第12話

八話後編
4
2022/07/11 02:06
楪寿音
……で、こんなところまで来た感想は?
大洞隆之
超、無駄足!!
楪寿音
だと思った。
都心部と反対の方向へ歩いていけば、山か海のどちらかに辿り着くのは必然ーーそして私達は山の麓に来ていた。車より虫の方が喧しい。
大洞隆之
俺は冒険してるみたいで楽しかったけど……寿音には悪かったね。情けなくてごめん。
楪寿音
別に、それでも家にいるよりはマシだからいい。
大洞隆之
そう言ってくれると救われるよ……ありがとう。せめて帰りの電車賃くらいは俺が出すよ。
楪寿音
そう?じゃあ遠慮なく。
距離的に歩いて帰られないこともないが、電車の方が楽なので、ここまで来る道すがらそういう話をしていた。
で、今は最寄りの駅まで向かっている最中である。
大洞隆之
……思ったんだけど、電車ちゃんと来るかな?
楪寿音
さすがにそこまで田舎じゃないでしょ。地元から歩いて来れたんだから。
大洞隆之
それもそっか。
ーーとは言ったものの。
通行人も車もそれほど居らず、建物は精々二階まで、田畑が占める土地面積の割合がその他と比べて圧倒的ーーそんな絵に描いたような田舎風景は、生では見たことがなかったため新鮮である。

それと、空気がおいしい、という言葉の意味を初めて理解出来た。
大洞隆之
あ、あったよ駅ーーって古臭っ。
楪寿音
……サビサビじゃん。色々。屋根もトタンだし。
大洞隆之
ま、まあ木造よりは近代的ってことで。
楪寿音
いや大して変わんないから。人もいないし。
そんな閑古鳥が鳴く駅だったけど、三十分ほど経てば電車が来ることが分かったので切符を購入。私達はホームのベンチに座った。
大洞隆之
……
楪寿音
……
ーー静かだ。

なんだかんだ未だ心境を明かせていないし、話すなら今かな。
楪寿音
大洞君。
大洞隆之
なあに?
楪寿音
アンタ、私に笑ってほしいの?
大洞隆之
……?
そりゃそうさ、俺は寿音に笑顔で溢れるような世界を見せたいんだから。
ーーそんなくさいセリフ、よく言えるな。
楪寿音
だったらさ。
大洞隆之
こ、寿音?
いつしか離していた手を、もう一度握る。そして大洞君の目を真っ直ぐに見つめた。

ーーとても澄んだ瞳だ。そこにあるのは、何一つ穢れを知らない子供のような純粋さ。私の、死んだ魚のような目とは真逆の輝きを放っている。


そこに私が入り込めば、濁ることは必至。


大洞君は、私を受け入れてくれるだろうか。
楪寿音
ーー私のこと、守ってよ。
大洞隆之
……寿音?
楪寿音
景色の違う見え方とか、物事の違う考え方とか、笑顔で溢れるような世界なんて、そんなの私には眩しいだけ。しかも、どれくらいの眩しさかも分からない。もしかしたら目が潰れてしまうかもしれない。
楪寿音
だったら、今のままのほうが良いって思っちゃう。暗くても明るくても、目が潰れちゃったら何も見えなくなるでしょ?明るい世界に馴染めず、暗い世界にも戻れなくならないように……守って。
大洞隆之
……
大洞隆之
……いいよ。
楪寿音
え……
その時。大洞君は、不意に私を抱きしめてきた。

ーー瞬間、色々な情報が私の脳を駆け回る。

シトラスミントの香りと、ほんの少しの汗の臭いが、私の鼻腔を擽る。華奢だと思っていたのに、思った以上に逞しい肉体。少し高めの体温。

ーーよくわかんないけど、嫌ではない。

そして、ゆっくりと背中に手を回してみれば、感じられる胸板の厚さと、彼の温もり。
大洞隆之
一生、一番近くで、寿音を守ってあげる。だから、君は安心して笑ってくれ。
楪寿音
ーー聞こえた。

確かに聞こえた。

しっかりと、それでいて優しく私を抱きしめながら、耳元で囁いた大洞君の言葉。
楪寿音
……そう。
感慨無量とはこのことか。

大洞君ーーいや。

隆之からの確固たる熱意、そして好意。

とても、とても、嬉しい。
楪寿音
……言質、取ったからね。隆之。
大洞隆之
楪寿音
ねぇ、聞いて。
大洞隆之
な、なあに?
楪寿音
昔の隆之のことはまだ思い出せない。でも私は、誠実に私のことを想って、行動してくれるあなたのことが……好きです。
大洞隆之
っ……
大洞隆之
……俺は昔、君にプレゼントを渡した。君は受け取ってくれたけど、俺の想いまでは伝わらなかったみたいで、落ち込んだ。それでも諦めなかった甲斐があった……
俺も好きだよ、寿音。
ハグする力が、お互いに強くなる。

このままひとつになってしまうようなーー強いハグ。

でも、それでよかった。今はとにかく、隆之を感じたい。
楪寿音
……ん?プレゼント?
大洞隆之
その言葉が引っかかるなり、私は自室の机の引き出しに入っている腕時計を思い出した。

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