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第3話

EP.2「潤いと黄金の林檎」
18
2026/09/12 03:36 更新


ドワーフ兄弟から授かった薬のおかげで、胸の激痛は多少和らいでいた。


だが、その薬効すら一瞬で吹き飛ぶほどの殺気が、吹雪の交じる極北の森を割った。

___見つけたぞ!叛逆者に災神よ!

頭上の雲が黄金色に割れ、数多の光の柱が地上へと降り注ぐ。

光の中から現れたのは、白銀の鎧を身に纏い、背に純白の翼を羽ばたかせた天界追討軍の部隊。

その数、およそ五十。

ロキ
ロキ
ありゃ、もう追いつかれたか。ミカエルの仕事は早いねぇ

例え神の権能といえど、血眼の天を欺くことは難しい。


ロキは不敵に鼻で笑い、袖口から一筋の短剣を覗かせる。ロキにはまだ余裕があった。


ルシファー
ルシファー
...

だが、ルシファーは息を呑んだ。


全身の皮膚が泡立つような圧迫感。

かつて己の手下として従えていた天使たちの群れが発する聖なる気配に、弱り切ったルシファーの身体が拒絶反応を起こしたのだ。

裁きを受けよ、堕天使ルシファー!

隊長格の天使が長槍を構え、音速を超えて肉薄する。
ルシファー
ルシファー
ッ!


ルシファーは反射的に腰の剣を引き抜き、払った。

全盛期であれば、剣圧だけでこの程度の天使など数百体まとめて微塵に切り刻んでいたはずだった。


ガキィンッ!!
ルシファー
ルシファー
ぐぁ...っ!?

激しい金属音が響き、弾き飛んだのはルシファーの方だった。

雪原を何メートルも激しく転がり、背中の折れた翼が悲鳴を上げる。握力は失われ、手首からは血が滲んでいた。

ルシファー
ルシファー
(嘘だろ......たかが追撃兵一人の突きすら、受け止めきれないというのか...!?)
ハッ!無様だな、傲慢の魔王!力を失い、骨人形に成り下がったか!

天使が嘲笑い、追い打ちの光槍を突き立てんと頭上から落降してくる。
ルシファー
ルシファー
ッ、貴様如きが...私を見下すな!

右胸の烙印に力を込めた。

戦友たちの遺灰から泥縄式に引き出した暗黒の魔力を剣に纏わせ、必死の思いで迎え撃つ。


ズドヴンッ!!


衝撃波が雪を巻き上げる。

ルシファーは辛うじて敵の攻撃を流したが、その代償は大きかった。右肩の肉が裂け、鮮血が白銀の雪を赤く染める。息は途切れ、視界がチカチカと明滅する。






自分は、弱い。

あまりにも、無力だ。


かつて自分を信じて同じ道を選んだ同胞たちの命を全て喰らい、惨めに生き延びた結果がこれなのだから笑ってしまう。


神の秩序に背いた魔王ルシファーが、今や天使に追い詰められ、這い回っている。



悔しさと、無力感と、散って行った悪魔たちへの申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。

今の自分は、天に刃を向けるどころか、自分の命一つ守ることすら満足にできない。










ロキ
ロキ
格好がつかないな

突如、ルシファーの前にロキが滑り込んだ。

ロキ
ロキ
戯劇の食卓フェンリル

瞬間、天使たちの足元の雪が牙を剥く巨大な狼へと姿を変え、追討軍の陣形を一瞬で食い荒らした。


幻術と神の魔法が織りなす圧倒的な手際。

神威が残っているロキの戦闘力は、まさに圧倒的だ。

な、なんだこれは!?ッ、ぐぁ”ぁ”っ!?
撤退!撤退だ!ロキが本気だぞ!

