第5話

死後の恋 三 1
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2022/07/02 11:00
 私は頭がシインとなるほどの打撃を受けてしまいました。そうしていた口がふさがらないまま、リヤトニコフの顔と、宝石の群れとを見比べておりますと、リヤトニコフは、その、いつになく青白い頬を心持ち赤くしながら、何か云い訳でもするような口調で、こんな説明をしてきかせました。
リヤトニコフ
これは今まで誰にも見せたことのない、僕の両親の形見なんです。過激派の主義から見ればコンナものは、まるで麦の中の泥粒どろつぶと同様なものかも知れませんけれども……ペトログラードでは、ダイヤや真珠が溝泥どぶどろの中に棄ててあるということですけれども……僕にとっては生命いのちにも換えられない大切なものなのです。……僕の両親は革命の起る三箇月前……去年の暮のクリスマスの晩に、これを僕にれたのですが、その時に、こんな事を云って聞かせられたのです。
リヤトニコフ
……この露西亜ロシアには近いうちに革命が起って、私たちの運命をほうむるようなことに成るかも知れぬ。だからこの家の血統を絶やさない、万一の用心のために、誰でも意外に思うであろうお前にこの宝石を譲ってコッソリとこの家からい出してしまうのだ。お前はもしかすると、そんな処置を取る私たちの無慈悲さをうらむかもしれないけれども、よく考えてみると私たちの前途と、お前の行く末とは、どちらが幸福かわからないのだ。お前は活溌な生れ付きで、気象きしょうもしっかりしているから、きっと、あらゆる艱難辛苦かんなんしんくに堪えて、身分を隠しおおせるだろうと思う。そうして今一度私たちの時代が帰って来るのを待つことが出来るであろうと思う。
リヤトニコフ
……しかし、もしその時代が、なかなか来そうになかったならば、お前はその宝石の一部を結婚の費用にして、家の血統を絶やさぬようにして、時節を見ているがよい。そうして世の中がもとにかえったならば、残っている宝石でお前の身分を証明して、この家を再興するがよい……。
リヤトニコフ
 ……と云うのです。僕はそれから、すぐに貧乏な大学生の姿に変装をして、モスコーへ来て、小さな家を借りて音楽の先生を始めました。僕は死ぬ程音楽が好きだったのですからね。そうして機会おりを見て伯林ベルリン巴里パリーへ出て、どこかの寄席よせか劇場の楽手になりおせる計画だったのですが……しかしその計画はスッカリ失敗に帰してしまったのです。その頃のモスコーはとても音楽どころか、明けても暮れてもピストルと爆弾の即興交響楽で、楽譜なぞを相手にする人は一人もありませぬ。おまけに僕は間もなく勃興ぼっこうした赤軍の強制募集に引っかかって無理やりに鉄砲を担がせられることになったのです。
リヤトニコフ
 ……僕が音楽を思い切ってしまったのはそれからの事でした。何故なぜ思い切ったかっていうと、僕の習っていた楽譜はみんなクラシカルな王朝文化式のものばかりで、今の民衆の下等な趣味には全く合いません。そればかりでなく、ウッカリ赤軍の中で、そんなものをやっていると身分がれるおそれがありますからね。……ですから一生懸命にすきを見つけて、白軍の方へ逃げ込んで来たのですが、それでもどこに赤軍の間諜かんちょうが居るかわかりませんからスッカリ要心をして、口笛や鼻唄にも出しませんでしたが、その苦しさといったらありませんでした。上手なバラライカや胡弓こきゅうを聞くたんびに耳を押えてウンウン云っていたのですが……そうして一日も早く両親の処へ帰りたい……上等のグランドピアノを思い切って弾いてみたいと、そればかり考え続けていたのですが……。

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