第23話

あの日に戻れたら
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2022/11/13 23:00
研究員さんの手の中にある二つの歯車。
もう動かないそれから、私も、園田くんも、目が離せなかった。
研究員
光は、最後まであなたたちを心配していました。
ずっと一緒に居たかった、とも話してました
歯車を見つめながら静かに話す研究員さんの言葉は、
まるでしみ込むように私たちの耳に入ってくる。
研究員
光は人間の様々な感情に触れ、日々データを収集し、
自身をアップデートしていました。
喜怒哀楽といったはっきりした感情だけでなく、
もっと複雑で繊細な感情もすべて知りたがっていた
研究員
でもそれは、光にとって、アンドロイドにとって負担が大きすぎたんです
水瀬くんの体調が悪くなったのは、ヒートを起こしていたからだという。
アンドロイドの処理能力を超えた感情までもアップデートしようとして。
研究員
自力で帰ってこれないほどの不調に陥っても
光は大規模なメンテナンスを拒んだんです。……忘れてしまうから
野間しおん
野間しおん
わ、わすれる……?
尋ね返した私に、研究員さんは優しい笑みを浮かべてくれた。
研究員
膨大なデータの蓄積が不調の原因だったので、
それを取り除くことで負担は軽減されるとわかっていました。でも……
園田 類
園田 類
データを消せば不調は治るけど、学んできたものも消えてしまうってことか
研究員
そういう事です。
光は、今まで自分が接した人から受け取った感情を、
ひとつも忘れたくなかったんです
研究員
光ほど、人の複雑な感情を理解したアンドロイドはいませんでした
そう言って、研究員さんは手のひらに乗せた歯車を撫でた。
研究員
……違いますね、こういう事を言いたいんじゃないんです
歯車を見つめる研究員さんの顔は切なそうで、そして愛おしそうだった。
研究員
あの子は優しかったんです。そして、人と同じように愛情を持っていました。
人工的に作られたものではなく、人と関わっていく中で自然と身に着けた、
あの子自身の心です
だから、と続けた研究員さんが、顔を上げて私たちを見る。
潤んだその目に引きずられて、私の目の奥もじん、と痛んだ。
研究員
これは光にとって、最大の愛情表現であり、
光の、初めての我儘だったんだと思います
水瀬くんは、もう動けるような状態じゃなかった。
また動けるようになるには、これまで蓄積したデータを消していくしかない。
だけど、水瀬くんはそれを拒んだ。
すべてを抱えたまま「水瀬光」として壊れることを望み、
彼が学んだ感情が他のアンドロイドたちに引き継がれることを願った。
彼の「後輩」たちが、この先もっと人に寄り添えるように。
研究員
あの子が何かを強く望んだのは初めてでした。
……きっと、あなたたちの影響なんでしょうね
野間しおん
野間しおん
え……?
研究員
光は人に寄り添って癒す自分の役割に誇りを持っていました。
同時に、自分が関わってきた人たちを
忘れたくないという気持ちが強かったんです
研究員
あなたたち二人のことも……
自殺させてしまった子のことも、心から愛してたから
研究員さんからの目から涙が零れ落ちた。

あぁそうだ、水瀬くんは、研究員さんを「親のようだ」と言っていた。
それは立場上の話だけではなく、本当に親のように接してもらってたんだ。
息子のように思っていた水瀬くんがいなくなることは、
研究員さんにとってどれほど辛かったことだろう。
研究員
ここでの生活は本当に楽しそうでした。
日々のレポートでも、あなたたちのことを嬉々として話すんです
研究員
本当に人間の高校生のようでした
研究員さんの言葉に、その様子が目に浮かぶ。
水瀬くんは本当に園田くんを、そして私のことも愛してくれていた。
水瀬 光
水瀬 光
『僕はこの先も、ずっと二人を愛してるよ』
あの言葉は嘘なんかじゃなかった。
そしてきっと、あの時の水瀬くんには分かっていたんだ。
こうして、一緒に居られなくなることが。
すべてを理解した瞬間、今までに感じたことのない感情が一気に溢れ出てきた。
涙と嗚咽が止まらない。
立っているのも難しくなった私を支えてくれる園田くんの目にも、
これまで見たことがない涙が浮かんでいた。

それを見ても、もう悔しいなんて思わなかった。
だって、水瀬くんはそれほどまでに大きな存在だったから。
彼はどんな気持ちであの最後の日を過ごしたんだろう。
アンドロイドとして生き続けるよりも、私たちとの思い出を抱えて壊れることを選んだ水瀬くん。

なのに醜い嫉妬をした私は彼が贈ってくれた愛に、「私もだよ」と返すことが出来なかった。




もし、あの日に戻れたら、「ありがとう」も「嬉しい」も全部ひっくるめて言いたい。
「私も愛してるよ」って。

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