ほらね。
「 _________湊斗、お誕生日おめでとう! 」
優しい声が聞こえた。
それが聞こえた気がして、目が覚めた
その横で、一人のこどもの喜ぶ声が聞こえた。嬉しそうだった。泣きたくなるほどに、無邪気だった
『 やったーーー!!!ひーろーのべるとだぁーーーー!!! 』
『 おかしゃねこれしってる?あんね、こえつけるとひーろーにへんしんできちゃうんだよ________ 』
_______一言で表すのなら、新緑。
桜前線で浮き立っていた世間はそれこそ散っていく桜のようにあっという間にその色を桃色から翠に塗り替え、がらりと世界自体の空気が塗り変わったような声々を見守っている
オフィスから皆の声がする。携帯をなんともなしにタップした。_______4月29日。
明日は、俺の誕生日。
といっても本来そこまで意識する行事でもなかった。勿論かつては母親や弟、孤児院の大人たちに祝福されながら幸せな1日を過ごした事もあったけど______今はもう、影も形もない。
祝う人間は、自分自身を勘定に入れたとしても、誰一人としていなかった。
歳をとったからなんだというのか。
大人に近づいたからなんだというのか。
自分はどうせ、この先も、この後も、過去も、未来も、何にも成れはしないというのに。
ある種拗らせすぎた思春期のやさぐれだと言えば否定は出来なかった。酷く真っ黒に燃え尽きて燻っていたのだ。完全に灰にはなれない事を幾度も恨み叫ぶほどに。
何も食べる気が起きなかった。口に入れた全てが体内を拒絶していたし、身体もそれを拒絶していた。全てへの適応能力が失せた様に、箸も、カトラリーも、悲痛な音を立てて落ちていって。
_________でも、今は違う。
全てが終わったあの時から。そのまま全てが終わった状態で死にながら逝き続けるんだとそう漠然と思っていたのに、それ以外の未来は見えなかったのに、何の因果か、今の俺は言ってしまえば_______再び、柔らかくて暖かくて、眩しい光に包まれて、その一員となっていた。
超能力の類を疑うほど勘が効く相棒が珍しく目を見開いて驚いていた姿がよく目に残ってる。
「そういやあんたは知らなかったわね」「わ、てっきり共有されているものかと…」と続けた姐さんとナタの声も。
俺達が出会ったのは4月が終わってから少し先の春の頃だった気がするから、ちょうど再び巡り合うには1年近い長い時間がかかってしまったんだろう。自分の誕生日なんか話す種の候補にもなっていなかったから、俺自身でさえああそういえばそうか、と自分で言って再確認したほどだ。
10月のはじめ、それから終わり、そして2月。こいつの誕生日を祝った時だってあったのに。自分のことは不自然なほどに脳裏に浮かんでくることはなくて、どうしてだろう、とふとぼやいた時、隣で歩いていた咎乃は一切の淀みのないような口調できっぱりと言い切った
「 _________お前さあ、自分に興味無さすぎるんだよ 」
あ、そうか。そうだな。そういうことか。
驚くほど否定の感情も困惑も混乱も浮かんでこなかった。言われてみればそうだ。咎乃はふとした時に恐ろしいくらい核心をついた事を言うけれど、この件に関しては俺にも問題がある気がした。というかそうなのだろう。あの時の咎乃の目つきを思い出す限り。
そうだな、と馬鹿みたいにぼやいた俺に咎乃はでかでかとため息を吐いて、「お前さぁ…」ともう一つ吐き出した後、
そう、はっきりと、宣誓するように告げた。
それだけ言ってすたすたと歩みを進める足跡を追うのにさして苦労はしなかった。というか、そもそも、
…姐さんとナタにも、同じような事を言われた。
「楽しみにしていろ」と言われた
ものすごい手振りで指をさされて固まる。
…子供の様だった。かつて鏡に映った自分に、かつて目に映った自分と似た姿のそれに、似ている…というか、像が重なるようで
