小鳥遊楓の通う高校には『王子様』がいる。
誰かがそう呼び始め、いつの間にか定着した呼び名だった。『王子様』——伴名京がそう呼ばれることに異論を唱える者は誰もいない。
モデル顔負けの端正な顔立ちはいつも優しそうな笑みを湛え、すらりと高い長身は教室だろうと廊下だろうと全校集会中の体育館であろうと、ひと際目を惹く。
京が『王子様』と呼ばれる所以は、その見た目だけではなかった。
同学年だけでなく、学校中の生徒の名前を覚えており、相手が誰であろうと困っていれば真っ先に声を掛ける。その容姿と相まった性格を含めて、彼は『王子様』と呼ばれていた。楓も、そんな『王子様』に何度助けられたか分からない。
日直で黒板を消している途中、高い位置の文字に手が届かなかったとき。
重い荷物を別教室まで一人で運ばなければいけなくなったとき。
テストに向けた勉強中、どうしても分からないところがあったとき。
部活の先輩たちから嫌がらせをされ、誰にも助けを求められなかったとき。
京だけが楓に声を掛け、力になると言ってくれたのだ。
彼に恋心を抱くのに、時間はかからなかった。
だから今日、楓は京を呼び出して、彼に告白をする。
京が来るのを中庭で待ちながら、楓は緊張で震える両手を強く握り合わせた。
『王子様』に想いを寄せる女子生徒は、学校中にたくさんいる。しかし、京に告白をしたという話は聞いたことが無い。
そう思う反面、彼女たちが踏み切れない理由も分かる。京にはとある噂があった。それは、『すでに恋人がいる』というものだ。
恋人がいるのなら、告白しても振られる確率が高い。受け入れてもらえたとしても、二股を掛けられている状態になるだろう。それなら気持ちを隠し、いちクラスメイトとして、『王子様』に憧れる村娘でいるほうが良いかもしれない。
楓はまた、両手を強く握りしめる。
と、中庭にやってくる人影に気づき、顔を上げた。
いつものように人当たり良さそうな笑顔を浮かべながら、京がこちらに向かってくる。
楓は思わず目を伏せた。内心では威勢の良いことばかり考えていたが、いざ本人を目の前にすると、心臓がやかましく鳴り響き、緊張で手汗が滲んでくる。
名前を呼ぶと、京が促すように小首をかしげて見せた。そのしぐさを可愛いと思いながら、何度もシミュレーションした言葉を絞り出す。
震える声で、しかし勢いよくそう伝える。京は驚いたような、考えるような表情を見せた。
返事を待っている時間がやけに長く感じられ、落ち着いてきた頭がどんどんネガティブな思考に陥っていく。
楓がきゅっと目をつぶったとき、京がふっと微笑む気配がした。
そう聞いて、楓はほっと胸を撫でおろす。
そう呼ぶと、京は嬉しそうに微笑んでくれる。楓も恥ずかしくなりながらはにかんで見せた。
楓は弾む気持ちを抑えながら、彼の後ろ姿を見送った。
約束どおり、楓は放課後になると靴を履き替えてすぐ正門に向かった。京の姿を見つけ、自然と足が早くなる。
と、彼の隣に女子生徒の姿があることに気がついた。楓や京と同じクラスの、渡会美月だ。いつも教室の隅に一人でいる、大人しい生徒。
近づくと、二人がこちらを見た。京はいつものように微笑んでいる。
突然の言葉に、楓はうろたえる。しかし美月は驚いた様子がない。
そう訴えても、京は目の前で不思議そうに首をかしげている。今はとても可愛いなんて思えない。
納得できず、まだ文句を言おうとする楓に美月が呆れたように肩をすくめる。
美月が京を促して歩き始める。楓はまだ呆然とその場に立ち尽くしていた。
楓はそう決意すると二人の後を追いかけた。
それからというもの、楓は毎日京へアプローチを始めた。彼の分も弁当を作っては一緒に食べようと誘い、彼の好きそうな店を見つけるたびにデートに誘った。教室ではいつも京のそばにいたし、移動教室があるたびにくっついていた。しかし、京はどんなに楓が二人きりで何かをしようと考えても、美月と三人で一緒に行動したがった。昼食は三人で食べることになったし、休日のデートもいつも三人だった。教室で話す時も、移動教室の時も。
三人で行動することが増えたので、京に彼女が二人いる、という事実はあっという間に全校へ知れ渡ることになった。
すれ違う女子生徒が怪訝そうなまなざしを向け、男子生徒は珍しそうににやにやと笑う。それでも京や美月は気にした様子もない。
そんなある日の昼休み。
楓がいつも昼食を食べる待ち合わせ場所に向かうと、そこには美月の姿しかなかった。楓は辺りを見回して京の姿を探してから、渋々彼女に声を掛ける。
すとんと美月の隣に腰を下ろす。楓は太腿の上にランチバッグを乗せた。小さなバッグの中には今日も二人分の弁当が入っている。
楓はちらりと美月を盗み見た。彼女も脚の上に弁当を乗せて、校舎のどこかを眺めている。変な奴だと思うと同時に、京はどうしてこんな奴と付き合っているんだろうと考える。
美月が校舎から視線を剥がして楓に視線を向ける。
楓はこの歪な関係性について初めて打ち明けられたときの京の言葉を思い出した。美月がこくりと頷く。
そう話す美月の声が、いつになく真剣に聞こえる。楓はその横顔をまじまじと見つめた。長い髪とあまり変わらない表情のせいで大人しそうに見えるが、良く見ると切れ長の瞳は意志が強そうだ。
表情ひとつ変えない美月に、楓は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
しかし美月は楓の表情に気づいていないようだ。
ぱたぱたと足音が聞こえ、楓は美月から視線を逸らした。京が中庭にやってくる。彼は楓と美月を見つけると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
そう言って京がスマホの画面を見せてくる。それは可愛らしいシックなデザインのサイトだった。上部にはポップなロゴで『ラブペア♡応援団』と書いてある。カップルを対象に、資金援助をする企画らしい。合格条件は『愛を証明すること』。
楓はにっこりと微笑んで、そう答えた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。