第9話

泡沫の夢
ゼル
ゼル
俺は悪魔の居場所を知っている
階段を下り、私は悪魔祓いの前に立ち塞がった。

私の姿を見た羊頭は『あっちに行ってなさい』と必死に目で訴えている。
しかし私はそれを無視し、言葉を続けた。
ゼル
ゼル
何処に居るかはいえないが、ヤツを呼び付ける事は可能だ
ロルフ
ロルフ
シスター、このガキは何だ?独りで暮らしているんじゃなかったのか?
マリア
マリア
え、そ、その子は……私の従兄の伯父の曾孫の子供の友達です!
ロルフ
ロルフ
真っ赤な他人じゃねえか
この羊頭。
小粒の他愛ない嘘ならいくらでも吐き出す癖に、肝心な場所で吐く嘘は壊滅的に下手くそだ。


*****
マリア
マリア
ゼルくん、一体どういう事ですか!
悪魔祓いが帰り、掃除の続きを始めた私に羊頭が詰め寄る。
ゼル
ゼル
どうって、そのままの意味だけれど
マリア
マリア
悪魔を呼ぶって、本気ですか!?
そう、私はあの悪魔祓いと交渉したのだ。
『今夜0時に悪魔を呼んでやる。だから今すぐ此処から立ち去れ。そして今後一切教会に近寄るな』
ゼルの姿でどこまで信用してくれるか疑問だったが、あの男は存外にアッサリと私の提案を受け入れてくれた。
しかしこの羊頭、先程からずっとこの調子で怒り続けていて煩い。
マリア
マリア
ゼルくん、何であんな嘘を吐いたんですか!
ゼル
ゼル
だって家捜しされたら困るだろ?こんな汚い部屋を見られたら、俺なら恥ずかしくてもう生きて行けない……
マリア
マリア
そこまで汚いとは思えません!
ゼル
ゼル
そう思えるのはアンタだけだ
羊頭は愕然とする。
マリア
マリア
と、とにかく!もう危ない嘘を吐いちゃいけませんよ!
ゼル
ゼル
うん、わかってる
マリア
マリア
今夜またあの男の人が来たら、私が速やかに帰宅を促しますので!ゼルくんは指を咥えて反省していてくださいね!
それはどんな反省スタイルなんだ、などというツッコミが不要な事くらいは心得ている。
私は溜息を吐くと、羊頭の顔を見上げた。
ゼル
ゼル
……それより腹空いた、夕飯は何?
マリア
マリア
ゼルくんがお腹空いたって……初めてじゃないですか!?
ゼル
ゼル
そうか?
私の言葉にそれまでの怒り心頭は何処へやら、羊頭は満面の笑顔を浮かべて見せた。
マリア
マリア
空腹になるのは、元気な証拠!ゼルくんやっと元気になってきましたね!
ゼル
ゼル
そうかも知れない
マリア
マリア
嬉しい!それでは今夜はご馳走にしましょう!早速お買い物に行ってきますね!
羊頭は部屋を飛び出しかけて、『あっ』と足を止める。
マリア
マリア
お洗濯するの忘れてました……
ゼル
ゼル
いいよ、【せんたく】は俺はするから、アンタは【自分のやるべき事】をやってくれ
羊頭は暫し呆けた顔をし、その後真剣な顔つきでこういった。
マリア
マリア
……ダメですよ、一人で抱え切れないものを持っちゃ
ゼル
ゼル
わかってるよ
マリア
マリア
では、お買い物へ行ってきます!
意気揚々と出かけて行く羊頭の背中を、私は笑顔で見送る。
ゼル
ゼル
楽しみにしているよ、最期の晩餐を――
***** 


夕刻。
いつもより少しだけ早い夕食は羊頭の宣言通り、いつもより少しだけ豪華な食事だった。
野菜スープにはチキンの欠片と腸の肉詰めがダブルで入っていたし、パンにはチーズが乗っている。

