私は幼い頃から夢があった。シャーロック・ホームズのような探偵になりたかった。ホームズはカリスマ性に溢れていて、洞察力に優れていて、教養もあって、更に運動神経にも優れていてかっこよくって! まさに私の憧れだった。
「お……凛桜?」
そんな私の空想に浸る時間もおしまい。名前を呼ばれ、意識を現実へと引き戻す。そうだ、ここはイギリスの学校、今は最後の授業が終わって放課後に入ったところだった。
私の名前を呼んだ人へとふと目を向ける。目の前に座っていたのは、黒いグラデーションがかかった茶髪と、青と紫を混ぜ合わせたような瞳が特徴的な男の子だった。名をAdversary Verdureという。訳あって────私が彼の名前を読み間違えたままあだ名を付けた、というなんとも奇妙な事態がきっかけだが────私は彼を「バセ」と呼んでいた。
ここはイギリス。けれど私にとってはまだ少しだけ異国だ。祖母はイギリス人だけれど、それ以外の家族は日本人。十歳まで日本で暮らしていた私は、英語があまり得意ではない。
一方のバセは、家庭の事情で日本語を話せた。詳しくは知らないけれど、親の外交の関係で徹底的に日本語を覚えさせられたらしい。そんな私たちが打ち解けるのに、時間はかからなかった。
「えっと、ごめん。……何の話だったっけ?」
話しかけられたは良いものの、さっきまで空想に浸っていたせいで、バセが何の話をしたいのか全く分からない。私はこてん、と首を傾げた。バセはそんな私を見て、元々不機嫌そうだった顔をふくれっ面にする。どうやら今の反応はまずかったらしい。
「はぁ。……昨日の夜いきなり電話をかけて『家にあるものを何か持ってきて欲しい』とか言ったのはお前だろ。忘れたのか?」
それを聞いて、あぁ、と思い出す。確かにそう電話をかけた記憶がある。昨日の夜、シャーロック・ホームズの小説を読み返して、その興奮が冷めないまま衝動的にバセに電話をかけたのだ。
「とりあえず、もう誰も使っていない万年筆を持ってきた。それはいいけど、これで何をする気だよ」
机の上にこつ、と心地の良い音を立てて置かれた万年筆をそっと眺める。黒を貴重とし、金色が差し色として入っている万年筆だった。それをひょい、と持ち上げて、視線を万年筆からバセへと戻す。
「シャーロック・ホームズってさ、物を一個見ただけでそれの使用人の性格とか職業とか、色々当てたりするじゃん。私もそういうの、やってみたいなぁ〜って思って」
「……つまり何が言いたい」
「ふふん、この探偵見習い凛桜ちゃんが、この万年筆から色んなことを当ててしんぜよう!!」
「……はぁ……」
微妙な呆れたような表情をするバセを置いておいて、私は万年筆をじいっと観察する。万年筆に詳しくない私だが、高いものであるということはなんとなく分かった。それと、万年筆の先に埃が付いていた。さっきバセは「誰も使っていない」と言っていたし、机の上かどこかにでも放置されていたのだろう。それでも万年筆全体が埃まみれという訳では無いから、恐らくバセは、昨日この万年筆を鞄に入れる前に布かテイッシュか何かで拭き取って掃除をしたはずだ。
「この万年筆、良いお値段しそうだよね。あと……バセ、昨日慌てて手入れしたでしょ」
とりあえず分かったことを口に出してみたが、実際に口に出してみると今自分が分かった情報量がかなり少ないことが分かる。シャーロック・ホームズみたいな探偵への道のりはまだまだ遠そうだ。
「確かに電話をもらったあと慌てて手入れしたな。埃まみれだったし。……で、それだけか?」
青紫色の目がふっと細められた。今私は確実にバセに試されている。或いは、煽られている。悲しいことにそれ以上は何も分からなかったので、両手を上げて降参のポーズをしてみせた。
「それだけでーす……」
正直めちゃめちゃ悔しい。ので、ダメ押しで一つ提案を付け加えてみた。
「ねぇバセ、今日暇? 暇だったら私の家でこれ……物を観察して当てるゲームの続きやりたいんだけど」
「……分かった、構わない。あと、お前ばっかり推理するのはズルいから俺にもやらせろ」
さっきからやたらと塩反応だなとは思っていたが、今その理由が分かった。恐らくバセも推理、シャーロック・ホームズの真似事がしたかったのだろう。彼も私に負けず劣らずのシャーロキアンだから。そう思うとなんだか可愛く見えてきてにやにやが止まらなかった。そのままバセの小脇をつっつく。
「なんだよ急に……」
「いや〜? なんとなく? ま、じゃ続きはこの後私の家でやるってことで! 家に荷物置いたらすぐ来てよ、急がないと日が暮れちゃうから」
怪訝な顔をするバセに適当に返事し、そのまままくし立てた。
こんな感じで、イギリスで出会ったバセとは、日本語を話せる仲間として、同じシャーロキアンとして、よくお喋りしていた。たまに私の家に招くこともあったし、こんな感じで探偵ごっこをすることもあったし、迷子の猫やら人の無くし物やら、街の色んなトラブルに二人で首を突っ込むこともあった。────たまに警察の人に怒られることもあったが。
私はこのまま、将来探偵になりたい、と強く思っていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!