違う、嫌、だとか、そういう話ではない
ただ、少し、
…くすぐったい、んだろうか。
実際それは駄々や屁理屈などではなくて事実だった。あの俺達が出会った年の夏の日、”すべて”の真実を知る事がなければ______こいつは、自分がいつ生まれたのかも、言ってしまえば自分の年齢すらも、知らないままだったんだから。
俺も特に何も言わなかったからこいつの中で話がひと段落したらしい。そういえばもう昼だ。ふと我に帰ってみても確かに腹は割と空いている、し…
何より子供より貧弱な胃袋をしているこいつが自分からそういった事を言い出すなんて珍しいから、そのまま賛同した。
くるりと足先を向けると同時に、_______何かが風に揺られる音がした。
見上げてみると、そこにはいつの間にか散った桜色の代わりに、青々とした葉桜が咲いていた。見上げてふと呟きが漏れる
下らない言い合いをしながらふと情景が脳裏を掠めた。
________葉桜。そういえば、昔も見た事がある。
「ピクニックしよっか」と笑った母親の顔を。夢が詰まっている様に思えたバスケットの想像より重かった楽しい感触を。
あの丘はどうなったんだろう。
________多分、きっと、あの時、崩壊したんだろうな。
今更それには何も思わない。いや、思い出の一部分がもう無いとなればその事実は確かに悲しいけれど。よりにもよってその元凶の実息子がすぐ隣にいるとか、そんな数奇な運命と因果の巡り合わせは、今更恨む気もない。というかそもそも最初から恨みも何も無かった。だって、咎乃緋朔は咎乃緋朔なんだから、ただそれだけなんだから
気づけば口が開いていた。
俺のその言葉に咎乃は相槌を打つ事はなかったけど、ただ黙って俺の発する言葉の、問いかけの、続きを待っている事だけは当たり前にわかる
多分、割と予想外だったんだろう。その目は控えめに、けど確かに一瞬ぱちりと見開かれた
なんでこの問いかけをしたのか自分でもわからない。17…もうじき18の男が同じく同年代の男に対してする質問にしては少し抽象的で美しすぎる気もする。でも、乱雑に、まだ結論の出ない思考回路を完成させるには、「これ」がゆるりと必要な気がしたんだ
嫌い、とか吐き捨てるようなやつでは無いとはわかっていたが、その返答に一旦安堵した。そんな俺の様子を見るなり咎乃は軽く吹き出すように笑う
はっきりしない俺の態度に咎乃は何かを察したのかただふ、と小さく笑って言った。
「 好きでも嫌いでも、お前が行きたいならどこでも行くよ 」
_________とか言ってたらもうあれよあれよと1週間経ってしまった。
いや、しまった、と使うほど大した事でも無いのだが…
もうすっかり日は落ちて、晴れているのか黒い空には幾つか星が見えた。3人のうち誰かがオフィスの冷蔵庫を開ける音が聞こえる。今シャワー浴びてるのどっちだったか、もう一人はどこに…
だとか意味も無く思考の隙間を潰すように考えていたら携帯が一つ音を出した。見慣れ、使い古し、きっとこれからも終わりなく使い続ける事になるであろう相手からのメッセージ。
今コンビニだけど食べたいものある?だそうで。最初に湧いてきたのはよくもまあこんな夜に行く気になったな、という感情だった。どうせ行ったとて年頃の女子だとかそういう量しか買ってこないのだろうに。
「ない」とだけ返して電源を落として目を閉じた。これだけであいつには十分だろうから。
今日は丁度任務終わりだったし特にやる事も無い。この職業の人間にしては寝るには少し早い気もするけれど、このまま寝落ちしても何も言われはしないだろうから。もしその反動で朝早くに目が覚めてしまったとしても。
微睡み始めた意識の中でぼんやりと思った。…そうか、あの針がもう少し…2時間くらい動いたら、もう_________