マリア
マリア
主よ、今日も恵みに感謝します
羊頭は食事の前に必ず短い祈りを捧げる。
『子供の頃からの習慣だから』と笑っているが、その習慣を私に押し付けようとした事は一度たりとて無い。
なので私はその僅かな時間、祈る羊頭を見つめている。

両手を胸の前で組み、目蓋を閉じるその所作を眺めるのが好きだった。
マリア
マリア
さ、冷めないうちに頂きましょう!
ゼル
ゼル
いただきます
私と羊頭はいつもの様にテーブルで向かい合い、他愛のない会話をしながら食事を楽しんだ。


そして食後。
羊頭は直ぐに後片付けを始める。
……この几帳面さが何故清掃関連に発揮されないのかが不思議でならない。
ゼル
ゼル
手伝うよ
マリア
マリア
大丈夫、ゼルくんは先にお風呂入ってください
これも毎日恒例のやり取りだ。

羊頭は私がキッチンに立つ事を頑なに拒む。
調理の手伝いはおろか、片付けさえ手伝わせない徹底ぶりだ。
無理に手伝おうとすればプリプリ怒りだす。
なので私はいつも羊頭の厚意に甘え、先に風呂を使っていた。
マリア
マリア
寝る前に傷の手当てしますからね、先に寝室に戻っていてください
ゼル
ゼル
はいはい
これも毎日の習慣だ。

私が先に入浴をし、寝室で暇を持て余す。
暫く経つと同じく入浴を終えた羊頭がやって来て、傷の手当てをする。
そして就寝。
眠くなくとも、強制就寝させられる。

羊頭はその後小さなランプを灯し、読書に耽ってそのまま寝落ちしているのを私は知っている。


これが私たちの生活、だった。
マリア
マリア
お待たせしました、手当の時間ですよ!
今宵もいつもの様に、羊頭は薬箱片手に寝室へやって来た。
私は上着を脱ぎ、背を向ける――もしくは羊頭に上着をひん剥かれ、手当をされていた。


しかしもうその恒例行事が行われる事はない。
マリア
マリア
ゼルくん、また思春期拗らせてお洋服脱いでないですね!そんなに私に脱がされたいですか!?
ゼル
ゼル
いや、手当てはもういい
ジリジリとにじり寄って来る羊頭を私は手で制す。

私に世話焼きを拒まれた羊頭は、キョトンとした顔で私を見つめた。
マリア
マリア
どうしました?今度は反抗期ですか??
ゼル
ゼル
……いつまで子供扱いするつもりだ、羊頭
ベッドサイドに腰を掛けている羊頭。
その唇に私は軽く唇を重ねた。
マリア
マリア
……何をするんですか、突然に
不意打ちのつもりが、意外にも羊頭は冷静だった。
此方が拍子抜けする程度には――。
マリア
マリア
もしやこれが第二次性徴期という奴ですか?
ゼル
ゼル
全く違う
そして私はあの晩以来、初めて元の姿へと戻った。
無論、羊頭には初めて見せる姿だ。
さぞ驚く事だろう。
いつものあの妙な奇声を発するやも知れない。
マリア
マリア
…………。
アザゼル
アザゼル
…………。
しかし羊頭は無反応だった。
アザゼル
アザゼル
改めて名乗らせてもらう。私の名は……
マリア
マリア
堕天使のアザゼルさんですよね?
アザゼル
アザゼル
!?
動揺させるつもりが、逆に私が動揺させられる側だった。
アザゼル
アザゼル
……いつからそれを
マリア
マリア
最初からです。あの晩、教会に貴方が来る事は知っていましたので
アザゼル
アザゼル
どういう事だ??
羊頭は微笑む。
マリア
マリア
先生からアザゼルさんがやって来ると聞いたのです
アザゼル
アザゼル
…………
『お前の【先生】とは一体何者なんだ!』

