第3話
さよなら、放課後のあった日々
帰り道、夕暮れ空はほとんど夜色に侵食されていた。街灯や家の明かりがぽつり、ぽつりと灯っていく。
あの銃は佐那城先生に上嶋くんに渡してほしいと頼まれたものだったので、そのまま上嶋くんに預けた。
上嶋くんが当たり前のように言ってくれたのが心強かった。
帰り道はずっと手を繋いで、他愛もない会話を交わす。
いたずらっぽく瞳を輝かせて楽しそうに笑う上嶋くんと、恥ずかしくて頬を膨らませながら彼を小突く私。
まるで放課後の帰り道みたいで、久しぶりに日常の一部に戻ったような気がした。
マンションの前に着くと、腕を組んで塀に寄りかかっている佐那城先生がいた。
佐那城先生は、あの事件以来私達に協力してくれている。本人は「罪を償うため、大人としての責任を果たす」と言っていたが、まだ私は全面的には信用できない。
結果的に、佐那城先生が ECO から私達を庇ってくれているから今は生活出来ているわけだし、他に何か大人の事情もあるのかもしれない。
佐那城先生の顔には以前の道化師のような仮面は張り付いていなかった。
上嶋くんは佐那城先生の前で渋い顔をしていたが、彼の一言で神妙な面持ちに変わった。
歩き出した佐那城先生に上嶋くんは付いて行った。そして、一度こちらを振り返る。
突然の発言に、私はついドキッとした。
上嶋くんは私を真っ直ぐ見据えて言葉を放つと、さっと体を翻して行ってしまう。
彼らの影はあっと言う間に遠くなっていった。
上嶋くんが何か私のために動いてくれていることだけはなんとなく分かる。
でも、さっきの言葉はどういう意味なんだろう。
二人の背中を見送って一人道端に取り残された私は、ふぅっと深呼吸をする。
上嶋くんが私の名前を夕暮れに咲く花のようだと言ってくれたことを思い出す。
地平線の向こうに沈んでいく太陽を眺めて、その眩しさに目を細めた。
懐かしい声に振り返ると、スポーツタオルを首に巻いた美空が息を切らしていた。白いTシャツに体操着の短パンなのでジョギング中だったのだろうか。
ばっと、飼い主が帰ってきた犬のような勢いで美空は私に抱きついた。むぎゅーっとかわいい擬音が聞こえそうなほど美空は擦り寄ってくる。
美空は屈託のない笑みを浮かべていた。
美空の健康的な小麦色の肌は太陽に焼かれてしょうゆせんべいのような色に近づいていた。
今がもっと明るい時間帯だったら、彼女の肌色は私の白身魚みたいな肌より、輝く汗に映えるだろう。
美空とじゃれ合って、心がぽかぽかと温かくなる。彼女の元気さにはいつも励まされた。
新学期、という言葉が胸に引っかかる。
さっきまでふざけ合って繋いでいた手が離れて、美空はほとんど沈んだ太陽に背を向けた。
後ろを向いたまま小走りをして美空は私に手を振った。
明日会わなくても、美空は笑ってそう言った。
きっと、私とまた新学期に会えると思って。
夜の世界と紙一重の黄昏を背に、美空は私に手を振り続けながら遠のいていった。
◆◆◆◆
家に帰ってシャワーを浴び、いつもよりゆっくりと浴槽に浸かった。
ずっと気落ちしてまともに身だしなみを整えられなかったのもあり、毛先が少しパサついていた。よく洗ってリンスをした髪をしっかりドライヤーをして、保湿する。
洗面所から窓を覗くと、すっかり夜になっていた。
夜に上嶋くんが訪ねてくると言っていたので、部屋着ではなく着心地の良いブラウスとスカートを着る。
リビングに戻ると皐月ねえが、散らかった部屋の中心で唸っていた。
一瞬空き巣が入ったかと思うほど、部屋には乱雑に服や化粧品などが散らばっている。
皐月ねえの前には大きめのキャリーバックが開いていた。
皐月ねえは困ったように笑いかけて私の肩を叩いた。
旅支度と皐月ねえの顔からこれから私たちが何をするのか分かってしまった。
皐月ねえは指先で髪の毛をいじって照れ笑いをする。
ずっと、曖昧にしてきた言葉を皐月ねえははっきりと口にした。
私も誤魔化さないで自分の思いを伝えた。私もやっと覚悟を決められたから。
上嶋くんが待っていてほしいと言った理由がここで、はっきりと分かった。
皐月ねえは目尻を下げて穏やかに微笑み、私を両腕で包み込んだ。
皐月ねえは私の頬に顔を寄せて、祈るように呟いた。
唯一の家族のつながりを体で感じて、こんなに頼もしいことはないと私も皐月ねえの背中に手を回した。
私もおやすみなさいと返事し、皐月ねえから名残惜しく離れて自分の部屋に向かった。
窓のカーテンはピッタリと閉められており、レース越しに漏れる街灯の光が部屋を薄く照らしていた。
皐月ねえがベッドメイキングをしてくれた綺麗なシーツの上に私は寝転がる。
上嶋くんは「夜に行くから待ってて」と言った。
ーーまた、お別れになるのかな。
佐那城先生は人間で、しかも食人鬼と恋をした時の辛さを知っている。
上嶋くんに気持ちを問いただすなら、これ以上説得力のある人はいないだろう。
でも、そこには先の見えない道が広がっていて手がかりも一つもない。
枕をぎゅうっと抱きしめて、不安を紛らわす。
普通の高校生として学校に行き、放課後には友達と喋ったり遊びに行ったり、そして家で温かい夕食を食べて安心して眠る。
そんな当たり前な日常が過ごせなくなるということ。
でも私は食人鬼だから。もとより人の世界にいることが許されない生き物だ。
上嶋くんは私とは違う、人間だから。
その時、コンコンと窓を叩く音がした。
ばっと飛び起きると、カーテンには人影が映っていた。
不安に駆られながらも、心待ちにしていた私はカーテンの隙間に手を入れて鍵を外す。
そう、つい鍵を開けてしまったのだ。
ガラリ、と窓が開いて風がカーテンをさらって舞い上がった。
窓の外にいたのは――
重々しい黒い装束とは対照的に明るい笑みを浮かべた"彼"だった。