悪魔――特に【天使の成れ果て】にとって、背の翼には大きな役割がある。
空を飛ぶ事は勿論、攻撃にも防御にも使えるが、何より安定した魔力の供給と制御に欠かせないものなのだ。
人外にとっての命、そんな翼を今は封じられている。
それは即ち正常に魔力を供給出来ない、魔力を使えない、という事だった。
無理に翼を使えばたちまち魔力は尽き、死ぬ事になるだろう。
*****
時折、夜の静まり返った街に銃声が轟く。
『俺はお前を追っているぞ』
遠くから聞こえるそれは悪魔祓いの声を代弁しているかの様だった。
私は悪魔祓いの目を欺く為、そして魔力の消費を極力抑える為に人間の子に化けて逃げた。
行く当ても、助かる見込みもないのに、だ。
そしてどれほどの時間が経っただろうか。
街外れまで駆け抜けた所で、いよいよ体力も尽きてきた。
レンガ造りの市街地を抜けてしまえば、辺りの風景は一変する。
街灯もなければ、人通りもない。
所々に点在する民家以外は、家畜小屋か畑程度しかない。
その田舎っぷりに茫然とした、そんな時だ。
私の視線の先に古びた建物が現れる。
これ幸いと私はその建物に駆け寄った。
――そして絶望する。
見上げたその建物の屋根には、金属棒が二本組み合わさったオブジェが付いていたのだ。
灯りもひと気もない所を見ると、廃墟だろうか?
しかし例え壁が崩れていようと、窓ガラスが割れていようと、教会という建物は存在そのものが神の領域であり、悪しき存在を排除する力がある。
私ですら、その聖域では充分な力を発揮出来ないだろう。
まして、この手負いでは……。
不思議な事に、私の口からは笑いが漏れていた。
間もなくやって来るだろう悪魔祓いを迎える為、私は教会のドアに背を預けた。
悪魔は悪魔らしく、最期まで神に背いていようではないか。
――といえば格好もつくだろうが。
実に情けない話だが、最早私には自立する力すら残されてはいなかった。
あの男を返り討ちにするなんて、夢のまた夢。
恐らくかすり傷ひとつ付ける事は叶わないだろう。
しかしそれでも最期に一矢報いたい――腹を括ったその瞬間。
不意に私の身体は支えを失い、後方に傾いた。
普段なら身軽にかわせるアクシデントだが、今はそんな余力など残っていない。
思わず身を固くし、私は地面との衝突に備える。
しかし、予想に反して私の背面は何者かによって受け止められたのだった。
薄闇の中、暢気な声が響き渡る。
恐る恐る目を凝らすと、そこには小さなランプを持った女が居た。
永き時を生きて来たが、初対面で此処まで腹立たしい人間は初めてだった。
受け止めた際に私の怪我に気が付いたらしい。
女は何を思ったか、手持ちランプを床に置くとヒョイと軽々しく私の身体を抱き上げた。
そしてスタスタと教会の奥に入って行く。
この時ほど私は子供の姿に化けた事を後悔した時はない。
子供だから非力なのか。
それとも死にかけだから非力なのか。
とにかく必死の抵抗を試みるも、この女の腕はビクともしなかった。
陽気に私へトドメを刺そうとしているこの女、あの悪魔祓いの仲間なのだろうか?
教会に追い詰め、更に刺客を待ち伏せさせていたのなら――恐ろしい計画性ではないか。
その用意周到さに素直に称賛を送ってやろう。
そうこうしている間に私は礼拝堂の最奥へと運ばれていた。
何を考えているのか、どんな嫌がらせなのか。
薄闇の中、女は主祭壇の足元に私を横たわらせるとにっこりと微笑む。
……私にはその笑顔が悪魔のそれにしか見えなかった。
朦朧とする意識の中、私は頭上にある神像を見つめていた。
と、その視界に再び例の女が飛び込んで来る。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。