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第1話

episode 1
1,013
2018/03/20 08:25



「湊さん。また新しいお花生けておくね」

「おう、頼むよハル」


" イケミヤ ハル "

私はこの病室にいる時だけ、イケミヤハルになる。顔も姿も知らない、誰かに。

事の始まりは、1ヶ月前。








「青葉先生が交通事故に…!」
「意識が戻らないらしい。もしかしたら記憶が…」

突然耳に飛び込んできた言葉。今すぐにでも先生に会いに行きたかったのに、ましてや担任でもない先生のお見舞いになんて行けなかった。

私が先生に会えたのは、その話を聞いてから2週間後のこと。先生の意識が戻ったと聞いて居ても立っても居られず、誰にも言わないで一人、先生の病室を訪ねた。




「あの、失礼します…○○高校2年の白石千佳(シライシ チカ)で…」



そう言って病室の扉を開いた瞬間だった。先生は私の顔を見るなり「ハル!」と叫んだ。



「ハル……!なんでここに……!?」



そこには、先生の見たことのない表情。
真っ直ぐ瞳を射抜かれて、私は息をするのも忘れていた。



「ハル、会いたかったよ…ハル…!」



今すぐにでもベッドから飛び起きて私を抱きしめに来るような勢い。でも、きっとお医者さんから安静にしなさい、と言われたのだろう。青葉先生はベッドの上で、静かに力強く拳を握っていた。

そんな先生の姿を見て、思わず私は「湊、さん…」と声を漏らしていた。


憧れだった先生に、こんなにも求められているこの感覚が、嬉しくて。
先生の記憶の中に、自分がいなくてもいい。私はどこの誰かも分からない " ハル " に今だけでも成りきろう。周りから見たら変に思われそうだけど、先生にもっと近づくためにはこの方法しかないんだ。


でも、他人に成りきるなんて出来っこない。すぐにこんな事終わるだろう。そう思っていた。
だけど案外誰にも気づかれなかった。先生の記憶も戻る気配がない。
そしてバレる不安や恐怖より、病室に伺う度に先生が愛おしそうに私の顔を見て「ハル」と呼んでくれる満足感の方が勝り始めた。


どうか、他の人にこの事がばれませんように。
そしてどうか……先生の記憶が戻りませように。


ごめんなさい。こんな事思うなんて、どうかしてる。でも今だけは、偽りで構わないから、先生の愛を感じていたかった。



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