冷たい空気が肺を握りつぶす。これは決死の逃走だった。
隣りにいる彼女の様子を伺う間もなく、あなたは博士の追手を恐れ、そして何時間も脚を動かし続けた疲労に押しつぶされていた。
何時間も行くあてもなく森林をかけた少女たちはもう、体も心も限界に近しかった。
彼女は、そう切り出した。
あなたは首を横にぶんぶん振ったが、彼女が意思を変えるつもりはないらしい。なんでと問うても、ただ、寂しそうな笑みを浮かべて、ごめんね、とつぶやくだけ。
それが意味することを察せるほどの気力も体力もあなたには残されていなかった。あなたは彼女にしたがって森のさらに深い方へ駆け出した。
鬼の機敏な五感で、少女は博士がやってくることを知っていた。だからあなたを逃がしたのだ。
皮肉を込めてそういうと、博士はクククッと笑い出した。
――違う。最も恐ろしいのは、あなたの頭脳だ。
彼女が陰で実験動物達を仲間につけていた、ということを、博士はきっと知らない。
「一緒に逃げよう」と、彼らと約束し、そのための環境をずっと整えてきたことも、そして今日の逃走が計画のトリガーをひくものであることも、さらに今までのもの全部演技で、博士の手下に見せるものであることも。
正確に言えば、すべて演技であるわけではなかった。あなたか少女か、どちらが犠牲となるかは決まらなかったから、成り行きで決める予定だったのだ。
(私になって、よかった)
あなたの目にはずっと、希望の光が差し込んでいた。すべてに絶望して、諦めた私とは違って、常に輝いていたのだ。
ならば、自分が犠牲となるのがふさわしい。
ガタイの良い、目隠しをした男に手を引かれる。いつもの乱暴な扱いに、今はなぜか安堵を感じていた。
きっと今、実験動物となっていた子供達は、言いつけ通り装置を発動させて、看守達を眠らせて逃げているところだろう。――もちろん、博士の断片も眠らせて。
やり遂げたのだ。これで、皆、救われた。子供達も、あなたも……自分自身さえも。
少女は木漏れ日を見て、枯れた涙を流した。
あなたは一息ついて、放浪者を見る。
見てしまったのだ。彼女が博士に連れて行かれるところを。それは計画にないことだった。
これが、のちのさらなる悲劇を生み出してしまったのかもしれない。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!