第26話

ガラスの棺を割ったのは
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2020/03/24 14:39
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ずっと悪い夢を見ていた気がする
辛くて、苦しくて、痛くて、たくさん我慢しなくちゃいけなくて。



どうしてそんなことをしていたんだろう。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
今は毎日、足りないものなんてほとんどない
朝は寝ぼけ眼を擦りながら皐月ねえの作ってくれたフレンチトーストを食べて、



お昼休みには動画サイトにアップされたアイドルの MV について盛り上がり、



放課後にはカフェでだべって、季節限定のフラペチーノを飲んで、



夜には今日撮った写真を眺めながら、スマホをいじって眠りにつく。



嬉しくて、心地よくて、幸せな毎日。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
でも
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あの席にはいつも誰もいない
放課後、なぜだか気分がのらなくて、私は美空の誘いを断った。



美空は少しさみしそうだったが、バイバイと手を振って下駄箱で別れた。
誰もいなくなったグラウンドで、誰かがいたはずの窓辺を見上げる。



九井原 夕莉
九井原 夕莉
どうして……あの席のことが気になるんだろう
充足しているはずの日常で、ぽっかりと空いた穴みたいだった。



無くしてしまったパズルのピースのように、絵柄が揃わない違和感が募る。



美空と話している時や授業中、ふとあの席に視線が移っていることがある。



誰かがいたような気がしても、思い出せない。



ただ心臓の音が少し速くなって、胸がきゅっと縮まってささやかな息苦しさを覚える。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
思い出したいのに、思い出したくない
九井原 夕莉
九井原 夕莉
何か、大切なことのような気がするのに
九井原 夕莉
九井原 夕莉
でも……
思い出そうとする度に息が詰まって、喉が絞められているような心地がする。



息が止まって、鼻奥が詰まり、骨がきしんで、首筋が生命の危機に警鐘を鳴らしてドクドクと速く脈打つ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
もう二度と味わいたくない……
夕暮れが私の影を長く伸ばしていた。そろそろ帰ろうと、校門に向かって歩き出した時だった。











夕莉









誰かが私の名前を呼んだ気がした。
一陣の風が、私の髪をさらって頬を撫でる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……ずっと、私を呼んでたの?
私は振り返り、窓辺の席に戻るため校舎に向かって走り出した。



靴を脱ぐのも忘れて、声の聞こえる方に駆けていく。
……り
胸の奥にまで響く、大好きな人の声。



この声を聞くと、いつも温かくて。
誰か一人のためだけの特別な感情があるのだと知った。
ゆ……うり
これだけは、忘れたくなかったはずなのに。



守りたかったはずなのに。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
私は――どうして
九井原 夕莉
九井原 夕莉
思い出せなかったんだろう
本当に辛かった。



首筋に残った痛みはいつまでも消えなくて、私の心を蝕んで。



でも、でもーー






九井原 夕莉
九井原 夕莉
上嶋くんは、ずっと私を捜してる
行かなきゃ、あの教室へ。



彼の声が、はっきりと聞こえてくるーー
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉!
教室の前に辿り着いて、私は扉を開け放つ。



扉の先の眩しい光に目を細める。あの空白の席は、彼の席は、夕日が重なって赤い光に包まれていた。



私は赤く燃えるような光に向かって飛び込む。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
上嶋くん!
手を伸ばすと指先から温かい光に包まれた――





九井原 夕莉
九井原 夕莉
私も――君を










































まるで鏡を割ったときのような音が響いて、私は光の中に飛び込んだ。








































◆◆◆◆



瞼を開くと、私は透明なガラスケースに横たわっていた。


ケースは割れ、体の周りには透明な破片が散らばっている。



目の前にいたのはーー
三好 修悟
三好 修悟
夕莉、大丈夫か?
久しぶりに見た栗色の瞳は、心配そうに私を覗き込んでいた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好……先輩

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