見知らぬ風景にゆづるは目を瞬かせた。
真夜中のはずなのに、夕焼け色に染まる空。目の前にはあぜ道が真っ直ぐと伸びていて、その先には古い日本家屋の瓦屋根がぽつぽつと見えている。
足を一歩を進めようとした瞬間、トンネルの方から生暖かい風が吹き付けてきてゆずるははっと我に返る。
閉じられたはずのトンネルが通じているなんて有り得ない。
寒いくらいに全身に鳥肌が立つ。絶対にこの先に進んではいけない気がした。
友人たちはまだトンネルの中にいるはずだ。
だってトンネルは片側が閉じられた一方通行で外に抜けられるはずがないんだから。
トンネルをくぐり抜けたのはなにかの間違いで、気のせいだ。
ゆづるは何も見なかったことにして踵を返した。
悪戯好きの彼らのことだ。
自分が怖がってトンネルの中をきちんと見ずに走っていたから面白がってわざとすれ違ったに決まっている。今頃トンネルの中で三人で息をひそめてほくそ笑んでるに違いない。
そうだ。きっとそうだ。
さっきアユミの悲鳴だって、自分をこのトンネルの中に入れるための演技だったんだ。
その作戦にまんまと引っかかった自分に嫌気がさす。
不安と恐怖で声が震える。
彼女達から返事はまだない。十分怖がったから脅かすつもりならひと思いにやってほしい。
こっちはもう汗で髪が顔に張り付いて気持ち悪くてたまらないのに。
だが、ゆづるの望みはそこで潰えた。
スマホのライトが、固いコンクリートの壁を照らし出す。そこはいき止まりだった。
さっき入ってきたはずのトンネルの入口。友人の車が止まっていたはずの山道には戻ることができなかった。
そしてここに来るまで、彼らとすれ違うことは一切なかったのだ。
壁に手を当てると、ひんやりとしたコンクリートの冷気が伝わってくる。
最早恐怖よりも疑問のほうが勝っていた。一体なにが起きたのだと、ゆづるは周囲を見回した。
ライトでトンネルの下から上をすうっと照らす。するとあることに気がついた。
猫が爪とぎをしたような、ひっかき傷が見えた。
それも一つじゃない。一歩、二歩と後ろに下がり照らす範囲を広げたゆづるは息をのんだ。
いき止まりの壁全体に無数のひっかき傷ができていた。
それだけじゃない、人間の手形もだ。地面のすれすれから明らかに普通の人間が届かないであろう天井にかけてびっしりと。
あまりの恐怖に悲鳴もでなかった。
きっと友人たちもこれを見たんだ。だからあんな悲鳴を――。
その時また風が吹いた。
足元から吹き付けるような生暖かい風。
トンネルの中に反響する音がまるで化け物のうなり声に聞こえて、ゆづるはいてもたってもいられず駆け出した。
訳も分からずゆづるは走った。
目には涙が滲んでいる。今すぐ泣き叫びたい気分だった。
出口に差し掛かると見えてくる茜空。あれほど不気味に感じていた光景なのになぜか酷く安心できた。まるでこちらに来いと誘っているかのようだ。
トンネルを抜け、ゆづるは息を整えた。
道は一本しかないから必ず友人を見つけられるはず。
集落の方へ進んでいく。もし人が住んでいるのであれば、彼らのことを見た人がいるかもしれない。
背後から声をかけられ振り向くと、そこには農作業中の村人らしき男性が立っていた。
抑揚のない声でもう一度問われる。
麦わら帽子におちた影で表情はよく見えない。でも、人がいたことにゆづるはとても安堵した。
村人が近づいてくる。なんだか様子がおかしい。
ゆづるの心には恐怖が蘇り、思わず一歩後ずさった。けれど村人は距離を詰めてくる。
地面に不自然なほど伸びる長い影がゆづるを覆った。
村人はゆづるの腕を掴み、顔を近づけた。
その瞬間、彼の顔が露わになる。
その顔は真っ黒なクレヨンで乱雑に塗りつぶされたかのようだった。
表情は一切窺えない。ただ、耳先まで裂けているような大きな口がぱっくりと開き今にもゆづるを喰らおうとしている。
よく見ると彼女の腕を掴むその手も、同じように真っ黒だった。
骨が軋むほど、強く腕を掴まれる。
恐怖でゆづるは声も出せず、ただ茫然とその化け物を見あげることしかできなかった。
背後から聞こえてきた声に、ゆづるは咄嗟に頭を下げる。
その瞬間、頭上を切り裂くような風の音が通り過ぎた。
なにか固い物がめり込むような嫌な音がして、腕の圧迫感が消えていく。
手を離された衝撃で、ゆづるはそのまま地面に尻餅をつく。
村人は倒れ、二人の間に一人の少年が降り立った。
彼はゆっくりとこちらを振り向く。
手にはへこんだ金属バット。夏用の制服姿に、黒い狐のお面で目元を隠した謎の少年がゆづるを見下ろしていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。