第8話

死後の恋 三 4
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2022/07/23 11:00
 ……というのは、この眼の前の青年……本名は何というのか、まだわかりませんが……リヤトニコフと名乗る青年が、この際ナゼこんなものを私に見せて、これ程の重大な秘密を打ち明ける気になったかという理由がサッパリわからない事です。もしかしたらこの青年は、私が貴族の出身であることをアラカタ察していて……且つは親友として信頼し切っている余りに、胸に余った秘密の歎きと、苦しみとを訴えて、慰めてもらいに来たのではあるまいかとも考えてみましたが……。それにしては余りに大胆で、軽卒で、それほどの運命を背負って立っている、頭のいい青年の所業しわざとはどうしても思われませぬ。
 それならばこの青年は一種の誇大妄想狂みたような変態的性格の所有者ではないか知らん。たった今見せられたおびただしい宝石も、私の眼を欺くに足るほどの、巧妙を極めた贋造物にせものではなかったかしらん。……なぞとも考えてみましたが、いくら考え直しても、今の宝石はそんな贋造物にせものではない。正真正銘の逸品揃いに違いないという確信が、いよいよ益々高まって来るばかりです。
 ……しかし又、そうかといってこの青年に、
何故なぜその宝石を僕に見せたんですか
 なぞと質問をするのは、私に接近しかけている危険な運命の方へ、一歩を踏み出すことになりそうな予感がします。
 ……で……こうして色々と考えまわした、結局するところ……いずれにしてもこの場合は何気なくアシラッて、どこまでも戦友同志の一兵卒になり切っていた方が、双方のために安全であろう。これからのちも、そうした態度でつき合って行きながら、様子を見ているのが最も賢明な方針に違いないであろう……とこう思い当りますと、根が臆病者の私はすぐに腹をきめてしまいました。前後を一渡り見まわしてから、如何にも貴族らしく、鷹揚おうようにうなずきながら二ツ三ツ咳払せきばらいをしました。
そんなものは無暗に他人ひとに見せるものではないよ。僕だからいいけれども、ほかの人間には絶対に気付かれないようにしていないと、元も子もない眼に会わされるかも知れないよ。しかし君の一身上に就いては、将来共に及ばずながら力になって上げるから、あまり力を落さない方がいいだろう。そんな身分のある人々の虐殺や処刑に関する風説は大抵二、三度宛伝わっているのだからね。たとえばアレキサンドロウィチ、ミハイル、ゲオルグ、ウラジミルなぞいう名前はネ
 と云い云い相手の顔色をうかがっておりましたが、リヤトニコフの表情には何等の変調もあらわれませんでした。かえってそんな名前をきくと安心したように、長い溜め息をしいしい顔を上げて涙を拭きますと、何かしら嬉しそうにうなずきながら、その宝石のサックを、又も内ポケットの底深く押し込みました。
 ……が……しかし……。私は決して、作り飾りを申しません。あなたにさげすまれるかも知れませんけど……こんなお話に嘘を交ぜると、何もかもわからなくなりますから正直に告白しますが……。
 手早く申しますと私は、事情の奈何いかんに拘わらず、その宝石が欲しくてたまらなくなったのです。私の血管の中に、先祖代々から流れ伝わっている宝石愛好慾が、リヤトニコフの宝石を見た瞬間から、見る見る松明たいまつのように燃え上って来るのを、私はどうしても打ち消すことが出来なくなったのです。そうして
もしかすると今度の斥候せっこう旅行で、リヤトニコフが戦死しはしまいか
というような、頼りない予感から、是非とも一緒に出かけようという気持ちになってしまったのです。うっかりすると自分の生命いのちが危いことも忘れてしまって……。
 しかも、その宝石が、間もなく私を身の毛も竦立よだつ地獄に連れて行こうとは……そうしてリヤトニコフの死後の恋を物語ろうとは、誰が思い及びましょう。

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