ロキがひとたび遊んでやれば、五十の追討軍は数分のうちに散り散りになって逃げ出していった。

静寂を取り戻した雪原で、ロキは短剣を懐に収め、血まみれで倒れ込むルシファーへと振り返った。

ロキ
ロキ
言ったろ?今のアンタは風が吹けば飛ぶ。...己の弱さ、噛み締められたかい?
ルシファー
ルシファー
...あぁ

ルシファーは泥と血に汚れた手を見つめた。
悔しさに唇を噛み締め、血が滲む。
ルシファー
ルシファー
分かった...痛いほど分かった
ルシファー
ルシファー
今の私は、無力な敗北者だ。死を背負いながら、その実、何一つ守れぬ赤子同然...!
ロキ
ロキ
良い顔になった

ロキは冷酷に、しかしどこか満足げに目を細めた。
ロキ
ロキ
それでいい。自分が弱いのを自覚して初めて、叛逆者は策をろうし、泥を喰らい、死に物狂いで力を求めるんだ
ロキ
ロキ
プライドを泥に捨てろ、ルシファー。アンタが真に天を撃つのは、その泥の底から這い上がった時だ

ルシファーは深く息を吐き出し、震える足でゆっくりと立ち上がった。


折れた剣を鞘に収め、血を拭う。

瞳から誇りは消えていない。むしろ、己の弱さを認めたことで、その炎はより一層低く、暗く、激しく燃え上がり始めていた。

ルシファー
ルシファー
行くぞ。女神イズンの元へ
ロキ
ロキ
そう来なくっちゃな!

己の惨めさと弱さを骨の髄まで噛み締めた魔王は、神の背を追い、女神の隠れ里への足取りを強めた。


追討軍の襲撃を振り切り、吹雪の最奥に隠された不自然な木々をくぐり抜けると、そこには雪国とは思えない、温かな光と青々とした緑が広がる小さな楽園があった。

中央には大樹がそびえ、枝には瑞々しく光り輝く果実が実っている。



イズンの領域「黄金の林檎園」

ロキ
ロキ
はー、相変わらずここは平和で良いねぇ
ロキが緊張感のない声を上げると、大樹の木かげから小走りで駆け寄ってくる人影があった。

イズン
イズン
ちょっと!誰かと思えばロキじゃない!また私を騙して巨人に売り飛ばしに来たのね!?

北欧神話「イズン」
黄金の林檎園の守護神
権能【永遠の春イードゥン


神々の泥沼から逃げ出した世捨て神という暗いイメージとは程遠く、想像以上に元気ハツラツとした様子だ。
ロキ
ロキ
失礼な。今日は正当な交渉に来たんだよ。ほら、こちらのお客さんの治療のためにね

ロキがひょいと退くと、イズンの視線がルシファーへと向けられた。


血と泥に汚れ、右肩から血を流しながらも、どこか神聖さを残す美貌の青年。

ルシファーは息を整えながら、イズンをすっと見下ろした。

ルシファー
ルシファー
(これが、北欧の生命いのちの象徴とされる女神か。確かにその内に秘めた生命力は凄まじい)
イズン
イズン
あなたは...
ルシファー
ルシファー
我が名はルシファー。見通しの通り身体を痛めている
ルシファー
ルシファー
女神イズンよ、黄金の林檎をこのルシファーに捧げよ。私は傲慢な天を滅ぼす者。お前の力が、私の叛逆の糧となるのだ
ロキ
ロキ
...(あちゃー...)
イズン
イズン
...はぁ?何その上から目線!お願いする立場の態度じゃないわ!
ルシファー
ルシファー
なっ...!?
イズン
イズン
だいたい「捧げよ」って何よ!私は神々の身勝手な命令や戦争に嫌気が差してここにいるの!傲慢なのは天もだけどあんたよ!
ルシファー
ルシファー
しかし、これは世界の変革のための...
イズン
イズン
帰ってちょうだい!ロキの連れってだけで信用ゼロだし、そんな上から目線の人に分ける林檎はありませんーだ!

