第14話

小鳥遊楓の望み
2,018
2024/04/24 10:51
 小鳥遊たかなしかえでの通う高校には『王子様』がいる。
 誰かがそう呼び始め、いつの間にか定着した呼び名だった。『王子様』——伴名ばんなけいがそう呼ばれることに異論を唱える者は誰もいない。

 モデル顔負けの端正な顔立ちはいつも優しそうな笑みを湛え、すらりと高い長身は教室だろうと廊下だろうと全校集会中の体育館であろうと、ひと際目を惹く。
 京が『王子様』と呼ばれる所以は、その見た目だけではなかった。
 同学年だけでなく、学校中の生徒の名前を覚えており、相手が誰であろうと困っていれば真っ先に声を掛ける。その容姿と相まった性格を含めて、彼は『王子様』と呼ばれていた。楓も、そんな『王子様』に何度助けられたか分からない。

 日直で黒板を消している途中、高い位置の文字に手が届かなかったとき。
 重い荷物を別教室まで一人で運ばなければいけなくなったとき。
 テストに向けた勉強中、どうしても分からないところがあったとき。
 部活の先輩たちから嫌がらせをされ、誰にも助けを求められなかったとき。
 京だけが楓に声を掛け、力になると言ってくれたのだ。
 彼に恋心を抱くのに、時間はかからなかった。

 だから今日、楓は京を呼び出して、彼に告白をする。
 京が来るのを中庭で待ちながら、楓は緊張で震える両手を強く握り合わせた。
『王子様』に想いを寄せる女子生徒は、学校中にたくさんいる。しかし、京に告白をしたという話は聞いたことが無い。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(好きなら告白すればいいのに)
 そう思う反面、彼女たちが踏み切れない理由も分かる。京にはとある噂があった。それは、『すでに恋人がいる』というものだ。
 恋人がいるのなら、告白しても振られる確率が高い。受け入れてもらえたとしても、二股を掛けられている状態になるだろう。それなら気持ちを隠し、いちクラスメイトとして、『王子様』に憧れる村娘でいるほうが良いかもしれない。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(そんなの、あたしは絶対嫌だけど。噂を信じて諦めるなんてバカみたい。
それに、恋人がいたって、あたしを選んで別れてくれるかもしれないのに)
 楓はまた、両手を強く握りしめる。

 と、中庭にやってくる人影に気づき、顔を上げた。
伴名 京
伴名 京
楓ちゃんお待たせ。話って何かな?
 いつものように人当たり良さそうな笑顔を浮かべながら、京がこちらに向かってくる。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
あ、えっと……
 楓は思わず目を伏せた。内心では威勢の良いことばかり考えていたが、いざ本人を目の前にすると、心臓がやかましく鳴り響き、緊張で手汗が滲んでくる。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
京、くん
 名前を呼ぶと、京が促すように小首をかしげて見せた。そのしぐさを可愛いと思いながら、何度もシミュレーションした言葉を絞り出す。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
京くんのことが好きです。
あたしと恋人になってください!
 震える声で、しかし勢いよくそう伝える。京は驚いたような、考えるような表情を見せた。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(やっぱり恋人がいるから無理とか……?
今は誰かと付き合う気分じゃないとか?)
 返事を待っている時間がやけに長く感じられ、落ち着いてきた頭がどんどんネガティブな思考に陥っていく。
 楓がきゅっと目をつぶったとき、京がふっと微笑む気配がした。
伴名 京
伴名 京
オレのこと好きだって言ってくれてありがとう。
……なろうか、恋人
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
本当に!?
京くん優しいから我慢してOKしてくれてる?
伴名 京
伴名 京
まさか。そんなことないよ
 そう聞いて、楓はほっと胸を撫でおろす。
伴名 京
伴名 京
恋人になったんだから、オレのこと呼び捨てにしてよ。
京くん、なんてよそよそしいでしょ? オレも楓って呼ぶからさ
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
わかった、京
 そう呼ぶと、京は嬉しそうに微笑んでくれる。楓も恥ずかしくなりながらはにかんで見せた。
伴名 京
伴名 京
楓、今日から一緒に帰ろうよ。放課後、正門で待ってるから
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
うん!
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(本当に、京の彼女になったんだ……)
 楓は弾む気持ちを抑えながら、彼の後ろ姿を見送った。
 約束どおり、楓は放課後になると靴を履き替えてすぐ正門に向かった。京の姿を見つけ、自然と足が早くなる。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
京、お待たせ――
 と、彼の隣に女子生徒の姿があることに気がついた。楓や京と同じクラスの、渡会わたらい美月みづきだ。いつも教室の隅に一人でいる、大人しい生徒。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(どうして美月が京と一緒にいるの……?)
 近づくと、二人がこちらを見た。京はいつものように微笑んでいる。
伴名 京
伴名 京
じゃあ改めて二人とも、オレの彼女として今日からよろしくね
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
えっ、どういうこと?
 突然の言葉に、楓はうろたえる。しかし美月は驚いた様子がない。
渡会 美月
渡会 美月
あんたも京に告白したんでしょ?
だから、私とあんたが京の彼女だって話
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
ちょっと待って、じゃあ京は美月とも付き合ってるってこと?
そんなの聞いてない!
二股じゃん! なんで告白オッケーしたの!?
 そう訴えても、京は目の前で不思議そうに首をかしげている。今はとても可愛いなんて思えない。
伴名 京
伴名 京
オレはオレのことを好きだって言ってくれる子を愛したいんだよ。
それに、二人にちゃんと伝えてるんだから浮気じゃないよ
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
そういう問題じゃ……
 納得できず、まだ文句を言おうとする楓に美月が呆れたように肩をすくめる。
渡会 美月
渡会 美月
京の恋愛観が理解できないなら、別れたら?
 美月が京を促して歩き始める。楓はまだ呆然とその場に立ち尽くしていた。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(せっかく告白して付き合えたのに……。
こうなったら、あたしのこと好きになってもらって、美月と別れてもらえばいいんだ)
 楓はそう決意すると二人の後を追いかけた。
 それからというもの、楓は毎日京へアプローチを始めた。彼の分も弁当を作っては一緒に食べようと誘い、彼の好きそうな店を見つけるたびにデートに誘った。教室ではいつも京のそばにいたし、移動教室があるたびにくっついていた。しかし、京はどんなに楓が二人きりで何かをしようと考えても、美月と三人で一緒に行動したがった。昼食は三人で食べることになったし、休日のデートもいつも三人だった。教室で話す時も、移動教室の時も。

