諏訪領の北端、中山庄までは
馬を飛ばしても半日以上かかり
わたし達が目的地に着く頃には
東の空に微かに星の光が浮かび始めていた。
村を見下ろせる林の中に馬を止め、
童共は雫の号令で一箇所に集まる。
わたしも弧次郎に抱えられて馬を降り、
そして、
「こンのハナタレドチビィィィィィィ!!!」
めっちゃぶん投げられた。
「いってぇな何すんだよモミアゲドチビ!!」
「お前俺の小袖にどんだけ涙と鼻水付けてんだよ!!背中ぐっしょぐしょで冷たいし気持ち悪ィんだけど!!?」
「雫特製の綿入り小袖は拭き心地最高だな。すっきりした」
「鼻引きちぎるぞてめぇ!!もうお前の小袖と代えろ!!」
「はあ!?嫌に決まってんだろ!おいっ脱がすな馬鹿ッ!!若君ーっ!!弧次郎が強姦しようとしてますーっ!お助けーっ!」
「人聞き悪いわッ!!」
「二人ともうるさい」
ベチンっ
と亜也子にそれぞれ頭をぶっ叩かれたわたしたちは、
引きずられる形で雫のところに連れて行かれた。
夜が来る前にさっさと偵察の手順を確認するそうだ。
因みに小袖は死守した。
「‥ヤナ、」
亜也子に引きずられるわたしに、
若君が心配そうな面持ちで駆け寄ってきた。
「その‥大丈夫か‥?」
「え?‥ああ大丈夫ですよ若君、強姦されかけた心の傷は消えませんが、今は調査が優先、」
「マジでしばくぞテメェ!!!!」
「ヤナ、しばかれてしまうからやめて‥。そうではなくて、」
「わかってますよ、大丈夫です。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたが、今は問題ありません。涙と鼻水は全部あいつに付けてきましたから」
「シバく!!!!」
びちょびちょ小袖の弧次郎は猿のようにキーキー暴れて吠えるが、あいつも亜也子に引きずられているので何にもできない。
ざまぁ。
「弧次郎君、ヤナちゃん静かに。調査の手順を説明するよ。‥因みに、今日は覆面持ってきてないけど、ヤナちゃんはどうする?ここで待っててもいいけど」
「来たからには自分の仕事はちゃんとやる。それにこの辺は来たことないから覆面もいらない」
泣きすぎて赤く腫れた目を擦って答える。
大丈夫。
涙と鼻水の跡は弧次郎の小袖で拭いてきた。
いつまでも童共に気を使わせるわけにもいかない。
わたしを横目に見ていた雫は
しばらくしてから、そう、と頷き、
地図を広げて手順の確認を始めた。
領内と言えど国境は情報が少ない。
まずは諏訪大社の使いとして聞き込みをし情報収集をすること、
翌日は村の周囲を見て回り、
敵は来そうか、
来るなら時期と規模は、
守るなら兵は何人必要か、
それらの情報をまとめ、記録し、
諏訪大社に持ち帰る。
それが今回の仕事だ。
わたしは雫の話を聞きながら、
林から見える村を見下ろした。
日が沈みかける夕暮れ時では
よくは見えないが、
静かで穏やかな雰囲気を感じる一方、
どこか違和感のようなものもあった。
それがなんなのか
何が変なのか
考えて
そして、
「‥煙が、ないな‥」
「煙?」
炊き出しの煙。
この時間、普通ならどの家からも
それらの煙が上がるはず‥
夕飯の準備や
風呂の用意など。
人が、そこにいるのなら
「雫‥あの村なんか、」
変だよ
と言おうとして、
言葉は喉の奥に詰まった。
ヒヤリと背筋を走る鋭い悪寒。
ゾッと肌が粟立つ程の気配に、
身体が勝手に振り返った。
振り返って、目が合った。
「!」
「!こ、」
子ども‥!?
真っ直ぐと、迷いのない鋭い視線を向けて、
二刀を構えこちらに飛びかかってくる子どもと
視線がかち合った。
牛鬼を連想させるような悪寒と殺気なのに、
見た目が人の子だから、
わたしは思わず固まってしまった。
懐に伸びた手も、
もう間に合わなかった。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!