イズンはフンと横を向き、あっさりと背を向けようとした。

ルシファー
ルシファー
む......むぐ...

ルシファーは絶句した。


かつては彼の一言で全天の天使がひれ伏し、地獄の悪魔たちが畏怖した。

先ほど己の弱さを実感したとはいえ、根底に染みついたルシファーの傲慢さは、そう簡単に捨て去れるものではなかったのだ。

それが地上のちっぽけな(とルシファーは思っている)女神に一蹴されたのである。
ロキ
ロキ
バッサリ言われちゃったねぇ!てかさっき言ったろ?プライドは捨てろって
ロキ
ロキ
アンタのノリ、側から見たらただのイタいヤツだからな
ルシファー
ルシファー
なっ!?私は決して痛くなど...!

ズキッ!

右胸の烙印と右肩の傷が激しく疼き、ガクリと膝をついた。
ルシファー
ルシファー
くっ、あ”...ッ!
イズン
イズン
あ、ちょっと!

倒れ込んだルシファーの姿を見て、イズンは焦って駆け寄った。

近くで見ると、彼の体がどれほど限界を超えているかが一目瞭然だった。

右胸に刻まれた凄惨な呪いの痕、ボロボロに折れた翼、そして何より、深い喪失感を宿した黄金の瞳。

ルシファー
ルシファー
ロキ、陣痛剤は...
ロキ
ロキ
天使との戦い後のアレが最後だったよ
ルシファー
ルシファー
っ...そうか...
イズン
イズン
な、なんなのよこの体...!魂が今にも消えそうじゃない!よく生きてここまで来られたわね...!

イズンは深いため息をつき、頭を抱えた。
イズン
イズン
はぁ...なんなのよもう。威張ったり倒れたり忙しいやつね!

イズンは手に持っていた籠から、黄金に輝く小さな果実を取り出すと、屈み込んでルシファーの唇へと押し当てた。
イズン
イズン
ほら、食べなさい!
ルシファー
ルシファー
イズン
イズン
勘違いしないでよね、あんたの叛逆とやらに感動したわけじゃないから!私の林檎園で死なれたら迷惑なだけなんだからね!

ルシファーが黄金の林檎を噛み砕くと、甘やかな汁が喉を通り、瞬く間に全身の細胞へ広がっていった。
ルシファー
ルシファー
...ッ!?

あまりの密度の生命力に、ルシファーの体が大きく跳ねる。

ボロボロだった皮膚や傷口が急速に塞がっていく。右胸の痛みが少し和らぎ、生のエネルギーが彼を包み込んだ。

当然、全盛期には程遠いものの、先ほどまでの死に体からは劇的に回復し、自力でしっかりと立ち上がれるほどには身体が軽く重厚になっていた。

ロキ
ロキ
どうだい?ルシファー。イズンの特製林檎の効き目は

ロキがニヤニヤしながら尋ねる。

ルシファーは自らの両手を見つめ、驚きを隠せない様子で息を吐いた。
ルシファー
ルシファー
...凄まじいな。体が羽のように軽い
ルシファー
ルシファー
感謝する、女神イズン
イズン
イズン
礼なんていいわよ





























イズン
イズン
で、命拾いしたんだから、さっさと出ていってくれない?
ルシファー
ルシファー
え?
ロキ
ロキ
(あ、そういう流れ?)

ルシファーが固まった。

ここまでの流れであれば「彼女の協力」を取り付けて共に旅立つ...というのが彼の思い描いていたシナリオだったからだ。
イズン
イズン
え、じゃないわよ。林檎はあげたでしょ?私、あんたたちの旅に同行するなんて一言も言ってないんだけど
イズンは呆れたように首を振る。
イズン
イズン
そんな「天界を倒す」なんて大事に首を突っ込んで、面倒事に巻き込まれるなんてまっぴらゴメンよ!
ルシファー
ルシファー
だが!お前のこの林檎の権能は、我々の旅に必要なのだ!

