第19話

最後は笑顔で「さようなら」
マリア
マリア
ゼルくん、私たちの【家族ごっこ】そろそろ終わりにしませんか?
羊頭発【理解不能発言トップランキング】の上位争いに、本日二度目の大きな変動が起こった。
ゼル
ゼル
……お前の発言の意味が理解できないのだが
マリア
マリア
ゼルくん、私たちの【家族ごっこ】そろそろ終わりにしませんか?
ゼル
ゼル
同じ文言を二度繰り返されても、わからんものはわからん!急に何を言い出すんだ!?
マリア
マリア
『同居止めませんか?』といった旨のお願いをしているんです
ゼル
ゼル
…………
特段挙動不審な様子もなく、羊頭は淡々と言葉を続ける。
マリア
マリア
怪我も具合もそこそこ良くなって来たようですし、そろそろ私の介護も不要かと
【介護】という言葉を直ぐにでも訂正させたかったが、今は羊頭の言語不自由さを指摘している場合ではない。

私は極力冷静を装い、真っ直ぐ羊頭を見据えた。
ゼル
ゼル
頼むから、一から説明をしてくれ……俺は此処から追い出される様なことをしてしまったのか?
マリア
マリア
ゼルくんには何の落ち度もありません。全ては私の勝手な都合によるものです
ゼル
ゼル
まさか、あの男と本気で結婚するつもりか?
【あの男】とは、勿論ルシファーのことだ。

私の言葉に羊頭はくすくすと小さく笑う。
マリア
マリア
まさか!それはありませんよ
ゼル
ゼル
ならば、どうして……
マリア
マリア
先程、先生が帰り際に良いお話を知らせてくれたのです
ゼル
ゼル
(帰り際……羊頭が見送りに行った時か)
マリア
マリア
先生が知人のツテを使って、私を街の教会へ異動出来るよう取りなしてくれるそうです
ゼル
ゼル
羊頭の言葉に私は絶句した。

悪魔であるルシファーに教会関係者のツテなどあるハズがない。

お前はあの男に騙されているんだ――そう言い掛けた私の言葉を遮る様に、羊頭は話を続けた。
マリア
マリア
私は、ゼルくんとの生活に嫌気が差したわけではありません。ただ……折角念願叶ってシスターになれたのに、こんなお客様も来ない古い教会で燻るなんてまっぴらごめんです
羊頭の羊頭らしからぬ発言に、私は苛立った。
ゼル
ゼル
嘘を吐くな、お前がこの教会を大事に想っていることくらい私にだってわかる
マリア
マリア
な、何を根拠に……
ゼル
ゼル
大の掃除嫌いで、蜘蛛の巣や埃にまみれて寝ることすら気にならないお前が、毎日礼拝堂の掃除だけは欠かさなかったではないか
マリア
マリア
それは、万が一にもお客様がいらした時に粗相がない様にと……義務で行っていたことです
ゼル
ゼル
義務だけであんな熱心に掃除が出来るものなのか?
マリア
マリア
出来ますよ、それが私の仕事なのですから
ゼル
ゼル
……では、私の世話も義務でやっていたことなのか?
マリア
マリア
私の言葉に羊頭は一寸動きを止める。
が、直ぐににこやかな笑顔を浮かべると、平然と言葉を続けた。
マリア
マリア
そうですね、そうかも知れません
ゼル
ゼル
…………
そんなにあっけらかんと言われたら、此方としては怒る気持ちすら起きないではないか。
ゼル
ゼル
……そうか、わかった。今まで世話を掛けて申し訳なかった
マリア
マリア
あ、ゼルくん……!
まだ何か言いたげな羊頭を残し、私は二階の寝室へと上がった。
そして灯りも付けぬままベッドへと倒れ込む。

