一月の中旬。皆がお正月の余韻から抜け出せないまま重い足取りで学校や職場へ向かう。私もその中の一人に過ぎなかった。
そして私にはもう一つ、仕事に行きたくない理由がある。
勤め先が超絶ブラックなのだ。
とはいえ、私の勤め先はそこそこの大手企業、簡単に辞めることも出来ない。かといって、新入社員として入ってからはいじめと言えるくらいに酷い扱いを受けている。面倒な仕事や雑務は全て押し付けられ、無理な仕事を明日までに、と退社ギリギリになって頼んでくる。
ああ、いきたくないな。
電車が通過するアナウンスが鳴り響くホームでふと悪い考えが頭によぎる。
きっと、きっとたくさんの人に迷惑をかけるだろう。
それでも、それでもこの地獄と言える環境から抜け出せるなら本望だ。
そうおもいながら、一歩、ホームの外に足を踏み出そうとした__
低い機械的な声を聞いてハッとした瞬間、すぐに体が強く後ろに引き寄せられた。
ファァァン、と電車の音が鳴る。
じろじろと迷惑そうに私を見る他の人からの視線がいつもなら痛いのだろうが、今はそれどころじゃなかった。
ドク、ドク、と心臓の音が聞こえる。もし、もしあのままわたしが電車に轢かれていたら……
恐る恐る振り向くと、異常に背の高いエヌボット……?が、私の肩を掴んでいた。
正直、エヌボットかどうかと言われたら微妙な所だった。
服の色は通常のと違って黒と赤のデザインだし、ネクタイは白。オマケに帽子をかぶっていて、モニターには三つ目とメガネが表示されている。それに、なんだろう、付箋?のようなものが貼られているけど、見たことない文字で読めない……
それに声…いつもコンビニやスーパーなどで聞くエヌボットの声とは程遠い、低い声だった。
ぺこり、と礼儀正しくお辞儀をされて、思わず戸惑ってしまう。今はこんなエヌボットもいるのか……
感心してからこちらもすぐに頭を深々と下げ、謝罪の言葉を述べた。
会社ではいつもビクビクしてすごして、生きた心地がしなかった。私の口癖はすっかりすみませんとごめんなさい、そして申し訳ありませんになってしまった。
だからこんな時にだって、吃りながら謝ってしまう。
いや、こういう時は感謝が先なのだろうか、頭の中ではそう考えつつも身体が先に反応してしまった。嫌な癖だと思う。
シイナさんは全力で謝る私を見ても動じず、それどころかニッコリ笑っていた。三つの目を閉じて。
ツー、と一滴の涙が頬を伝い、私の心に重くのしかかる。思わずスーツの袖で拭おうとすると、シイナさんは穏やかにハンカチを取りだし撫でるように拭いてくれた。
周りの人々はチラチラとシイナさんを見ては驚いたり、ヒソヒソと話したりしていたが、シイナさんはそれを気にせず、とりあえず私を座れる場所まで導いてくれた。
シイナさんは私の話を親身になって聞いてくれた。
ボロボロと泣き、嗚咽を漏らしながらも頷きながら聞いて貰えて、久々に優しさというものに触れれた気がする。
……?ありがたい?それはどう言う……
そう言うとシイナさんは少し考え込んでから、一枚の名刺を私に渡してきた。
その意味がわからなくて、私は名刺とシイナさんを交互に見る。
そう言うと、シイナさんは立ち上がり、また笑みを浮かべた。その笑みはどこか優しげで、妖しげだった。
期待してたのに。
その言葉が、グサリと私の胸に突き刺さって、深い傷を負わせた。
出来た資料を部長のパソコンに送信して、私は一息ついた。
きっとこの資料も、部長が作ったってことにされるんだろうなぁ……
今は昼休憩の時間で、他の社員たちは全員昼ごはんを買いに行ってしまった。なんでこんなブラックなのに昼休憩は普通にできるんだ……いや、全部私に押し付けてるから当然か、ははは。
……ふと、朝起きた出来事を思い返してみる。
シイナさんに言われた、「心が壊れそうな時」って、こういう時のことを言うのだろうか。
わたしは携帯カバーのカードケースにしまった名刺を取り出して、番号をまじまじと見る。そしてその番号をスマホで検索したが、何も出なかった……新しく設立された会社なのかな?
いやいや、流石に今かけるのは不味いか。それにイタズラかもしれない。明らかに怪しいし。
そう、そうだ。イタズラだったんだ。あのエヌボットもきっと誰かが改造して遠隔操作で私を助けたんだ、そうに違いない。
……そうに違いないけれども。
私は頭の中でぐるぐると思考をめぐらせながらも、気づけばその番号に電話をかけていた。
翌日。
いつものように電車に揺られながら、
昨日のことを考える。
結局電話に出てきたのはシイナさんで、変わらず穏やかな低い声で対応してくれた。そのあいだも泣きそうになったのを会社の中だったのでグッと堪えて、会社でこんなことがあったんだと全て話した。
そうですか。とシイナさんは真剣に言って、最後にもう少しだけ待っててくださいね。と言われ、通話は切られた。
もう少し待っていれば何か変わるのだろうか、もしかして私が電話したのは無駄だったんじゃないだろうか。そんなことを考えながらも、もう縋れるものがこれしかない状況だった為、今日会社に行ったらなにか変わってますように、と祈った。
いつも電気がついているであろう事務所の電気がついていない。おかしいな、私が一番最初に着いたのかな……?
その瞬間。
私は息を飲んだ。
床や壁に広がる、
血や肉片。
部屋中に広がる鉄の匂い。
机についた熊が引っかいたような爪痕。
そうやってシイナさんがスっと持ち上げたのは、
部長の生首だった。
いや。
ちがう。
これは恐怖じゃなかった。
高揚。
それが今の私の一番近い状態だった。
面倒な上司。
うるさい同僚。
頭の中で何度こいつらを殺したことか。
でもそれが、本当に、現実になっている。
私は思わずシイナさんに駆け寄り、
ここ最近で一番いいとびっきりの笑顔で話しかけた。
シイナさんは驚いたように目を見開く。
そしてゆっくりと、また優しく笑った。
その後、私はシイナさんのいる組織に拾われた。
きっとこれから、ここでも多くの仕事をこなさないといけないだろう。そしてここでもなんどもあの時のように謝るだろう。
それでも、わたしはここで働く。
あなたのおかげで、今があるから。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。