_____誰に、何に起こされるでもなく、目が覚めた。
人工的な明かりは無く、窓から差し込む陽の光だけがぼんやりと照らす明朝の空気。
上半身を起こして、何の気なしに携帯をタップした。
____「4/30」
ああ、まあ、こんなものか。
特に何か感じた訳ではなかった。ただの365日…366日分の一ページでしかないように感じる。ただその白い文字をぼんやりとなぞる。感性の冷めきった奴には何となくなりたくないのだが、まあ、正味俺が年を一つ取ったからといって何かが変わる訳でもないし_____
__などと言っていたら午睡の感覚がそれなりに醒めていく声が外から聞こえた。
部屋着のままのそいつが通りかかったようで、少し不思議なくらいに俺の目を見る。ここまでは正直いつもの事だ。その後温い水のような挨拶を交わして、何も変わらないように、けれど、
今日は、違ったみたいで、
____思い出したように、そいつはそう言い放った。
慣れていないのか完成された語群から少しのたどたどしさが滲み出ている。かと思えばその言葉を言い終わったと同時にひとまず安心、という感じで息を吐いたから、
その明るさを秘めたような声は
嘗て聴いたものに、言われたものに、似ていて
その言葉は
「なんでもない」なのか、
「ありとあらゆる理由でも」なのか。
問いただす気は起きなかった。
聞こうが、聞かまいが、どちらでもあろうが、
何も変わらない気がしたから。良い意味で。
ほんの少しだけ改まったように咎乃は笑ってそう言った。それは違和感なく己の脳内に滑り込んで来て、嗚呼、それは、
多分、一昔前なら、この質問だけで長考していたんだと思う。それかほんの3秒くらいの稚拙な刹那を設けて、死んだ魚のような顔で「ない」とだけ零していた、けど。
そこまで、しょうもない選択肢を取れるほど、
今の俺は、
____そこまで、「空っぽ」では無くなってしまったから。
この質量を手放す事は出来ない。出来たとしても、____…したくない。
そんな俺の相も変わらず煮え切らない言葉を聞いて、
咎乃はやっぱり、嬉しそうに、満足そうに笑った。
身に余るくらいの幸福だ、と、
感じずにはいられなかった。
姐さんとナタは顔を見るなり「誕生日おめでとう」「おめでとうございます!!」と言ってくれた。
友達…ダチ2人からも直接電話が来た。電話口のいつもの騒がしい言い争いの後で言われた二つの「おめでとう」がひどく身に染みた気がした。
姐さんは「今日はパーティーするから」「あんたほどよく食う奴いないんだから楽しみにしてなさいよ」と笑って腕を捲って、
ナタは「これからもよろしくお願いします!!」とよく描けた、鮮やかな色使いの絵を…かつて咎乃や姐さんにしたのと同じように笑って渡して来て。
友達二人と電話越しに「近いうちに会おう」「その時プレゼント渡すから」と約束して。
咎乃はそれを茶化しながら、同じように褒めながら、隣で楽しそうに笑っていて。
脳がぱちぱちと静かに反応するように、どこか浮き足だって足取りが早くなるように、あまり現実感というものがなかった。顔では受け答えをしていても、正直内心ではまだ追いついていなくて、
こんなにも。
こんなにも「人」が、
自分の周りにいるだなんて。
それぞれの矜持を、人生を、大切な何かを傍に抱えながらも。
俺、というだけの存在に、ここまで。
しかも、それだけではなくて。
「それでも手を差し伸べてくれている」なんて場所では満ち足りない、
すぐ隣には、…何と言えばいいのか、
元から、唯一で無二の________
小さな図体で全てを見下ろして笑い飛ばしてくるような顔が思い浮かぶ。それからそのすぐ隣にいるような身長だけは高い幼気な顔も。
…しかし、改めて考えると、なんというか…
________名前も知らない鳥が鳴く声が聞こえた。
思考が纏まっていくようにふと窓の外を見ると、朝を塗り替えた抜けるような青空が広がっている。
