第13話

死後の恋 五 3
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2022/08/27 11:00
 そんな光景を見まわしている間が何分間だったか、何十分だったか、私は全く記憶しません。そうして胸を抉られた下士官の死骸を見つめている時には、自分の胸の処を、ボタンが千切れる程強く引っ掴んでいたようです。咽喉のどを切り開かれている将校を見た時には、血の出るのも気付かずに、自分の咽喉仏の上を掻きむしっていたようです。下腭したあごを引き放されて笑っているような血みどろの顔を見あげた時には、思わず、ハッハッとあえぐように笑いかけたように思います。
 ……現在の私が、もし人々の云う通りに精神病患者であるとすれば、その時から異常を呈したものに違いありません。
 すると、そのうちに、こうして藻掻もがいている私のすぐ背後で、誰だかわかりませんがかすかに、いきをしたような気はいが感ぜられました。それが果して生きた人間のため息だったかどうかわかりませんが、私は、何がなしにハッとして飛び上るように背後うしろをふり向きますと、そこの一際ひときわ大きな樹の幹に、リヤトニコフの屍体が引っかかって、赤茶気あかちゃけた枯れ葉のほのおにユラユラと照らされているのです。
 それはほかの屍体と違って、全身のどこにも銃弾のあとがなく、又虐殺された痕跡も見当りませんでした。唯その首の処をルパシカの白い紐で縛って、高い処に打ち込んだ銃剣に引っかけてあるだけでしたが、そのままにリヤトニコフは、左右の手足を正しくブラ下げて、両眼を大きく見開きながら、まともに私の顔を見下しているのです。
 ……その姿を見た時に私は、何だかわからない奇妙な叫び声をあげたように思います。……イヤイヤ。それは、その眼付が、怖ろしかったからではありません。
 ……リヤトニコフは女性だったのです。しかもその乳房は処女の乳房だったのです。
 ……ああ……これが叫ばずにおられましょうか。昏迷こんめいせずにおられましょうか。……ロマノフ、ホルスタイン、ゴットルブ家の真個ほんとうの末路……。
 彼女……私は仮りにそう呼ばせて頂きます……彼女は、すこしおくれて森に這入ったために生け捕りにされたものと見えます。そうして、その肉体は明らかに「強制的の結婚」によって蹂躙じゅうりんされていることが、その唇を隈取っている猿轡さるぐつわ瘢痕あとでも察しられるのでした。のみならず、その両親の慈愛のたまものである結婚費用……三十幾粒の宝石は、赤軍がよく持っている口径の大きい猟銃を使ったらしく、空砲にめて、その下腹部に撃ち込んであるのでした。私が草原くさはらっているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったのでしょう……そこの処の皮と肉が破れ開いて、内部なかからてのひらほどの青白い臓腑がダラリと垂れ下っているその表面に血にまみれたダイヤ、紅玉ルビー青玉サファイヤ黄玉トパーズの数々がキラキラと光りながらねばり付いておりました。

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