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2021/11/29

第3話

もう二度と、



 朝、起きると雪が降っていた。
 起き抜けでぼやけた頭も視界も、その白でみるみるはっきりとしていく。その感覚を今でも覚えている。実際に空から薄い氷の花弁が降ってきて、それがベランダに落ちて、溶けた。それを見られたことが、「嬉しかった」と言ってしまうにはもったいないくらいに嬉しかった。大学生になって地元を出て久しい。ここは雪が降るところなのだと初めて知った。結局その年、雪が降ったのはその日だけだった。
「今日も外見てるの?」
「うん。雪、降らないかなと思って」
「降らないよ、まだ十二月になったばっかりなのに」
「でも、八月にひょう降ったじゃん。だから」
「それでも、絶対降らないよ。寒いだけ」
 寒さに種類があると知ったのも、ここのそれと向こうのそれが違うと知ったのも、随分と前のことのように感じるけれど実はまだ一年も経っていない。でも、もう向こうの寒さなど忘れてしまった。隣に聞いていた声が変わるのと同じように、あの子のことをすぐ思い出せなくなったように、僕は忘れていく。寒さも、平穏も、隠れて食べていたあの雪の味も。
「帰らないの?」
「どこに?」
「地元。会いたい人がいるって言ってなかったっけ」
「あぁ、うん。いたけど、もういいんだ」
「あれ、てっきりお母さんのことかと思ってた。違ったの?」
「……もう、いいよ」
 こんな風に濁したって君の抱いている不信感は誤魔化し切れないのだろうし、僕の気が紛れることもないだろう。それでも、明らかな火種を生むよりマシだと思った。
「なにか、よこしまな気持ちがあるの? だから帰れないの?」
「帰れないんじゃなくて、帰らないだけだよ」
「それって違うの?」
 少しだけでも近くにいられたら。また会えたら。そう思うのを「よこしま」と言われてしまうのが寂しかった。今まさに隣にいる君に対して、申し訳ないとか鬱陶しいとかいうより先に、寂しいと思う僕になんて、さっさと冷めてしまえばいいのに。
「……違うよ。選んで、帰らないんだから」
 君の顔が綻ぶ。あぁ、またやってしまった。
「今日はカレーにしよっか」
 もう二度と、僕があの寒さに触れることはないだろう。一年後、僕は今隣にいる君の顔が思い出せるのだろうか。こうやって、だんだん、忘れていくのだ。全部、何もかも。