日ソ英VS世界
第一次世界大戦後、日米対立は明確になった。
ワシントン会議によって日本の中国進出を止めようとした。
しかし、史実と違う点が出てきた。
それは、日英同盟に関するものだった
アメリカは四か国条約において、太平洋の情勢の不変を決めるが、日英同盟の解消は迫らなかった
これが世界を狂わせた
ドイツではガルスマ性を持った者は現れず、ついにその潜在能力を引き出すことは無かった
しかし、ソ連に対する防波堤が消えたことで、ソ連の東欧進出が行われることになった。
結果、世界からソ連は孤立することになる。
しかし、そんな中で事件は起こった。
長年対立してきたシリアに駐留していたフランス軍が、イラクにあるイギリス軍基地を攻撃したのだ。
すぐさまアフリカやアジアに飛び火し、英仏間における戦争が起こった。
日本は第一次世界大戦と同様に日英同盟を理由にフランスへ宣戦布告。仏領インドシナへ進軍を開始した。
フランスへの支援を表明していた米蘭などは日英に宣戦布告。第二次世界大戦が勃発した。
そんな中、アメリカと対立していたソ連に日英が急接近し、日英同盟にソ連を加えた日ソ英三国同盟を締結。
海軍世界第1位と3位、陸軍世界第1位の同盟に世界各国は焦り、国際連盟を改め、国際連合をつくり、日ソ英三国同盟に宣戦布告を行った…
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update 2024/04/29