第2話

芋粥 2
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2021/09/18 23:00
 所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄ほんろうしようとした。年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落しやれを聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂いはゆる興言利口きようげんりこうの練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲ひんしつして飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけくちの女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、しばしば彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等ははなはだ性質たちの悪い悪戯いたづらさへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝ささえの酒を飲んで、あと尿いばりを入れて置いたと云ふ事を書けば、その外はおよそ、想像される事だらうと思ふ。
 しかし、五位はこれらの揶揄やゆに対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、かうじすぎて、まげに紙切れをつけたり、太刀たちさやに草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、
五位
いけぬのう、お身たちは。
と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、おぼろげながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波たんばの国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑けいべつした。所が、或日何かの折に、
五位
いけぬのう、お身たちは
と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さをあらはすやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味いちみの慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……
 しかし、それは、唯この男一人に、限つた事である。かう云ふ例外を除けば、五位は、依然として周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて行かなければならなかつた。第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍あをにびの水干と、同じ色の指貫さしぬきとが一つづつあるのが、今ではそれが上白うはじろんで、あゐとも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴きくとぢの色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車をいてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それにいてゐる太刀も、頗る覚束おぼつかない物で、つかの金具も如何いかがはしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦ばかにするのも、無理はない。現に、かう云ふ事さへあつた。……

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