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第1話

目覚めよ
何日分かの着替えの服を
バックパックにぎゅうぎゅうと詰め込んでいた。

するとスマホからとある着信メロディが流れた。

ヨハン・セバスティアン・バッハによるカンタータ。第140番。
『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』。

この着信音に該当する人物を思い描きながら、
スマホの画面をタップして通話状態にする。

「もしもし?」

「おはよー杉浦」

すると、聞こえてくるのは、
間延びして気の緩みそうになる、
けど、俺が聞きたかった声。

「ん。おはよ。里村。何?」

言っていて自分が嫌になる。
どうして俺は、
こんなつっけんどんな言い方しかできないのか。
分かりゃ苦労はしないのに。

「ふふ」

ここで、なんでもないと言う風に笑ってくれるのが
こいつのいいところだ。

勝手な俺の主観だけど。

そして、その些細な笑い声も
心地好く俺の中に響いてくる。

「‥‥‥‥でさ手術受けるか決めた?」

‥‥‥‥‥直球、ストレート。

変に気遣われるよりはいいけど。
こいつはさっぱりとした性格で付き合いやすい。

「まだ迷っててさ‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥」

少しの沈黙。
俺の返事を聞いて、
何思っただろう?何考えただろう?

「‥‥‥‥‥‥そっか」

ただ、事実を受け止めるだけの言葉。

同情も心配も何もない。
そうなんだね、と受け入れてくれている。

「正直さ、失敗したらってそう思うと怖くて
踏ん切りつかないんだ」

「うん」

誰かに話してしまわないと、
もう俺がどうにかなってしまいそうだ。

手術しなくちゃいけないのが、
腕とか足とかなら、なんの問題もない。

ただ俺の場合、それが目だってこと。

もともと見えない人間は、
生まれた瞬間からそれで生きてきた。

だけど俺はどうだろうか?

今まで見えていたものが、
唐突に滲んで、霞んで、ぼやけて、
しまいには見えなくなるんだから。

そっちの方がよっぽど怖い。

光が失われて、色もなくなって、
もう何も認識できなくなる。

なんで俺なんだよっていう思いと、
大切な誰かじゃなくてよかったっていう思いが、
交錯して渦巻いてぐちゃぐちゃになっていく。

まともに歩くのも難しいし、
細かい文字の羅列、小説やテストなんかが、
全く読めない。

くねくねして目を細めないといけない。

そして細めてもほとんど読み取れない。

ストレスがたまって、
家の中は受験かってくらいピリピリしてる。

「当事者の杉浦にしかわからないものなんだろうね。私には推測しかできないもの」

そういったことをあらかた話してしまうと、
なんかスッキリした。

「推測しかできないけど、一つだけ、話をさせて」

「うん」

どんな話なのか。

想像がつかないけど、
俺のために話してくれることは確かだ。
優しく微笑んでいるのが目に浮かぶ。

「私の母方の祖父。
敏三おじいちゃんは、
私の母が幼い頃に死んでしまったんだ。
若くして癌を患ってたんだって。
昭和の時代の医学や医療機関なんて、
今に比べて稚拙もいいところだもの。
手術したり薬を投与したりして
寿命を延ばすなんて事ができないんだ。
そしておじいちゃんは
病に抗うことすらできずに亡くなった」

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

「今の杉浦は、とても贅沢なんだ。
選択肢があるんだもの。
昔は技術も何もないようなもので、
一度病にかかってしまえば、
助かるかもしれない、治るかもしれないなんて、
そんな見込みはなかった。
昔だから治せなかった。
けど、現代なら治せるかもしれない。
そんな一か八かでも、確固たるものでなくとも、
治せるかもしれないチャンスがあるのなら、
それを使わない手はない。
せっかくのチャンスを棒にふってほしくない。
私は、そう思うんだ」

「!」

「せいいっぱい抗っての結果が、
思わしくなかったなら、
私達友達がそれを一緒に乗り越えるよ。
杉浦のことを、支える。
‥‥‥‥‥‥‥ただ、怖いからってだけで、
このチャンスを棒にふって最終的に失明したとして
それはせいいっぱい抗おうとしていないもの。
あまりサポートできるものじゃないから」

「‥‥‥‥‥そうだな」

「私は当事者じゃないから簡単に言ったけど、
癪に障ったらごめんね」

「辛口だけど言ってることは最もだよ」

「うん。でもそのくらい手術を受けてほしい。
後になって悔やんでる姿を見たくないから」

「あぁ。ありがとな。
話聞いてもらって助かったし
おじいさんのこと話してくれて、いろいろ考えた。
スゲー贅沢な悩み事だったんだなって」

「そうだよ。けど、自分に置き換えて考えると
やっぱり凄く怖いね。決心つかない。
でも最終的には絶対手術を受けるよ。私なら」

ゆっくりと噛み締めるように、しかし、強い意志のこもった言葉が印象的だった。

「そうか」

「うん」

「ふふ、なんか元気もらった。サンキュな」

「どういたしまして」

「じゃな」

「うん。バイバイ」

お互いにそう言い合って通話を切る。

実話を語り、
考えさせて気付かせて、
身をもって強く感じてもらう。

そういう話術。

まんまとこれに引っかかったわけだが、
悪い気はしない。

他の誰でもない、
俺のために、聞かせてくれたものだから。

「‥‥‥‥‥‥よし」

手術、受けよう。