少しだけ考えた。躊躇いや厭いとは少し違う。ただ、本当にこれをして意味はあるのかとか、下らない、結論を急こうが何も変わらないような事を______
_________真っ直ぐな目だった。
間違えたとして、正してくれる目だった
正しければ、笑って着いてくる目だった
どうしようもなく、根拠が無いとしても、
安心出来る、目だった
本当にそうかはわからなかったとしても、確かに選択の全てを肯定してくれるように感じて
「そう」だと、信じさせてくれるものだと感じて
それが瞬きひとつにすら満たない思案だったとしても、確かに脳裏を埋め尽くすようなものだった
蘇るのはいつだって
あの日の、何処までも広がるような________
嗚呼なんて今更な言葉なんだろう、と、言い終わった時にはもう遅かったみたいで。
そんな俺の今更すぎる言葉を真正面から受け取った咎乃は、一瞬目を見開いて、
また、楽しそうに笑った。
オフィスを後にして市街地からは少し逸れた方向へ進んでいく。ここら一帯はパトロールで何度か回っているから、ある程度の道は覚えていて滞りなく足は動いた。
改めて考えると、今日は二人とも任務が休みだったから、私服だ。
お互い何の頓着も無いし疎いから、合わせようと画策したわけでもあるまいにどちらもそれなりに手にとったシャツとそれなりに手に取った上着を着て、この場所を歩いている。
____絶望に塗れて、全てがどうでもよくなって、気づけば、日常の全てに興味が無くなっていくんだ。
そして、それに限りなく感覚を共有できる奴も紛れもなく咎乃で。
でも、同じように…いや、細部は違うし、それぞれ皆違ったそれなりに身に余るほどの苦しみを抱えてここに来たのだろうけど、確かに絶望に突き落とされる感覚は確かに共有出来る姐さんやナタは、俺達二人とは違った。
楽しそうに服を選ぶし、日常の全てに眼を輝かせるし、それはこの世界に比較的訪れたばかりのナタだけではなく、俺達よりも更に大人の姐さんも同じことだった。楽しそうに舞い踊るナタをすぐ後ろで見守りながら、本人も人生を謳歌している様にいつだって見えた。二人にはいつだって陽の光が当たっているように見える。
俺達とは違った。
此処で咎乃を一括りにする事には、不思議と抵抗は無かった。
俺らは多分、”人間”らしく生きる事にまだ、練習中なんだろう。
形だけは人間らしいような言葉を交わした。
森林というには人工的すぎるけれど、確かに木漏れ日が差し込むような道を歩く。
市街地からそれなりにそれた事で、空気も変わって来た気がする。肌に馴染む感覚。肌に馴染む空気。
咎乃も薄々目的地を察してきたのか、隣で心なしか先ほどよりもにまにま…?と笑っている気がする。相変わらずの勘の良さ。…例えばだけれど、こいつにサプライズとかをするとなったらどれだけ苦労するんだろう。というか、ここまで勘が良い癖に俺の誕生日を知らなくて驚愕していたのは何だったんだ。いや、これを言った所で「お前のせいだろ」と恨み節で小突かれるだけな気がする。実際そうだし。
前回に訪れた時は、急いでいたし足を止める程ではなかったから。
あまり馴染みのない、けどその言葉で形容するにはあまりに記憶に刻まれた空気、
「あの日」、と、同じ風。
それを感じたくて、一つ息を吸い込んで____
その景色が、開けた。
_________蒼々とした空の下に、地平線いっぱいの湊が広がっていた。
芽吹き始めた葉桜はその身を揺らして、葉一つ一つに陽の光を反射させる。それがきらきらと光って、あの遠くの水面にまで映っているように見えた。
ここまで辿り着いた者にしか見る事の出来ない、秘境…という感じの。
_______その全てを見た瞬間に脳裏に浮かんだのは、幼い頃の情景。
息をする事も忘れるくらいに全力でフラッシュバックした景色が、パズルのピースがはまったようにひどく鮮明に蘇って脳内を埋め尽くす。
