甘い味が唇を濡らす。
ずっと求めていた甘い香り――
上嶋くんが、私を呼ぶ声。
ずっと呼んでほしかった私の名前。
ポケットに感じる重み。
君にもらった大切な、私の好物。
目の前の首筋から真っ赤な血が、ぷくりと溢れる。
私は何を――
突き飛ばすようにして私は彼から離れる。
さあっと胸の底が冷えるような後悔と罪悪感、絶望が私に押し寄せる。
ドッッッッッッ
上嶋くんが私に抱きついてきて、地面に転がる。
さっきいた場所に衝撃音が降ってきて鉄片やガラスが舞い散った。
パラパラと鈍い光が降る中で、三好先輩は突き刺さった鉄パイプを二つ抜いた。
上嶋くんは私を抱きしめながら叱る。
私がつけた彼の首の傷は浅く、血は出ているが滲む程度だ。
立ち上がった上嶋くんは私を守るように背にして、折りたたみナイフを取り出す。
柄の下を引っ張って、かしゃしゃっと、あっという間にナイフが槍のようになる。
カキン! カキン!
上嶋くんは二本の鉄パイプを振り回す三好先輩の攻撃を槍で受け流した。
手数が多い三好先輩の隙を伺っているが、なかなか猛勢はやまない。
下がってろと言われても、人間と食人鬼じゃ敵うはずがない。
上嶋くんが鉄パイプを受け止めたが、そのまま三好先輩に力で押され、ずずっ……と足が後ろに下がる。
私は走った――はやく、上嶋くんを助けなきゃ。
ばきりと柄が折れて、無防備な上嶋くんに三好先輩は鉄パイプを振りかぶる――
二人が戦っている間に、ごみの山の間を走り抜けて三好先輩の背後に私は回っていた。
そして彼が油断した隙に拾った鉄板で力一杯彼の頭を叩いたのだ。
頭を抱えて、三好先輩は呻きながらとさりと倒れ込む。
私も力が抜けて、錆びた鉄板が手から滑り落ちる。
そして私も荒い呼吸をしたままその場に尻もちをついてしまった。
上嶋くんは深い溜め息をついて私の前に立った。
安堵と恐怖と、一瞬でも上嶋くんを喰べようとした罪悪感、そんないっぱいいっぱいな感情で震えがこみ上げてくる。
瞳がじんわりと痛くなって、もう溢れそう――
ぐに。
口元の皮膚が横にぐにっと引っ張られる感覚。
上嶋くんは私の頬をぐいぐい引っ張っていた。
私の顔で遊んでいる上嶋くんの手を掴んで押しのけた。
上嶋くんがいたずらっ子みたいに笑う。
私はこういう上嶋くんの顔に弱いんだ。
上嶋くんなりの気遣いのつもりだったらしい。
もう、いつもわかりづらいんだからこいつは。
してやったりみたいな顔で笑う上嶋くんに少しムカついたから。
彼の、名前を呼んだ。
ぽかんと豆鉄砲をくらった鳩みたいな顔をする彼。
呼ぶのは正直恥ずかしい。でもここで呼ばなきゃ、もう呼べない気がした。
私は慌てる彼の言葉に聞く耳を持たずレモン牛乳を飲み始める。
うん、この苦くてほのかな甘みがやっぱり好きだ。
彼は口元を片手で隠し、目を逸した。
小さく絞り出された声。彼の瞳は水面のように光が揺れている。
今まで見たことがない、恥ずかしそうな顔で瞼を伏せていた。
口が開いてしまい、くわえていたストローがへにょっと向きを変える。
どっっっっと体温が爆発するみたいに上がって、頭が沸騰した。
あわあわと名前を訂正して、私達は美空の元に向かおうとする。
――ぴくりと、三好先輩の指先が動いたような気がした。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。