階段を下り、私は悪魔祓いの前に立ち塞がった。
私の姿を見た羊頭は『あっちに行ってなさい』と必死に目で訴えている。
しかし私はそれを無視し、言葉を続けた。
この羊頭。
小粒の他愛ない嘘ならいくらでも吐き出す癖に、肝心な場所で吐く嘘は壊滅的に下手くそだ。
*****
悪魔祓いが帰り、掃除の続きを始めた私に羊頭が詰め寄る。
そう、私はあの悪魔祓いと交渉したのだ。
『今夜0時に悪魔を呼んでやる。だから今すぐ此処から立ち去れ。そして今後一切教会に近寄るな』
ゼルの姿でどこまで信用してくれるか疑問だったが、あの男は存外にアッサリと私の提案を受け入れてくれた。
しかしこの羊頭、先程からずっとこの調子で怒り続けていて煩い。
羊頭は愕然とする。
それはどんな反省スタイルなんだ、などというツッコミが不要な事くらいは心得ている。
私は溜息を吐くと、羊頭の顔を見上げた。
私の言葉にそれまでの怒り心頭は何処へやら、羊頭は満面の笑顔を浮かべて見せた。
羊頭は部屋を飛び出しかけて、『あっ』と足を止める。
羊頭は暫し呆けた顔をし、その後真剣な顔つきでこういった。
意気揚々と出かけて行く羊頭の背中を、私は笑顔で見送る。
*****
夕刻。
いつもより少しだけ早い夕食は羊頭の宣言通り、いつもより少しだけ豪華な食事だった。
野菜スープにはチキンの欠片と腸の肉詰めがダブルで入っていたし、パンにはチーズが乗っている。
羊頭は食事の前に必ず短い祈りを捧げる。
『子供の頃からの習慣だから』と笑っているが、その習慣を私に押し付けようとした事は一度たりとて無い。
なので私はその僅かな時間、祈る羊頭を見つめている。
両手を胸の前で組み、目蓋を閉じるその所作を眺めるのが好きだった。
私と羊頭はいつもの様にテーブルで向かい合い、他愛のない会話をしながら食事を楽しんだ。
そして食後。
羊頭は直ぐに後片付けを始める。
……この几帳面さが何故清掃関連に発揮されないのかが不思議でならない。
これも毎日恒例のやり取りだ。
羊頭は私がキッチンに立つ事を頑なに拒む。
調理の手伝いはおろか、片付けさえ手伝わせない徹底ぶりだ。
無理に手伝おうとすればプリプリ怒りだす。
なので私はいつも羊頭の厚意に甘え、先に風呂を使っていた。
これも毎日の習慣だ。
私が先に入浴をし、寝室で暇を持て余す。
暫く経つと同じく入浴を終えた羊頭がやって来て、傷の手当てをする。
そして就寝。
眠くなくとも、強制就寝させられる。
羊頭はその後小さなランプを灯し、読書に耽ってそのまま寝落ちしているのを私は知っている。
これが私たちの生活、だった。
今宵もいつもの様に、羊頭は薬箱片手に寝室へやって来た。
私は上着を脱ぎ、背を向ける――もしくは羊頭に上着をひん剥かれ、手当をされていた。
しかしもうその恒例行事が行われる事はない。
ジリジリとにじり寄って来る羊頭を私は手で制す。
私に世話焼きを拒まれた羊頭は、キョトンとした顔で私を見つめた。
ベッドサイドに腰を掛けている羊頭。
その唇に私は軽く唇を重ねた。
不意打ちのつもりが、意外にも羊頭は冷静だった。
此方が拍子抜けする程度には――。
そして私はあの晩以来、初めて元の姿へと戻った。
無論、羊頭には初めて見せる姿だ。
さぞ驚く事だろう。
いつものあの妙な奇声を発するやも知れない。
しかし羊頭は無反応だった。
動揺させるつもりが、逆に私が動揺させられる側だった。
羊頭は微笑む。
『お前の【先生】とは一体何者なんだ!』
喉元まで出掛かった言葉を私は飲み込む。
今はそんな悠長なやり取りをしている時間など無いのだ。
流石にこれには驚いたのか、羊頭は大きな瞳を見開くと喉から絞り出す様に呟いた。
羊頭は少し寂し気に微笑んで見せた。
悪魔に交渉を持ち掛けるとは、この羊頭もなかなか強かではないか。
その心意気を買って、私は交渉を受け入れてやる事にした。
ターコイズの瞳が真っ直ぐ私を見つめる。
まるで私の真意を探る様な羊頭の眼差しに、私は言葉を詰まらせた。
私は深々と溜息を吐くと、羊頭の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
私は羊頭の話を遮ると、彼女の頬に手を触れた。
羊頭は無理矢理笑顔を作ると、食事の時の様に胸で手を組みそっと瞼を閉じる。
私は掌で羊頭の頬を撫でる。
私は魂を喰らう為、今一度マリアと唇を重ねた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。