第15話

第三章 聖、宵、苦悩、苦闘 第一話
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2022/06/18 00:20
 中学受験は高校受験よりもはるかに難しい、とその時の塾講師に言われた記憶がある。それは私の心に残り続けており、階段から落っこちて記憶喪失になっても絶対に忘れない自信がある。けれどその頃の私を思い出すたびに口の中に苦みが広がる。この言葉は忘れたい、忘れたらこの苦みから解放されるから。

「アネキ、ここ教えろー」
 机に向き合いながら、私の隣に座っている妹、和香わかに横腹を突かれる。
「やだよ、どうせ相似でしょ? さっきからほとんどの問題私に聞いてるし」
 塾の宿題らしい、算数の問題を解いている和香に、私はずっと付きっきりで教えている。まだ簡単な問題なのに、何故躓くのだろう。
「図形苦手だし! 相似は特に嫌いだし!」
「あーあーうるさいなあ...。」
「ピラミッド型も砂時計型もないもん!」
「よく見てみればこれあるじゃん...」
 そんなやりとりを交わす。
 和香は今年の中学受験生で、私が落ちた学校が第一志望と言う。私は和香の勉強を見るたびに、胸が痛み、苦みが広がる。正直なところ和香に受かってほしいとは思わない。勿論落ちろとは思わないけれど。言われた最低限のことしかやらないようにしている。
「あっ、こんなところに砂時計型がある!」
 今更そんなことに気が付いたらしい。なのに満足そうな顔をする。
「馬鹿だなぁ」
「いや、落ちたアネキに言われたくないしー!」
「......」
「あ、ごめん」
 私が本気で睨んだことに気づいた和香は、すぐに謝罪の言葉を口にする。そして気まずい空気が流れる。
 相似。
 形、つまり角度は同じで、大きさ、つまり辺の長さが違う図形。
 私も図形は苦手だった。だからたくさん勉強した。全体的に復習したが、過去問にもよく出てきていたから相似を重点的に勉強した。
 そして実際に入試に出てきたのは、あまり勉強していなかった特殊算だった。
 ツイていない。一番に思ったのはそれだった。
 あの時もっと特殊算を勉強していたら、こんなことにはならなかった。
 理系でなく文系でも、重点的に勉強したところはほとんど出ず、結局いい点は取れずに終わった。
 そして結果はこの通り。
 ツイていない。持ってない。
 全部を運のせいにした。
 スローで瞬きをする。そんなに様になるものじゃない。
 私は、身勝手なのだ。
「お姉、マ●カしようよ」
 空気を読まずにゲームの誘いをしに来たのは、妹──三女の英莉えいりだった。小学四年生、まだ余裕がある年齢だ。だからぐうたらゲームばかりしているのだ。
「今どう考えても無理でしょうが」
「んえーそんなつまんない勉強に付き合うなんて、時間の無駄だよ」
「あたしにとっては重大な問題なんですけど、アネキ、教えろ」
「それが教えてもらう側の態度なのか...」
 呆れる。けれど決して悪い気はしない。
 私の苦悩を、一瞬だけだが確かに忘れさせてくれた。
「えーじゃあ私一人で大人しくCPと走っとこ」
「そうしてくれ...」
 こうしてまた、いつも通りの日常が動き出す。
 苦い思い出なんて、何もかも忘れたふりをして。

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