それで僕は、ようやく視線を上げた。
彼女は人のよさそうな笑顔で安物のチョコを差し出している。
佐藤さんが今日のことを多少なりとも意識しているとは思わなかった。バレンタインデーなんて縁もなければ興味もないだろうと思っていた。知ってるくせにわざわざこの日にチョコを買ってきて、仲良くもない男子に渡すって、ちょっとどうかしてるだろ。
僕は尋ねる。
興味があるわけじゃない。全然ないけど、一応のマナーとして。
佐藤さんは朗らかに続ける。
そのくせきっぱりと言い切ってみせた。
いないだろうとは思ってた。いるはずないって、僕も同じように思っていた。
にこにこしている彼女とは対照的に、僕の動きはひどくぎこちない。
教科書を閉じ、佐藤さんの手のひらに手を伸ばす。そしてさっきの彼女に引けを取らない不器用さでチョコを受け取った。
棒読みで感謝を告げれば、佐藤さんは小さく頷く。
冗談っぽく、そうも言われた。
僕がちっとも笑えないのに、ひとりでにこにこ笑っている。
先手を打たれてしまった僕は何も言えず、手の中にやってきた四粒のチョコに目を落とした。
安物のチョコは硬くて、手のひらの上でも溶ける気配がない。
溶けない硬いチョコレートって、まるで僕らの関係みたいだ。ぎこちなくて頑なで、ちっとも美味しくなさそうだった。バレンタインとは何も関わりのない贈り物を、僕は妙にざわざわする思いで見下ろしている。
彼女がバレンタインとか言い出さなければ、来月のことも気にせず食べたのに。
二月十四日にチョコをもらって、お返しはいらないと念を押されて、どう思えばいいのかわからない。手間が省けたって捉えればいいのに、どうしてこんなに複雑なんだろう。
いっそ安物のクッキーでも送りつけて、彼女を困惑させる仕返しができたらよかったのに。
僕は佐藤さんと気が合わない。何から何まで全てにおいて。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。