「妻と子供がいたんだ。子供は妻の連れ後で、血は繋がってないけど、俺にとっては、とても大切な家族だった」
波打ち際に並んだ足跡が、月明かりの下で寄り添うように並んでいた。
寄せては返す波が、二人の足跡を優しくさらっていく。
潮風は少し冷たいけれど、今はその冷たさが心地いい。
テヒョンは、ジョングクに出会うまでの身の上を語った。
DV夫から逃げてきたエラとルーを守るために結婚した。ただの同情だけじゃなく、そこには男女の恋愛を超えた愛情があったことも。
「俺、自分はアセクシャルだと思ってたんだ、ずっと」
アセクシャルという聞き慣れない言葉に、ジョングクは首を傾げた。
「アセクシャルって、なんだ?」
「アセクシャルは…簡単に言うと、セックスに興味や関心がない人…人を好きになってもエッチしたいって思わないんだ」
テヒョンの言葉はジョングクにとって、衝撃だった。
「いや、でも……お前、気持ちいいって…」
ジョングクの知ってる「タナ」は、性に貪欲だった。
「そうなんだよね…ジョングクに出会うまでは、エッチ嫌いだったんだけどね」
テヒョンは自分でも不思議だと呟いて、自嘲ぎみに笑った。
「エラは、元夫のせいで、男が近づくとパニックを起こして震えちゃうんだ。だから、俺たち、触れ合うことはなかったけど、その分、たくさん話をして心で繋がってた」
一般的な夫婦とは少し違う家族の形だったが、そこには確かに深い絆があった。
「だけどエラは……出て行ったんだよ、俺のために。表舞台に未練なんてないって言ったんだけど見透かされてたんだと思う」
連日来るオファーを、断り続けるテヒョン。
口では、もうスポットライトを浴びるのに飽きたと話すテヒョンがエラの顔を見ようとしないことをエラは気づいていた。
「大きな舞台に立つとさ、観客の歓声や熱量が雪のように降ってくるんだよ。白くキラキラと光って、凄く綺麗で……一度経験したら、またあの光を浴びたいって、まるで麻薬みたいに抜け出せなくなる」
そんなテヒョンの心の中を、エラは知っていて自分から身を引いた。
「もう一度、エラとルーに会いたくて、どんな仕事も受けて二人に安心して会いにきてもらえるように頑張ったんだ。そしたらさ、絵葉書が届いて……ルーが描いた赤い風船の……」
それまで黙って聞いていたジョングクは、「赤い風船」の絵に、驚きの声があがった。
ジョングクが働いている遊園地の象徴である美しい城をバックに赤い風船が空を彩る絵。
「それって、お前が描いたやつか?」
テヒョンは小さく頷いて、鼻を啜った。
「うん…ルーが描いたやつは、盗まれちゃったから」
ルーが描いた絵を、覚えてる範囲で真似して描いた絵は、今、ジョングクの家の宝箱の中にある。
「あの城は、うちの城だろ?ルーとかいう子が描いたのも、あそこなのか?」
小さく頷くテヒョン。
テヒョンを初めて見た日。テヒョンは城を眺めながら、泣いていた。
そして、バックを盗まれないよう必死に抵抗して大怪我をした。
何故、城を眺めながら泣いていたのか。そして、どうしてバックをすぐに離さなかったのか、ずっと気になっていたが、あのバックにはルーが描いた絵ハガキが入っていたのだとしたら、納得できる。
「それで、必死に守ったんだな」
「うん」
「……もう一度描いて貰えないのか?」
「もう……会えないから」
伏せたまつ毛がしっとりと濡れて、一筋の涙が頬をつたって零れ落ちた。
「その理由……訊いてもいいか?」
「うん……やっと見つけて、父に迎えに行ってもらったんだ。俺はツアー中で行けなかったから。そしたら、二人も俺に会いたいって言ってくれてさ。俺、すっごく嬉しくて、幸せで、早く二人に会いたくて……だけど、もう、二度と会えなくなっちゃった」
エラとルーカス、そして父は、テヒョンが待つ国へと向かう飛行機の中で、帰らぬ人となった。
乗客乗員合わせて154名の命が、その日、一瞬にして消えてしまった。
ジョングクもその飛行機事故のことは知っている。
知り合いが乗っていないか確認したから、よく覚えていた。
まさか、あの飛行機にテヒョンの家族が乗っていたなんて。運命とは時に人を不幸のどん底へと突き落とす。
テヒョンはどんな思いであの絵を描いたのだろう。
きっと、他人には計り知れない思いがあったに違いない。
「俺に会おうとしなければ、三人はまだ生きてた。全部、俺のせい。三人が死んだのは、俺のせいなんだよ」
抑揚もなく、なんの感情も読み取れないテヒョンの声が、余計に胸を締め付ける。
何度も繰り返した後悔の念が、呪縛のようにテヒョンを締め上げているようだ。
「お前のせいじゃない……誰のせいでも。事故はどんな時にも不意に起こりえることだ」
「……みんなそう言うんだ。お前は悪くない。悪いのは航空会社のやつだ、操縦士だ、避けられない事故だった……みんな同じことをいうけど……俺のせいだろ?」
テヒョンは涙に濡れた瞳で、縋るようにジョングクを見つめた。
「お前のせいじゃ……いや、お前が悪い」
ジョングクは、テヒョンが罰せられたがっているように見えた。
テヒョンが悪いなんて嘘だ。
でも、今のテヒョンにはその嘘が必要なように思えた。
「そう、俺が悪いんだよ!俺のせいなんだ…俺が、俺が生きて、、なんで、みんな、死んで、いなくなって…….な、なんでっ」
呼吸が乱れて、テヒョンの肩が上下する。
ジョングクは、テヒョンの肩を抱き寄せて、ゆっくりと背中を撫でた。
正論で宥めるのではなく、嘘でもなんでもいい。テヒョンの心の澱を全部吐き出させてやりたい。
「大丈夫だ、ゆっくりと息を吐いて……そう上手だ……全部、俺が受け止めてやるから。焦らなくていい」
冷たい風が、テヒョンの涙をさらっていく。
寄せては返す波の音に合わせて、ジョングクはテヒョンの身体を優しく揺らした。













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。