第16話

先生
アザゼル
アザゼル
(私としたことが、何たる失態……)
羊頭との痴話喧嘩から、暫し。
私は教会近くの木陰で頭を抱えていた。
アザゼル
アザゼル
(悪魔アザゼルともあろうこの私が、羊頭の発言に冷静さを欠くとは……情けない)
マリア
マリア
私と先生の関係に嫉妬しているのですか?
思い出しただけでも気がおかしくなりそうな、羊頭のあの発言。
アザゼル
アザゼル
(私が、嫉妬?)
嫉妬されることこそあれ、する立場になることなどあり得ない。


あの瞬間は、そう思った。
しかしこうして独り、これまでの諸々を反芻すると様々なことに気付かされる。


悪魔祓いと出会ったあの晩から、【偶然】と呼ぶにはあまりに出来過ぎた一連の事象に私は不信感を抱いていた。
その不信を解消しようと躍起になっていたのは、警戒心の強い私の性分であり――心の奥底で【マリアを疑いたくない】と願っていたからだろう。

私を嵌める為の、何者かの悪意ある企みであっても構わない。
しかしその企みに羊頭が関わっているとは思いたくなかったのだ。


私を匿うのも、私の世話を焼くのも、私に向ける笑顔も。
裏のないマリア自身の行動だったと信じたかった。

万が一にもし裏があったとしたなら、この先何千年と私は人間不信に陥ることだろう……。
アザゼル
アザゼル
(つい忘れがちだが……私はマリアアレを好いていたのだった)
故に、今思い返せば。
羊頭の口から【先生】という単語が出るたび、私の心はにわかに騒めいた。

そして羊頭の友人らから【マリアと先生のエピソード】を聞いているうち、その騒めきは不快感へと変化した。

それは不信感とは別物の、紛れもない嫉妬だったようだ。
アザゼル
アザゼル
(羊頭に指摘され気付くとは、私もとんだ愚図ではないか……)
私は何度目かの溜息を吐くと、夕闇に染まりつつある天を仰いだ。
アザゼル
アザゼル
(しかし羊頭の件を抜きにしたとて、先生とやらに思う所があるのは事実……)
羊頭の友人たちは先生の存在を【マリアが作った架空の人物】と思っている。
しかしその様に判断する所以は実に曖昧な憶測からだ。
エリー
エリー
小さい頃のマリアは、子供では到底理解出来ない様な難しい本の内容を【先生の解説付き】で私たちに語るのが好きだったの
ジェシカ
ジェシカ
ある日なんて、天使と悪魔が大喧嘩をした何とかドンてやつ?をまるで見て来たかの様に話し始めてさ!
みんなビックリしたものよ!
エリー
エリー
マリアは『どれも先生が教えてくれたお話だよー』て言ってたけど……彼女はよく孤児院の隣にある教会の書庫に出入りしていたから、そこで読んだ書物の内容を私たちに話したかっただけなんじゃないか?って神父様が仰ってたわ
ジェシカ
ジェシカ
つまり【先生という架空の人物を利用した、マリアの知識のひけらかし】じゃないか、てこと!
エリー
エリー
神父様は何度もマリアに注意をしたのだけれど、一向に直る気配はなくて……でもマリアはこの一件以外では素直で真面目な優等生だったから、強く咎めることが出来なかったみたいなの
ジェシカ
ジェシカ
だからもう、その話は【マリアの治らない病気】ということにして聞き流しましょう!ていうのが暗黙の了解になってたのよね
エリー
エリー
まさか未だに【先生】の名前を騙っているとは、思いもよらなかったけど……
ジェシカ
ジェシカ
とりあえずアンタもあの子の【先生話】には適当な相槌を打って、軽く聞き流してやってて欲しいのね
二人には一切の悪意はなく、ただ純粋に友人である羊頭を心配している様に見える。


が、何故そこまで【先生】という存在を否定したがるのか、私には理解出来なかった。
知識のひけらかし?
自己顕示欲からの虚言?
その様な低俗な意識があの羊頭にあるとは思えない。

確かに羊頭は神職にありながら、呼吸をする様に嘘を吐く時がある。
しかしその大半が細々とした些細なもの。
ここぞという場面の大きな嘘だって、それ相応の理由があってこその嘘なのだ。
アザゼル
アザゼル
(人間という生物は【己の常識や理解の範疇を超えたもの】を否定したがる傾向があるからな……)
少なくとも私はその【先生】とやらが実在している人物だと、確信を持った。
アザゼル
アザゼル
(一度会って、話をする機会があれば良いのだが……それから敵・味方の判断をしても遅くはないハズだ)
気が付けば、見上げた空はすっかり群青に染まっている。

そこで私はようやく重い腰を上げた。
アザゼル
アザゼル
…………帰るか
*****

教会に着くと、私は真っ直ぐ裏口へ回る。
羊頭も私も悪魔祓いも、日頃の出入りは此方を利用している。
理由は単純、此方の方が居住スペースに近いからだ。

小さくオンボロなドアを開けると、キッチンの方から微かな食物の匂いと談笑が聞こえる。
アザゼル
アザゼル
(……また悪魔祓いがタダ飯を食べに来てるのか)
臨機応変、私は即座に【ゼル】の姿に化けると何食わぬ顔でキッチンへと向かった。
ゼル
ゼル
ただいま
マリア
マリア
……ゼルくん!
私を見るなり羊頭は猛烈な勢いで駆け寄って来る。
そして思い切りの力で小さな私を抱き締めた。
マリア
マリア
もー!帰って来ないんじゃないかと心配したんですよ!?
ゼル
ゼル
す、すまなかった……
羊頭の温かな体温と匂いに包まれ、ほんの少し夢見心地になった。



――その時だ。
羊頭の肩越しの、悪夢の様な光景が私の目に留まる。
ゼル
ゼル
!!!
嵐の様な私の心中も知らず、羊頭は目尻に浮かぶ涙を拭いながら微笑んだ。
マリア
マリア
そうそう……ゼルくんにとっておきのお客様が居るんですよ?
ゼル
ゼル
ああ……見えてるよ……
【とっておきのお客様】
その人物はダイニングテーブルに頬杖をつき、笑顔で此方を眺めている。

そして私と目が合うと、空いた方の手の平をひらひらと振ってみせた。
マリア
マリア
なんと!先生が遊びに来てくれました!
先生
先生
どうも、初めましてゼルくん・・・・
ゼル
ゼル
…………
羊頭が絶対の信頼を置く男。

羊頭以外にはゴースト扱いの男。

私の嫉妬心を掻き立てる男。


向こうは初対面を装っているが、私はその顔をよく知っていた。
かつてはこの世の栄光を一身に受け【明けの明星】【光をもたらす者】と称されていた男。

名を【ルシファー】という。