 三人で行動することが増えたので、京に彼女が二人いる、という事実はあっという間に全校へ知れ渡ることになった。
女子生徒A
え、王子二股ってこと? 引くわ……
男子生徒A
王子だからって何しても許されるんだろ。一人分けてほし~
 すれ違う女子生徒が怪訝そうなまなざしを向け、男子生徒は珍しそうににやにやと笑う。それでも京や美月は気にした様子もない。
伴名 京
伴名 京
良いんだよ、言いたいやつには言わせておけば
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(京はそう言うけど……やっぱりあたしたちの関係って変だよね)
 そんなある日の昼休み。

 楓がいつも昼食を食べる待ち合わせ場所に向かうと、そこには美月の姿しかなかった。楓は辺りを見回して京の姿を探してから、渋々彼女に声を掛ける。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
京は?
渡会 美月
渡会 美月
さあ、もうすぐ来るんじゃない?
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
あっそ
 すとんと美月の隣に腰を下ろす。楓は太腿の上にランチバッグを乗せた。小さなバッグの中には今日も二人分の弁当が入っている。

 楓はちらりと美月を盗み見た。彼女も脚の上に弁当を乗せて、校舎のどこかを眺めている。変な奴だと思うと同時に、京はどうしてこんな奴と付き合っているんだろうと考える。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(あたしの方が可愛いし、話してて楽しいと思うんだけどな)
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
……あのさ、美月はあたしたちの関係のことどう思ってんの?
 美月が校舎から視線を剥がして楓に視線を向ける。
渡会 美月
渡会 美月
……どうって?
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
普通はさ、三人で恋人関係っておかしいじゃん。
はっきり言って、あたしは今の関係性いやだよ。
美月もそう思わない? 京の彼女は自分だけが良いって
渡会 美月
渡会 美月
別に。私は京と付き合えているだけで嬉しいし。
京の気持ちを尊重したいから
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
……自分を好きだっていう子を愛したいってやつ?
 楓はこの歪な関係性について初めて打ち明けられたときの京の言葉を思い出した。美月がこくりと頷く。
渡会 美月
渡会 美月
前に京が話してくれたの。
京の両親は放任主義みたいで、あまり構ってくれなかったんだって。
すごく寂しい思いをしたみたい。だから、誰かに必要とされるのが嬉しいんだと思う
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(美月にはそんなこと話してるんだ……)
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
だからって、誰彼構わず告白されたら付き合うっておかしいじゃん。
そのうち彼女百人出来たとか言われるかもしれないってことでしょ
渡会 美月
渡会 美月
私は、京の望むことをしてあげたい。
受け入れてくれって言うなら何でも受け入れたい
 そう話す美月の声が、いつになく真剣に聞こえる。楓はその横顔をまじまじと見つめた。長い髪とあまり変わらない表情のせいで大人しそうに見えるが、良く見ると切れ長の瞳は意志が強そうだ。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
あんたもおかしいよ
渡会 美月
渡会 美月
そうかな。これが愛してるってことじゃないの?
 表情ひとつ変えない美月に、楓は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(そんなこと言われたら、まるであたしが京のこと愛してないみたいじゃん)
 しかし美月は楓の表情に気づいていないようだ。
 ぱたぱたと足音が聞こえ、楓は美月から視線を逸らした。京が中庭にやってくる。彼は楓と美月を見つけると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
伴名 京
伴名 京
待たせてごめんね。面白そうなものを見つけてさ
 そう言って京がスマホの画面を見せてくる。それは可愛らしいシックなデザインのサイトだった。上部にはポップなロゴで『ラブペア♡応援団』と書いてある。カップルを対象に、資金援助をする企画らしい。合格条件は『愛を証明すること』。
伴名 京
伴名 京
資金援助に興味は無いけど、合格すれば愛を証明できたってことになるでしょ?
だから参加してオレたちの愛を認めさせようよ
渡会 美月
渡会 美月
京がしたいならいいんじゃない?
伴名 京
伴名 京
楓は?
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
(……この企画に参加したら、京もあたしたちの関係がおかしいって気づくかもしれない。
そうしたら……私を選んでくれるかも)
小鳥遊 楓
小鳥遊 楓
うん、あたしも参加してみたい
 楓はにっこりと微笑んで、そう答えた。

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