『 ね、湊斗!綺麗な海だよ! 』
決して止まらず過ぎていく日々に押し流されて、どんどん奥底にしまわれていきそうな記憶。改めて意識すればひとひら掬う事くらいは出来る記憶。_______この景色を見れば、はっきりと蘇るくらいの記憶。
そんな俺に気づいたのか、決してそういう俺を見逃しはしない咎乃の視線に気づいて、我に帰った。
…そうだ。もう、一人じゃないんだ。
ずっと過去を見ていることはできない。逃れようの無い現実をここまで引っ張って来てしまったから。
潮風の匂いに流されるままに口を開いた。それは言って仕舞えば自分語りに他ならず、けど咎乃はきっとそれをただ黙って聞いてくれるという確信があったから。
誕生日くらいは、そんな贅沢も、許されるかな、と思って。
許すも許さないも、裁量を言い渡してくる存在なんてどこにもいないのに。
それは、あの時からずっと、雁字搦めに縛られた糸のようで。
何だか謎に罰が悪くて少しだけ目を逸らした。確かに17…いや、18にもなって理由が幼稚すぎるかもしれない、と改めて思ったところで、咎乃はまた口を開く。
________その言葉が「来たくなかった」だとかそういう意味合いでは全く無い事はわかっていた。その上で、真っ当な質問ではあった。
そういえば何でだっけ、とふと言葉を失った。俺はいつもそうだった。詳しい理由も無しにとりあえず飛び出して、後からそれを問われてはそこで考える。
でも、この言葉への返答は、俺が言葉で言わなければならないんだと、不思議と感じていた。なんでもいいだろ、と言って仕舞えばそれまでだ。けど、それでは駄目な気がする。_________親離れ出来ていないとかそういう話とはきっと違うんだろうけど、
あの日から変わらない笑顔を浮かべた母親が、
「 素直にね 」とどこかで言っている気がするから。
背中を押す手のひらの感触すら、都合よく妄想したって感じる事はできないのに。
…そもそも、幼い頃の自分は素直な方だったと思う。馬鹿正直で、少なくとも母が生きていた時は、ずっと。
それなら尚更わざわざ「素直に」なんて嗜めて背中を押す理由が無い。つまりこれはやっぱり俺の都合の良い想像で、それでも、
あの日と変わらない風は、
確かにこの背を押してくれる気がするから、
すう、と息を吸い込んで、その目をまっすぐ見つめた
__________時間が止まった、というたぐいの表現は、こういう時に言うんだろうな、と。
99%を本能の儘に口にした自分を、どこか幽体離脱でもしたように俯瞰視点で一周回って冷静になって見ているような自分が、そう呑気に思っていた。
見開かれた目が瞬きを繰り返す回数を何故か克明に記録して覚えていられるくらい、______けど、3秒だったかもしれないし1分だったかもしれないし数分だったかもしれない、だとかの使い古された文句は使えなかった。絶え間なく寄せては返す波の音が数秒の繰り返しを美しいほど残酷に、時計の秒針のように鼓膜を震わせてくるから。
__________5回くらい、小波の音が聞こえたその辺りで、何と言うか、理性が戻って来た気がした。
待て、俺は今何を言った?もしかして何と言うかこう、唐突且つ勢い任せのだいぶ凄い事を________
そのぱぁっと何かが開いたような嬉しそうな顔に凄い勢いで近寄られて、その雰囲気に今度は俺が放心を裂かれて狼狽えるように目を見開く。
__________俺って何か、隠し事向いてないな。
一周回って冷静になった自分ではない自分が酷く冷静にそう思った気がした。
笑いを抑えきれないといった様子で言う咎乃に、怒りでも癇癪でも八つ当たりでもあるような声が出た。けれどやっぱりそこに「否定」は一切含まれていないような気がして。俺って今しがた言われたがもう18という事は「大人」なんだよな、大人の姿か?これが?
