入寮手続きの最前列。
書類を提出するなりの受付のお姉さんの言葉に、私は一瞬、頭が真っ白になった。
みるみる顔を青くする私に、事務員さんは事務的に書類のファイルをめくる。
私の必死の訴えに、今度は事務員さんのほうがマジマジと私を見つめ返してきた。
この天下の天王寺学園の保護者が、借金? って、そんな顔だ。
私の後ろで列に並んでる新入生代理の執事さんたちまで、「何事でしょう」「借金とか聞こえませんでしたか」「まさか」とざわめきだす。
で、でも私、ここで退くわけにはいかないんだよ。
今日寮に入れなかったら、私には今夜の宿すらないんだから……!
なんの因果か、双葉家はそろいもそろって不運体質の超ビンボー一家。
大昔はナントカって大名家にお仕えしてた古い家系らしいけど、不運の波に押し流されて、今や明日のゴハンに事欠く毎日。私もずっと、バイトや内職の動画づくりで家計を支えてきたんだ。
でも今年、キセキ的にこの日本屈指の名門校、「天王寺学園」の特待生に合格できて、お金を払わないでも学校に通えることになったし、両親も出稼ぎ先が決まって。
これはとうとう双葉家にも希望の光が見えてきたぞって、家族それぞれ新しい門出をむかえた───はずだったのに!
事務員さんはしぶしぶ、昨日の電話を受けた担当の人に呼び出しをかけてくれる。
私は受付台に置いた手を握りこんで、息を吞む。
ビンボーヒマなしすぎて、友達も作れなかった暗黒の中学時代。ファンスタで「架空の青春生活」しちゃうくらい切ない日々だったけど、これからはフツーの高校生活をエンジョイできるんだって、リアルな友達とプリ帳集めたり放課後遊びに行ったりできるかもって、すごくすごく楽しみにしてきたんだ。
なのにまさか出鼻からこんな事態になるなんて……!
くちびるをかみしめた、その時。
背中に響いた、ぽっかーんっと空に突き抜けるような明るい声。
ふり返ると、そこに二人の生徒が立っていた。
今の声の主らしい、小柄できゃしゃな体つきの、マスクで顔をおおった男子。
と、あともう一人。すらりと手足の長い、いかにも頭のよさそうな静かな瞳に、薄い唇をフキゲンそうに引き結んだ、背の高い人。見とれるような、さわやかイケメンさまだ。
制服のネクタイが赤だから、私と同じ新入生みたいだけど……。
こんな華やかなオーラをまとった若者が、私の知り合いのはずがない。なのに彼らの視線はまっすぐ私に集中してる。
しかも今、「テマリ」って言ったよね?
マスク男子が、ぐわしっと私の右腕に手を回す。
な、なに!?
事務員さんににっこり微笑んだイケメンくんも、私の左腕を確保する。
啞然とする私の耳に、彼が身をかがめ、きらきらしい顔を近づけてきた。
私にだけ聞こえる音量で響いた、低くてオトナっぽい──有無を言わさぬ声。
私は彼らに囚われの宇宙人よろしくズルズル引きずられ、受付から遠ざかっていく。
事務員さんがうらやましそうに見送ってるけど、ちょっと待って、これってもしかしなくても誘拐だと思うんですけど……!!
ぽいぽーいっと、荷物みたいに軽い調子で投げこまれたのは、女子寮から遠く離れた、校舎の図書準備室。
マスク男子が後ろ手に鍵をしめる音が、不穏に響いた。
マスク男子の明朗快活な声に、私は目玉をひんむく。
脱げって、これを脱いだら、素っパダカだ。
い、いくら超絶ビンボーで存在感皆無の私でも、まだ一応、女子としての羞恥心は多少なりともありましてっ!
ズザザザザッと後ろに下がった私の背中に、窓ガラスの冷たい感触。
窓! そうだ、窓から逃げれば!
私はふり返るなり窓に飛びつき、ぐわらと開けた窓に足をかける。
窓わくにかけた手に、電流が走った。
ゆるゆる後ろを見れば、さわやかクンのほうが、こんな状況じゃなければ好感度二百%の涼しい微笑みを、私に向ける。
聞きまちがいじゃ、ない。確かにTEMAって言った。
頭から氷水をかぶったように全身がわなないた。
バレてる……! あのアカウントの持ち主が、私だって。
な、なんで!? 私の素顔からじゃゼッタイ気づきようもないはずなのに!
窓にかけてた右足がすとんと床に戻る。元通り窓を閉めると、彼はまた微笑んだ。
今度はマスク男子のほうが、無邪気に笑う。
彼は胸からメモ帖を取り出して、ぺらりとめくる。
自分のことながら冗談みたいな存在感のなさだ。
乾いた笑いをもらす私に、マスク男子も目を細めて笑ったようだ。
夏、と呼ばれたさわやかクンは、小さく肩をすくめた。
あまりのことに声が震える。
友達一人もいない空気のクセに、リア充のふりして投稿してたなんてイタすぎる。バレたらあんなキラキラした動画、恥ずかしくって二度とアップできなくなるよ。
マスク男子の目は、心から笑ってる。自分が言ってることがまったくもって正しくて楽しくてステキなことだって、心底思ってる目だ。
私は彼らをにらみつけ──ようとして、一瞬で二人の視線に負けて、目を泳がせた。
なんだこの人たち。なんでこんな非道なコトしてんのに自信満々なんだ。
マスク男子は、ジャケットの胸から黒いクレジットカードを引き抜いた。
諭吉さま千人分を、いいよベツにそのくらいって、一体どんな金銭感覚だ。
悪魔はにっこりと笑う。
私はごくりとノドを鳴らし、彼が指にはさんだブラックカードを見つめる。
もし借金がなくなったら──。そしたら、お父さんもお母さんも危険な仕事をやめて、すぐにでも戻ってこられる。家族三人で、また一緒に暮らせる?
お父さんたちの哀しいほど善良な笑顔が心に浮かんでくる。
その時、ブブッと胸ポケットの携帯が鳴った。
どうぞ、とさわやかクンに目でうながされ、私はとまどいながら画面をスライドする。
送られてきた写真には、春なのに寒々とした漁港の写真と、「これからがんばってくるな!」という悲壮なメッセージ。
……お父さん、大丈夫かな。海の男たちの中で何ヶ月も遠洋漁業なんてやってけるのかな。お母さんも高山の山小屋なんて、病気やケガでもしたら大変だよ。
なるべく考えないように抑え込んでた心配な気持ちが、堰を切ったように溢れてくる。
マスク男子が身を返し、戸の鍵を開ける。
そっ、そんなことされたら、私の大事な居場所が……!!
私は、冷や汗のにじむ手のひらを握りこんだ。
リアクション芸人バリの決意で叫ぶと同時。マスク男子は、
ぱちんと指を鳴らした。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。