生涯で初めて知った胸の痛み。
そして羊頭との別離に私はこれでもかと打ちのめされていた。
*****


「マリアに私とキミのどちらかを選ばせよう」

魔王ルシファーに持ち掛けられた提案。
それを了承してしまった自分を、私は激しく呪っていた。

今のところ【羊頭がルシファーを選んだ】という確証はない。
ただわかっていることは【羊頭は私を選ばなかった】という事実だけだった。
ゼル
ゼル
(羊頭が私に特別な感情を抱いている、とは思っていなかった)
溜息。
ゼル
ゼル
(だが、それなりに好かれてはいると思っていた)
溜息。
ゼル
ゼル
(結局、私の独りよがりでしかなかった……何という勘違い男なんだ、私は)
最後に特大の溜息をひとつ。


穴があったら入りたい――いや、穴を掘ってでも隠れたい気分だ。
しかし今の私には穴を掘る気力すら残っていない。

私はベッドに突っ伏したまま、ふて寝をしていた。
そのままどのくらいの時間が経過しただろうか。
小さな物音で私は目を覚ます。

恐らく羊頭が入浴を済ませ、寝室に上がって来たのだろう。
私は羊頭に気付かれぬ様に薄目を開け、ヤツの様子を窺った。

羊頭はランプを机に置くと、ベッドサイドに座り込む。
マリア
マリア
ゼルくん、そんな格好で寝ると風邪を引きますよ?
控え目な声のボリュームから察するに、羊頭は私の狸寝入りに気付いてはいない。
ただ、一応声を掛けてみる……といった感じだった。
マリア
マリア
ゼルくん、寝ちゃったんですか?
ゼル
ゼル
…………
マリア
マリア
お風呂も包帯交換もまだなんですよ?
ゼル
ゼル
…………
私は寝返りをうつフリをし、羊頭に背を向けた。

大人げなく無視をしていることに罪悪感を感じる。
しかし今夜はいつもの様に羊頭と言葉を交わせる自信がなかった。

羊頭は暫し沈黙をし、そしてボソボソと私の傍らで呟く。
マリア
マリア
……ゼルくん、私は明後日のお昼頃にこの教会を出て行きます
ゼル
ゼル
(……聞きたくないな)
マリア
マリア
出て行く際に戸締りをしなくてはいけないので、それまでにゼルくんも……
ゼル
ゼル
(荷物をまとめて出て行け、てことか……傷心中の相手にどこまでもえげつないな、この女)
胸の内で毒づいていると、不意に温かなものが私の背に触れた。
大きさや温度から考えるに、恐らく羊頭の手の平だろう。
マリア
マリア
ゼルくん、最後にもうひとつお願いをしてもいいですか?
ゼル
ゼル
…………
マリア
マリア
私のことを嫌わないでください
ゼル
ゼル
(……何を言っているんだ)
マリア
マリア
ムシの良い話だとは重々承知しています。でも私はゼルくんに嫌われたくないんです。
お別れの瞬間までゼルくんとはいつも通り仲良くお話して、笑って……最後は笑顔でお別れをしたいです
ゼル
ゼル
(本当にムシの良い話だな……)
マリア
マリア
ごめんなさい、ゼルくん……お休みなさい
その晩、羊頭は私の寝床に潜り込むことなく就寝した。
*****


翌朝。
私は起床すると普段通りに身支度を整え、床に寝転がる羊頭を足先で突いた。

それにしても固い床上で本にまみれ、よくもこう熟睡出来るものだ……。
ゼル
ゼル
起きろ、羊頭
マリア
マリア
むにゃ……もう食べれませんので……
ゼル
ゼル
また同じ夢か……てか、お・き・ろ!
包まっていた毛布を剥ぎ取ると、羊頭は寝惚け眼で起き上がる。
マリア
マリア
むにゃむにゃ……もう少し寝かせてください……
ゼル
ゼル
ダメだ、今日は荷造りの日だろ?
一日で終わらせる自信があるのなら、好きなだけ寝てろ……俺は手伝わないからな!
マリア
マリア
荷造り…………………はっ
そこで漸く羊頭の大きな瞳がパカッと開かれる。
マリア
マリア
お引越し!……ゼルくん、いつも通り……
ゼル
ゼル
いつも通りにしろと言ったのはお前だろ?これ以上のワガママは受け入れないからな??
マリア
マリア
…………ありがとう、ゼルくん
いつもとさして変わらぬ朝。

それが私と羊頭の【最後の日常】の始まりだった。