夕方の部屋には、テレビの音だけがぽつりぽつりと流れていた。
ソファの端でスマホをいじっていたあなたは、気づけば画面も見ずに、ただ音に耳を傾けていた。
「……BTS、ワールドツアーも中盤ですね。昨日のLA公演、現地も大盛り上がりだったようで──」
画面には、ステージの中央でマイクを持つユンギの姿。
あの静かな照明の中で、一瞬だけ見せた彼の表情が、不意に胸を締めつけた。
──それは、ライブの終盤。
ひときわ照明が落ちたステージで、彼がひとりマイクを握ったときのこと。
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※ライブMC(回想)
「……雨って、みんなにとってどんなイメージかな」
ステージの上で、ユンギは少しだけ空を仰ぐように目を細めた。
「俺にとっては、記憶みたいなもの。
なんかこう……静かに、ずっと残ってる感情?」
観客の誰かの心に触れるように、言葉を選びながら話し続ける。
「……傘の下で、何も言わずに並んでた時間とか、
当たり前のようで、今じゃもう届かないみたいな記憶」
静かに、でも確かに届く声。
「あのとき、もしちゃんと話せてたら──
なんて、意味ないのに考えたりすること、あるよな」
「いま目の前にあるこの景色が、全部ありがたくて幸せなんだけど、
“昔の静かな音”みたいな記憶って、不思議と、消えないんだよね」
ふっと小さく笑ったその顔に、会場の空気がそっと揺れた。
「雨の日に、たまに思い出す──ってだけ。
みんなも、あるだろ?」
──その一言で、会場はあたたかな拍手に包まれた。
⸻
テレビの映像が切り替わる。
けれどあなたの中では、あの言葉がまだ残っていた。
「昔の静かな音──」
それが、ユンギにとっての「わたし」なのかどうかなんて、聞くまでもない。
けど、そうであってくれたらいいと、どこかで願ってしまう。
隣の部屋では、ちょうどシャワーの音が止まった。
戻ってくる気配に、思わず立ち上がる。
ユンギの髪はまだ濡れていて、ラフなTシャツのままタオルを肩にかけていた。
「……おかえり」
「ん」
その一言だけ。でも昔から、どんなにそっけなくても、彼はあなたの言葉には必ず返してくれた。
しばらくの沈黙のあと、ふと──自分の口から言葉がこぼれた。
「……昨日、観てたよ。ライブ」
ユンギの手が止まった。
髪を拭いていたタオルをゆっくりと膝に置いて、彼はあなたを見ないまま、ただ静かに言った。
「……そっか」
「“雨”の話……してたよね」
「……うん」
それ以上、何も返ってこないかと思ったそのとき。
「ほんとは……“おまえ”の記憶だって、言いたかった」
その言葉に、心臓が跳ねた。
ユンギの声は、どこまでも低くて静かで、だけど確かに震えていた。
「忘れてないよ、あのときのことも──おまえのことも」
彼の瞳が、ようやくこちらを向く。
そこにはあの頃と同じ、けれど少しだけ違う、男としてのまなざしがあった。
「今も……ずっと、胸の中で鳴ってる。おまえの声が」
まるで、もう聴こえないはずの音が、ふたたび鳴り出すみたいに。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!