はい。
あっ、試食ですか?
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
そう。
二月七日からバレンタインデーまでの期間限定で出す、ガトーオペラなんだけど……
久留 柑奈
久留 柑奈
食べます! ぜひ!

店長は照れくさそうに笑い、端整な顔を少しだけ崩す。
久留 柑奈
久留 柑奈
(いや、これは崩したとは言えないか……)

穏やかで優しい性格だし、アルバイトの私にすら丁寧に接するし、絵本の中から飛び出してきた王子様のような人。
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
普段店に出してるのとデザインはもちろん違うけれど、甘さを抑えてあるんだ
久留 柑奈
久留 柑奈
わぁ……! 見るからに美味しそう……

閉店業務を終えると、店長が休憩室に試作品のガトーオペラを持ってきてくれた。


ガトーオペラは、フランス発祥のチョコレートケーキだ。
飴谷 慧斗
飴谷 慧斗
甘いものが苦手な人でも、せっかくのバレンタインデーくらいは、食べられるようにってことですか?
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
そう、正解

店長に質問しながら私の前に座ったのが、私と同じく二十歳で、アルバイトの飴谷あめたに慧斗けいとくん。


彼はパティシエを目指して、洋菓子技術の専門学校に通っている。


この店では、パティシエの勉強も兼ねてアルバイトをしているけれど、資格を持たないのでまだ菓子作りには参加できない。


だから、試食の機会は彼にとって勉強の場でもあるのだ。
伊豆 純弥
伊豆 純弥
せっかくだから、アッサムティーをどうぞ
久留 柑奈
久留 柑奈
やった! ありがとうございます!
伊豆 純弥
伊豆 純弥
飲み物も合わせたほうが、絶対美味しいから

この店のバリスタ・伊豆いず純弥じゅんやさんが、ティーポットに紅茶を入れて持ってきてくれた。


二十四歳で、才能のあるバリスタなのに、紅茶マイスターの資格も持っているという、店長にも負けないくらい万能な人。


店長とは、海外での修行中に出会ったらしい。


先に日本で就職していた純弥さんを、店長が「日本でパティスリーを開くから、バリスタとして併設のカフェを担当してくれないか」と誘ったところ、快諾したと聞いた。


見た目はちょっとチャラいけれど、格好いいし、仕事もできるし、頼れるお兄さんだ。




全てが整ったところで、ケーキにフォークを通して、一口食べる。
久留 柑奈
久留 柑奈
ん~! 美味しい……。
コーヒーシロップ自体の甘さを抑えてあるんですね。
チョコもビターですか?
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
うん。
意見があれば、何でも言って?
久留 柑奈
久留 柑奈
見た目はこのままでも十分ですけど。
ハート型の飾りとかあると、特別感があって女性は嬉しいかもです
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
なるほど……! 日本の女性が好きそうだね

店長は、忘れないうちにメモをとっている。


一流のパティシエなのに、私たち全員が頷かないと、新商品を店に出さないことにしているのだ。


素人の私が混ざっているのは、『一般的な客の目線』が欲しいからとのこと。
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
飴谷くんは?
飴谷 慧斗
飴谷 慧斗
……オレなんかがおこがましいですけど、バターとガナッシュのバランスをもっと調整した方がいいかと
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
そこは僕も課題かなと思ってて。
まだ甘さが強いよね。
純弥はどう?
伊豆 純弥
伊豆 純弥
俺は好きだけどな。
ふたりの方が舌が肥えてる
栗栖 柊伍
栗栖 柊伍
あはは。
純弥はいつも褒めてくれるから、嬉しいよ。
改良して、年明けまでには完成させるね

それぞれが感想を述べた後で、全員が試作品を完食した。


純弥さんが入れてくれた紅茶も、チョコレートの味をしっかりと引き立たせつつ、ほっと落ち着かせてくれる。


この時間が、本当に幸せだ。
飴谷 慧斗
飴谷 慧斗
柑奈
久留 柑奈
久留 柑奈
ん?
飴谷 慧斗
飴谷 慧斗
い……一月四日って空いてる?

食器を片付けようとすると、珍しく慧斗くんの方から話しかけてきた。


【第2話につづく】