わからない、
私にはわからない。
私の目の前で、悪意を撒き散らしたあの子達は、言葉が使えることを喜んでいる。
どうして?
言葉が使えることを喜ぶ事は、悪いことでは無いはずだ。
確かにあの子たちは、仲の良い子たちとまた意思疎通が出来ることを心の底から嬉しく思っている、ように見える。
側にいるのに話せない。目を合わせて口を開いても、目を伏せてそっぽを向いてしまう。
そんな焦ったい時間は、苦痛だったのだろうから。
だからこそ、糸山首相が紙面上だけでも非力な私たちに言葉を許してくれたこと、それは、あの子達には楽しい毎日のリスタートなのだろうし、それは私にとっても同じはずだった。
だから、純粋に喜ぶあの子達はなにも、わるく、ない、はず。
例えあの子達が、言葉が使えない苦痛の腹いせに私を選んだとしても。
それでもあの子達は言葉が使えなかった悲しい人たちだ。
だから、あの子達は、わるくない、と。
あの子達も不公平な毎日を生きてきた、救われるべき人間で。
あの子達は完全なる被害者で
だから何も悪くない、と。
糸山首相は、そう思ったのだろうか。
じゃあ、私は?
言葉が使えなくなってからは暴力に全振りされた。
服も破かれた、水だってかけられた。
机に書かれた薄汚れた言葉は、言葉が使えない事により普通の木の色に同化した。
あの子達が私を認識すると同時に放つ悪意の塊は、「汚い言葉も買えば、いじめは全てなくなる」という自称善人の考えで言葉が買われたことにより、誰も私に投げつけなくなった。
言葉による誹謗中傷は無かった代わりに、漫画やアニメでしか見たことない古典的ないじめばかり受け続けた。
その全ての目線は、悪意に満ちていたし、言葉なんて使わなくてもその目が「死ね」を意味していることくらい、わかっていた。
言葉が使えないことは私にとっては、
大きな救いだった。
なのに。
“ じゃあ、私は? ”
じゃあ、私は。
私は、救われなくても良い人間だと、私のことを左程知らない大人たちもそう言うつもりなのか。
……あーあ、最悪だよこんな世界。さっさと消えちまえ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。