ざわめく廊下に出て、隣のクラスの方へ歩く。それだけでどきどきして、体温が上がっていくのがわかる。
開き切ったドアに持たれて話している男子に快を呼んでくるように頼んで、その間に、手のひらの冷たさで頬が熱いのを冷やそうとした。まあ、間に合わなかったけれど。
言葉の最後の方がしぼんでいった私の言葉を聞き取って、快が少し考えた。
言い終わったあと、顔を上げると、快と真っ直ぐに目が合って、一気に緊張が押し寄せてきた。初めて話したときのようだった。
快は右手で口元を抑えて私と目を逸らした。どういう気持ちでこれをしているのか、私には分からないけど、ときめいてしまう。
そして彼は視線だけをこちらに戻して、小さく、行く、と呟きながら頷いた。
私は嬉しくてたまらなかった。けれど、悟られてはいけない。平常心を装って、また、連絡するね、と笑顔を向けた。
自分の教室に戻ると美涼が大きな声を上げた。そのせいでクラスメートの視線を集めてしまった。私は普段目立つタイプでもないから、これにどう対応していいのか分からない。
しばらくの沈黙が流れたあと、正流が教室中に言うように声を出した。
さすがはムードメーカー。一気にみんながその話をしだした。女子は友達同士で私の好きな人は誰かと予想し合っていた。正流のグループの男子は正流を中心に詰め寄って尋ねてきた。
うざったいなあ、といらいらし始めていると、横で小さく美涼が手を合わせて、ごめんと呟いた。大丈夫、と声にならない笑顔を向けたとき、教室の端の方から声が聞こえた。誰かはわからなかった。男子だったのか、女子だったのかさえもわからない。
え、でも御影さんの好きな人って正流じゃないの?
いっつも一緒にいる気がするし…
そこまでいらいらしていなかったはずなのに、干渉しないで、という気持ちが強くなってきて、思わず立ち上がって、大声が出てしまった。
そこまで言ってからはっとして口を抑えた。
言いすぎたかもしれない。いや、多分言いすぎた。
クラスのみんなは普段聞かない私の大声にびっくりするとともに、言葉の内容に困惑を隠しきれないように見えた。
きまずい。自分でしてしまったってことはわかってる。でも、本当に嫌だ。この雰囲気なにより自分のことが。そんな空気を割ったのは、またしても正流だった。
有難いことに、みんなその話に乗っかってくれたから、私は一安心で息をひとつついた。
酷いことを言ったかもしれない。私が正流に恋をしていないことには変わりないけれど、あんな言い方することなかった、よね。あんなこと言っても一応友達なわけだから…
私たち二人と正流のグループは教室の隅と隅に離れて、視線を向けようとしても、いろんな物に遮られてできなかった。
結局謝ることも出来ないまま、昼休みが終わった。
放課後になると、正流はどこかの部活の練習に顔を出しに行ってしまったから、また声をかけられなかった。重い気持ちを引きずりながら委員会に向かった。
風紀委員が使っている3年のフロアの空き教室からは、静かでしんとした空気が伝わってきた。きっと誰もいないか、いても1人、2人だろう。来学期からは、ここに正流と来るのか、と思いながらドアをひこうとした。
後ろから声をかけた赤築さんは、去年まで風紀委員の委員長をしていた先輩だ。この二学期から受験勉強があるから3年の生徒会は引退だったので、赤築さんも委員長をやめた。それでも、こうして今でも、たまに委員会に顔を出してくれる本当にいい先輩だ。
目を細めて笑う先輩は、どこをどう見ても優しい雰囲気をまとっていて、一緒にいて安心出来る。
私は、今となっては立派に仕事をこなしているつもりだが、なりたての頃は右も左も分からない、というレベルを通り越して、みんなの足を引っ張っていた。そんなときに熱心に指導して、支えてくれたのが赤築さんなのだ。私はこの先輩に、恩しかない。
そうこうしていると、委員会室のドアがガラガラと音を立てて開いた。顔を出したのは、後輩の青木くんだった。
青木くんは1年のくせにすらりと高い身長で、私を見下ろした。学年では優しい王子様と呼ばれているらしい彼は、私からすると、そんな噂、嘘でしょうと思うくらいに意地悪で、しつこく絡んでくる後輩である。
また今日も冷たいし、それに赤築さんとの対応も違う…少し悔しかった。
またもや見下ろされて目を逸らしてから頷いた。私は背が低い訳では無いのに、高身長の2人に挟まれると、なんだか虚しくなってしまう。
胸元でゆっくり手を振った先輩に会釈をした。赤築さんが振り返って足を動かした瞬間、腕を強く引かれ、教室に引き込まれた。これは紛れもなく青木くんの仕業だ。また始まった。青木くんの意地悪が。
力強く引かれ、後ろ向きに体が倒れそうになった。
薄暗い教室に、強く、冷たく青木くんの声が響いた。少しだけ恐怖を感じてしまった。
ずきりと突き刺さるような視線を、私の目に送る。恐怖しか感じないはずなのに、どこか寂しげに見えるのは、どうしてだろうか。
そもそも、初めてあった頃はこんな風ではなかった。もっと優しくて、可愛らしい雰囲気だったはずだったのに、どうして…
昨日私はこの部屋で眠ってしまった。でもそれは人が私一人だったからであって、それをまさか青木くんに聞かれるなんて思ってもいなかった。その上寝言で快の名前をよんでいたなんて余計に恥ずかしい。顔が赤くなっていくのがわかった。嫌になるくらいに心臓がばくばくした。これは、青木くんに知られて焦っているからだろう。
腰を折り曲げた青木くんと顔が近づいた。下から覗き込まれて、どうしていいのか分からなくなって、思い切り顔を背けた。
久しぶりに聞いた優しい声に驚いた。へ?、と間抜けな声と共に目を合わせると、再び真っ直ぐな視線とぶつかって、戸惑ってしまった。
そう、耳元で囁かれたと思ったら、左手を握られた。絡んだ手と近い距離に、少しだけ、どきりとした。もう、やめて欲しい、そう思って顔を上げた。
青木くんの手が私の肩を捉えたとき、ちょうどドアが開いて、2年の女の子が2人入ってきた。
2人は青木くんを見るなり、青木くん可愛い、とか今度遊ぼうね、とか言っている。
急いで離れた二人の距離は、どこかもどかしくて、触れられたところがじわりと熱くなった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。