喉元まで出掛かった言葉を私は飲み込む。
今はそんな悠長なやり取りをしている時間など無いのだ。
アザゼル
アザゼル
正体を知っているなら、話は早い……私は今宵、お前の魂を喰らう
マリア
マリア
流石にこれには驚いたのか、羊頭は大きな瞳を見開くと喉から絞り出す様に呟いた。
マリア
マリア
私の魂を食べて、あの悪魔祓いの方と戦うつもりですか……?
アザゼル
アザゼル
それもあるが、あくまで『ついで』だ。本当の目的はお前の魂を喰い、本来の力と姿を取り戻す事。そしてこの汚い教会から出て行く事だ
マリア
マリア
そうですか、なら仕方ありませんね……貴方の思うままにしてください
羊頭は少し寂し気に微笑んで見せた。
アザゼル
アザゼル
抵抗しないのか?死が恐ろしくないのか?
マリア
マリア
私はただのキュートな一般人です。抵抗したところで貴方に敵うわけありません。それに……貴方の糧になると思えば、不思議と何も怖くないのです
アザゼル
アザゼル
…………
マリア
マリア
でも、タダで魂を差し上げるのもちょっとアレなんで、ひとつお願い事をしても宜しいでしょうか?
悪魔に交渉を持ち掛けるとは、この羊頭もなかなか強かではないか。
その心意気を買って、私は交渉を受け入れてやる事にした。
マリア
マリア
ひとつ、質問があるのです
アザゼル
アザゼル
なんなりと
マリア
マリア
昔、私が読んだ本に『天使アザゼルは人間の女に恋をして堕天した』と書いてありました。それは本当の事なのですか?何故、人間に知恵を授けようとしたのですか?本当は別の理由で堕天したのではないですか?それと、それと……
アザゼル
アザゼル
待て、質問はひとつといわなかったか?
マリア
マリア
すみません……では、ひとつに絞ります
ターコイズの瞳が真っ直ぐ私を見つめる。
マリア
マリア
人と天使……人と悪魔が恋をする事は【罪】なのですか?
アザゼル
アザゼル
……判断は神が行う事だ。私が知るわけもない
マリア
マリア
私は誰かが誰かを大切に想う事が【罪】だとは思いません!【愛】は尊いものなのでしょう?
まるで私の真意を探る様な羊頭の眼差しに、私は言葉を詰まらせた。
アザゼル
アザゼル
……そんな事は【先生】とやらに聞けばいい
マリア
マリア
その先生に『直接アザゼルから聞いたらいい』と教わったのです!
アザゼル
アザゼル
(何という面倒な問題を丸投げしてくれたんだ……)
私は深々と溜息を吐くと、羊頭の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
アザゼル
アザゼル
私は悪魔アザゼル……愛だの恋だの、くだらないものに関心はない
マリア
マリア
いいえ、貴方は愛を知っている人です!だって貴方……ゼルくんは、こんな私にも優しくしてくれました!他人に優しい人が愛を知らないわけがありません……
アザゼル
アザゼル
マリア
私は羊頭の話を遮ると、彼女の頬に手を触れた。
アザゼル
アザゼル
質問の時間はもうお終いだ。くだらない談義をしている時間が惜しい
マリア
マリア
……わかりました
羊頭は無理矢理笑顔を作ると、食事の時の様に胸で手を組みそっと瞼を閉じる。
マリア
マリア
最期にもう少しだけ、いいですか?
アザゼル
アザゼル
…………
マリア
マリア
ゼルくんとの生活、とても楽しかった。もっとずっと一緒に居たかったです
アザゼル
アザゼル
……共に過ごした時は、泡沫の夢。もう二度と相見える事もないだろう
私は掌で羊頭の頬を撫でる。
マリア
マリア
……とても寂しいです
アザゼル
アザゼル
私もだよ……だけどさようならだ、私の愛しいマリア
私は魂を喰らう為、今一度マリアと唇を重ねた。