ルシファーが真剣な面持ちで迫るが、イズンは一歩も引かない。
イズン
イズン
知るかいそんなの!自分の体の管理くらい自分でやりなさいよ!私はここで平和に林檎と暮らすの!

完全に平行線である。


ルシファーは助けを求めるようにロキを振り向いた。

ロキは待ってましたとばかりにニヤニヤしながら、イズンとルシファーの間に滑り込む。
ロキ
ロキ
まぁまぁ、イズンちゃん。アンタの言い分は百理ある
ロキ
ロキ
でもさぁ...本当にこの林檎園でじっとしてて「平和」だと思う?
イズン
イズン
...何よ、その言い方

イズンが警戒して目を細める。ロキは不敵な笑みを深めた。
ロキ
ロキ
さっきオレとルシファー、天界の追討軍ミカエルの部隊に追われてここに来たでしょ?
ロキ
ロキ
オレの幻術で隠れ里の入り口は塞ぎ直したけど、天界の連中が本気で探せば、遅かれ早かれこの空間の歪みは見破られる
イズン
イズン
っ...!?
ロキ
ロキ
そしたらどうなる?神々はアンタをどう扱うだろうなァ?
ロキ
ロキ
秘薬リンゴを与えた叛逆の同類として投獄されるか、天界の奥深くに繋ぎ止められて、兵士たちの永久機関動くポーションとして一生搾取されるか

イズンの顔色が瞬時に蒼白になった。

ロキの言っていることは、決して脅しやハタリではなく、冷酷な神々のやり口そのものだったからだ。

イズン
イズン
汚い...!汚いわよロキ!あんたたちが勝手にここに逃げ込んできたせいで、私の平和が壊されたんじゃないの!!
ロキ
ロキ
ハハッ、ごもっとも!
ルシファー
ルシファー
お前...
かつての魔王すらロキに引き気味の視線を向ける。

しかし、ロキは意に介さずイズンに手を差し伸べた。

ロキ
ロキ
だからさ、オレたちと一緒に来なよ。旅の補給役、衛生兵としてさ
ロキ
ロキ
ルシファーが天を滅ぼして新しい秩序を作れば、アンタは二度と神々に怯えることなく、本当の自由を手に入れられる
イズン
イズン
...
ロキ
ロキ
ここで天界の兵隊に捕まるのを待つよりは、マシな賭けだと思わない?

イズンは唇を噛み締め、大樹を見上げ、それから目の前に立つ二人を交互に見つめた。


片やドクズ、片や最重要指名手配犯。

イズン
イズン
......サイアク
イズンは頭を抱えて、盛大にため息をついた。
イズン
イズン
ほんと、最悪のバカ二人に絡まれたわ...!

イズンは足元にあった小さな背負い籠を拾い上げると、大樹から黄金の林檎を幾つも手際よく摘み取り、籠へ詰め込んだ。

イズン
イズン
勘違いしないでよね!仲間になったわけじゃないから!私の安全が確保されるまでの、一時的な利害の一致!

ぷいと横を向いて言い放つイズンを見て、ルシファーは呆然とした後、かすかに口元を緩めた。

ルシファー
ルシファー
ふ...交渉成立、ということだな
イズン
イズン
笑うなぁ!あんたのその偉そうな態度も、これから少しずつ矯正してあげるんだから!
ルシファー
ルシファー
何?私は至って普通だが
イズン
イズン
ほら見なさい!そういうとこ!

こうして、世捨て神の青春の女神イズンが、ロキの脅しによって一行に加わることとなった。

ロキ
ロキ
よし、最高の手札が手に入った

ロキは満足げに手を打つと、南の方向を指差した。

ロキ
ロキ
さて、それじゃあ本来の目的地に向かおうか
ロキ
ロキ
暴風と混沌の化身____セトを掘り起こしにね!

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