第9話

死後の恋 四 1
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2022/07/30 11:00
 私共の居た烏首里ウスリからニコリスクまでは、鉄道で行けば半日位しかかからないのでしたが、途中の駅や村を赤軍が占領しているので、ズット東の方に迂廻して行かなければなりませんでした。それは私共の一隊にとっては実に刻一刻と生命いのちを切り縮められるほどの苦心と労力を要する旅行でしたけれども、幸いに一度も赤軍に発見されないで、出発してから十四日目の正午頃に、やっとドウスゴイの寺院の尖塔せんとうが見える処まで来ました。
 そこは赤軍が占領しているクライフスキーから南へ約八露里(二里)ばかり隔った処で、はてしもない湿地の上に波打つ茫々ぼうぼうたる大草原の左手には、烏首里鉄道の幹線が一直線に白く光りながら横たわっております。その手前の一露里ばかりと思われる向うには、コンモリとしたまん丸い濶葉樹かつようじゅの森林が、ちょうどクライフスキーの町の離れ島のようになって、草原くさはらのまん中に浮き出しておりました。この辺の森林という森林は大抵鉄道用にってしまってあるのに、この森だけが取り残されているのは不思議といえば不思議でしたが……その森のまん丸く重なり合った枝々の茂みが、草原の向うの青い青い空の下で、真夏の日光をキラキラと反射しているのが、何の事はない名画でも見るように美しく見えました。
 ここまで来るともうニコリスクが鼻の先といってよかったので、私共の一隊はスッカリ気がゆるんでしまいました。将校を初め兵士達も皆、腰の処まである草の中から首をもたげて、やっと腰を伸ばしながら提げていた銃を肩に担ぎました。そうして大きな雑草の株を飛び渡り飛び渡りしつつ、不規則な散開隊形をって森の方へ行くのでしたが、間もなく私たちのうしろの方から、涼しい風がスースーと吹きはじめまして、何だか遠足でもしているような、悠々とした気もちになってしまいました。先頭の将校のすぐうしろにいているリヤトニコフが帽子を横ッチョにかぶりながら、ニコニコと私をふり返って行く赤い頬や、白い歯が、今でも私の眼の底にチラ付いております。
 その時です。多分一露里半ばかり距たっている鉄道線路の向う側だったろうと思いますが、不意にケタタマシイ機関銃の音が起って、私たちの一隊の前後の青草の葉を虚空こくうに吹き散らしました。そうしてアッと驚く間もなく、そのうちの一発が私の左のももを突切って行ったのです。
 私は一尺ばかり飛び上ったと思うと、横たおしに草の中へたおれ込みました。けれども、それと同時に「傷はももだ。生命いのちに別状は無い」と気が付きましたので、草の中に尻餅しりもちを突いたままワナワナとふるえる手で剣を抜いてズボンを切り開くと、表皮と肉をえぐり取られた傷口へシッカリと繃帯ほうたいをしました。そのうちにも引き続いて発射される機関銃の弾丸は、ピピピピピと小鳥の群れのように頭の上をかすめて行きますので、私は一と縮みになって身を伏せながら、仲間の者がどうしているかと、草の間から見まわしました。こんな処で一人ポッチになるのは死ぬより恐しい事なのですからね。
 しかし私の仲間の者は、一人も私が負傷した事に気づかないらしく、皆銃を提げて、草の中をこけつまろびつしながら向うのまん丸い森の方へ逃げて行くのでした。今から考えると余程狼狽ろうばいしていたらしいのですが、そのうちに、どうしたわけか機関銃の音が、パッタリとんでしまいましたけれども、私の戦友たちは、なおも逃げるのをめません。やがて、その影がだんだんと小さくなって、森に近づいたと思うと、先登せんとうに二人の将校、そのあとから十一名の下士卒が皆無事に森の中へ逃げ込みました。その最後に、かなり逃げおくれたリヤトニコフが、私の方をふり返りふり返り森の根方を這いのぼって行くのがよく見えましたが、ウッカリ合図をして撃たれでもしては大変と思いましたので、なおも身をかがめて、足の痛みを我慢しながら、一心に森の方を見守って、形勢がどうなって行くかと心配しておりました。

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