しばらく走ったところで、日和先輩に手を引っ張られた。
走っていた足を止めれば、日和先輩が一つの乗り物を指さす。
日和先輩が指さしたのは観覧車。デートでは一番の定番。
そうだ! あれに乗らなきゃデートって締まらないイメージ!
あんな出来事があったのに、日和先輩はいつもと変わらなかった。
笑顔で私の手を引いて、観覧車へと向かう。
乗り込んだ観覧車は、ゆっくりと登っていった。
少しだけ小さな声に、私は振り向いた。
日和先輩の元気がないように見える。
きっと、さっきのことでも考えてるのかな。
今まで話には聞いてたけど、日和先輩の周りにはああいう女の人ってたくさんいるのかな……。
零先輩もなんだか訳ありみたいだったし、イケメンはイケメンなりに大変そう……。
少しだけ泣きそうに笑った先輩の顔。
初めて見たその顔は、今まで見たどの表情よりも人間味があって、どこか可愛く思えた。
イケメンは何をしても似合ってしまう。
似合ってしまうからなんだか現実味がなくて、まるでドラマを見てるみたいに思ってしまうんだよね……。
『恋人はもうつくらない』と話していた零先輩。
そのことを思わず口にすると、日和先輩は首を横に振った。
見た目だけじゃなく、本当の零先輩を見てくれる恋人がいなかったのかもしれない。
信じてた恋人に裏切られた傷って、きっと、相当深いよね……。
恋愛自体が嫌いになっても不思議じゃないのに、なんで部活なんて立ち上げたんだろう。
そう聞こうとした私の手を、日和先輩がつかんだ。
さっきまでの表情じゃなくて、どこか拗ねたような顔。
そう言った日和先輩は、身を乗り出してこちらに近付いてくる。
前髪を避けられ、おでこに柔らかいものが当たった。
それが日和先輩の唇だなんてことはすぐにわかる。
でこちゅーをしてきた日和先輩は、いたずらが成功した子供の様に笑っていた。
先輩の言う通り、観覧車はちょうどてっぺんを通過するところだった。
デート実習は多少の問題が発生したけど無事終わった。
勉強にもなったし、素直に楽しかった。
なのに、あの拗ねたような日和先輩の顔が頭から離れてくれない
突然目の前に日和先輩の顔が現れて、思わず立ち上がってしまう。
心配そうな零先輩と清香先輩の視線を受けて、我に返る。
そうだ、今は部活動中だった。
慌てて座りなおして、続けて下さいと手で促す。
怪訝そうな顔をした零先輩は、それでも話を続けてくれた。
零先輩の声を聞きながら、隣にいる日和先輩の顔を盗み見る。
ニコニコと零先輩の話を聞いていて、時折コントのような会話を繰り広げる。
そのどれもが楽しそうで、やっぱり穏やかだ……。
思わずそっとおでこに触れる。
あの柔らかい感じ、すっごく鮮明に残ってるのに……。
心配そうな日和先輩に顔を覗き込まれ、思わず身を引いてしまった。
微かに動いた日和先輩に、思わず身構える。
今、……今触られてしまったら、ちょ、ちょっと怖いかも……!
でもいくら待てど、日和先輩からのスキンシップはなかった。
おでこに触られたりとか、あると思ったのに……。
もしかして、「付き合ってない女性に触るのはアウト」っていうのを守ってるのかな?
今まで散々スキンシップしてきた癖に……?
立ち上がった清香先輩に荷物を持たされ、半強制的に部室から出される。
部室でひらひらと手を振る日和先輩は、いつも通りだった。
帰り道、隣を歩く清香先輩から急に声をかけられた。
デートは凄く楽しかった。
でも、その「楽しかった」を直接日和先輩には言えてない。
このままじゃいけないことは分かってる。
失礼な態度をとり続けてることだって分かってる。でも、いざ先輩の前になると、うまく話せなくなっちゃう。
こんなに落ち込んだの、久しぶりかも……。
そっと寄り添ってくれた清香先輩の声は、すっごく優しい。
そう言って頭を撫でてくれた清香先輩の手は、お母さんみたいに温かかった。
何が何だかわからないこの感情は、怖くてたまらない。
私が私でなくなっちゃうみたいでどうしていいかわからない。
だけど……。
いつかこの感情がわかるときまで、私は絶対に逃げない。
だって、ここで逃げたら恋愛マスターも遠のいちゃう気がする!
ちゃんと向き合おう。それで、ちゃんと日和先輩に「楽しかったです」って、伝えなきゃ!
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。