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第6話

陽炎の微笑み
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……夕莉は大丈夫なんですか?
暗い夜道を車で進むにつれて、どんどん景色は街から遠ざかっていく。

あの襲撃の後、気絶した夕莉を車に運び込んで俺たちは逃げるように出発した。

夕莉は後ろの座席で皐月さんと寄り添って寝息を立てている。
佐那城 悟
佐那城 悟
さあね……皐月が言うには今はもう大丈夫だって話だけど
俺の隣で運転をしている佐那城さんは淡白に返事をした。

バックミラー越しに皐月さんも夕莉を抱え込むようにして眠っている。

彼女は襲ってきたECO をほとんど倒して夕莉を押さえ込んだりしたので、消耗が激しかったのだろう。
佐那城 悟
佐那城 悟
僕からすれば、夕莉ちゃんより君の方が大丈夫なのかって思うよ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺は……
鋭い指摘につい歯切れが悪くなってしまう。

ぽつぽつと雨粒がフロントガラスを叩き、目の前に歪んだ水の線を描く。

雨がだんだんと強くなり、佐那城さんはワイパーのスイッチを入れた。
佐那城 悟
佐那城 悟
彼女との差を、また身を持って思い知らされただろう?
俺は佐那城さんに応急処置をしてもらった腕を無意識に擦っていた。包帯のざらざらとした表面が指先にひっかかる。
佐那城 悟
佐那城 悟
彼女の方が大怪我だったのに……もうすっかり傷口が塞がってるんだからね
ちらりとバックミラーを見やった佐那城さんの視線は冷ややかなものだった。まるで違う生き物を見るような、畏怖と動揺の色が滲んだ瞳。
佐那城 悟
佐那城 悟
食人鬼の回復能力はもちろん僕たちよりも高いけど、致命傷レベルの傷がすぐに治るほどのものじゃない
佐那城 悟
佐那城 悟
彼女は他の食人鬼なんかよりも、もっと厄介な『何か』かもしれないね
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……夕莉を、まるで化け物みたいに言わないで下さい
佐那城 悟
佐那城 悟
君のためを思って言ってるんだよ。僕と同じ道を辿らないように、ね
佐那城さんは前髪をかき上げてわざとらしく額の傷を晒した。
佐那城 悟
佐那城 悟
そのままじゃ、君の体だって持たない。
蛇と蛙、蜘蛛と蝶のように、食人鬼と人は捕食関係にあるってことを忘れちゃいけないよ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
わかって……
棘のある彼の物言いに俺は反射的に言葉を返そうとしていたことに気がついた。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……いません、でした
佐那城 悟
佐那城 悟
へえ、君にしては素直に言えたじゃないか
彼の挑発するような言い方には引っかかるものもあるが、意地を張っていても仕方がない。

食人鬼と人、この明確な線引はどうしても変えられない。だからこそ分かった気になってはいけないし、慎重に向き合っていかなければならないと思う。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……俺、最近今までぼんやりしてた優夏の事件のことを少しずつ思い出せるようになったんです
佐那城 悟
佐那城 悟
なるほど、食人鬼と向き合って記憶のストッパーが外れたのかもしれないね。
自身のトラウマを振り返られるようになった訳だ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
そうかもしれないですね
フロントガラスに打ち付けられる雨がワイパーで払われるが、また幾つもの雨粒が染みのように広がってガラスの表面をなぞっていく。

何度も同じ動きをしてフロントガラスを磨くワイパーを眺めながら、俺は静かに語った。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
あの日は、妹の誕生日だった
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
優夏は大好きなひまわりのワンピースを着ていて、くるりと振り向いた拍子に涼し気にスカートの裾が揺れていたのを覚えています
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺は誕生日プレゼントに、ひまわりのペンダントをあげたんです
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
優夏のひまわりのワンピースによく似合うだろうと思って……
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
首にネックレスをつけてあげて、その時いじっぱりな妹が珍しく『ありがとう』って言ってくれたのが嬉しかった。
だけど……
もう会うことのできない妹の姿が脳裏に浮かんで、言葉が詰まりそうになった。唇を噛んで、声が震えても俺は言葉を続ける。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
いなくなった優夏を捜して、俺は走り回った。あの時、俺が少しでも目を離さなければ、手を繋いでいればって。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
でも、駆けつけたときには、もう
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
目の前で、見たんです。
優夏の体がズタズタに引き裂かれて、彼女の大好きなひまわりのワンピースが血を吸って赤黒く染まっていた
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
優夏の前に彼女の血をいっぱいに浴びて立っていたのは、俺と同じ歳くらいの女の子に見えました――
佐那城 悟
佐那城 悟
……
車体を穿つ雨と規則的なワイパーの音が狭い空間の中でやたらと耳に入ってくる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
今、俺が覚えているのはそれだけです。
特殊な事件だと言ってニュースにもならなかったし優夏の遺品も優夏自身も、何一つ返してもらえなかった
仮にも一度 ECO に所属した身なので、今ならその理由は分かる。食人鬼に関連したものは全て押収するのが ECO の決まりなのだ。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
(……事件の犯人をずっと追いかけてきたはずなのに、俺はここに来て突き止めるのが怖くなってしまった)
バックミラーに映る夕莉は、血のように赤い瞳を爛々と輝かせていた面影はなく今は赤子のようなあどけない表情で眠っている。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
(そんなこと、あるはずない)
食人鬼の正確な数は知らないが、可能性としては低いはずだ。きっと杞憂に過ぎないだろう。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺は……今度こそ大切なものを守りたい。いつでも、夕莉にとってのヒーローでいたいんです
口元を緩ませて、大切なものを愛おしむように言葉を紡いだ。

彼女の名前を口ずさめば、いつだって心のうちから温かいものが溢れてくる。
佐那城 悟
佐那城 悟
……そうか。まあ、頑張りなよ。僕だって皐月と一緒にいれる方法を見つけたいしね
佐那城 悟
佐那城 悟
(辛い状況に反して、彼はよく穏やかに微笑むような表情をするようになった)
佐那城 悟
佐那城 悟
(でも、それはきっと――)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ん……
後部座席で身動ぎする気配に気が付き、俺は後ろを振り返る。

夕莉の瞼が薄く開き、小鳥の啄みのように唇が動いた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
うえ、しまくん……
ぼんやりとした様子で夕莉は俺の名前を呼ぶ。たどたどしく伸ばされた手を掴んで、俺は夕莉に微笑みかけた。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
大丈夫だ、俺はずっとここにいる。
一緒にいるから……
安心したのか、夕莉は弱々しく笑みを返して、またまどろむように瞼を閉じていった。

夕莉の穏やかな眠り顔に、胸にピンと張った糸が緩むような気がして安堵する。



良かった、俺の顔はちゃんと笑うことができたんだ。



夕莉を安心させられる、頼れる存在であれたのだと俺は体温のない夕莉の手を優しく握りしめた。

佐那城 悟
佐那城 悟
(上嶋くん、君は体だけじゃなくて――自分の心を傷つけてまで、彼女を守っていたいんだね)
街の明りはすっかり遠くなって、車は狭い道に入り先の見えない闇で満たされた山道をゆっくりと上っていった。
九井原 皐月
九井原 皐月
……悟、ちゃんと向かってる?
佐那城 悟
佐那城 悟
ああ、皐月起きたのか。君から教えてもらった道のり通りだろう?
九井原 皐月
九井原 皐月
ええ……あともう少しよ。
食人鬼たちの 棲み家コロニーまで。