依然として笑い続ける咎乃に拳を握る。…何の為の、何に振り下ろす為の拳だ?これは。強いて言うなら自分だと思う。この馬鹿野郎を一発殴ってやりたい。さっきまでの余裕は本当にどこに行ったんだろう。
________こんな平日の昼下がりに、こんな丘の上に訪れる人間なんて、きっといないだろうから。
18歳と17歳の、不完全で未完成な二人が、馬鹿みたいに笑って、叫んで。
あの日訪れた記憶のような静けさは何処にもない。騒がしくて、騒々しくて、喧しくて_______どうしようもなく、楽しくて、そして、”嬉しい”、そんな
大胆な照れ隠しでしか無いけれどかこつけて叫ぶ。波の音がふと掻き消されて消えていく。
あの時ほど、俺の立っている場所は平和では無い。
俺以外の誰かが、あの日の俺ような一瞬で過ぎていく平和を今もこの世界のどこかで享受していて、けれどその平和は残念ながら永遠に続くと完全に保証されたものではないから、_______俺は、そういう残酷を、一つでも減る様に奔走する側の人間。隣の、こいつと共に。
もう、あの時には決して、一生、戻れはしない
”この場所”に取り残されたままじゃ、いけないから
だから、進まなければならない、
________共に。
くつくつと音を立てて笑いを納める咎乃は、腕を伸ばして、それから海の方を一瞥して、そしてもう一度俺の方を見た。
あの遠く遠くでぼんやりと光っている太陽の光さえ
今は視界に映る情報として煩すぎるくらいだった。
時間を止めるな何度も。そもそも何だよこの景色、赤いのか青いのかどちらかにしろよ、というのは流石に理不尽だとしても_________
気丈に振る舞おうとか、普段から意識している訳ではない。それでも間違いなく今言えるのは、あまりに今の俺はぎこちなさすぎて、本当になんなんだ。何が18歳だよ。本当に。17歳ですら無い気がする、というかそんな気しかしていない。
実際、そうだった。本当に図星だった。
多分、俺は…
まさか俺が自らそれを言うとは思っていなかったみたいで、咎乃はまた目を見開く。そして、再び吹き出した。
二つ返事で「もうあげているつもりだった」なんて、言ってのける奴には。
フラッシュの一つも無かったけれど、それが一瞬光ったから、そのいつの間にポケットから取り出したのか手に持たれた_______携帯で写真を取られたんだということはすぐにわかった。
適当な言葉の応酬をバレたか、とか言って、_______何かポーズとか取る質でもないから、ただその姿をぼんやりと見つめていた。写真を確認した咎乃が嬉しそうに頷いて顔を上げたから、多分、それなりに良いものが撮れたんだろう。正味自分の写真だなんて興味はないけど、こいつが楽しそうならまあいいか、
だなんて他人事の様に思っていたところで、咎乃はずいっとこちらに近づいた。
馬鹿みたいな小競り合いの後にカシャ、と撮影音が響く。…定期的に思うんだが、こいつテンションが何か、女子高校生みたいな所あるな
慣れた手つきでメッセージ画面に画像が添付されていく。…送ってすぐ既読がつくとかそういう事は無かったけれど、多分送った相手たちは最低でも今日中には絶対に気づくだろう。そういう距離感だから。
なんて言っていたら、
_________二人して画面を凝視して、視界を上げたところでふと、お互いと目が合う。
…それが何だかあまりにも馬鹿みたいで、二人揃って吹き出した。
_______遅すぎた青春が、遅咲きの青色が、漸く訪れたのかと、都合よく想える…錯覚出来るくらいに。
手が触れてカメラが連写される音がして、それを奪い合う音がして、その全てがすぐに笑い声に掻き消える。体力自体はこんな職業柄人並み以上にはあると、そう思っているのに_______こんな時には何故だか、すぐ息も切れて真っ赤になっていくんだ
苦笑を浮かべた俺に咎乃はまっすぐな目で聞いた。…こいつは、こういう所がある。そんなわけ、と天邪鬼になりたいのに、どうにも嘘を吐く気もなくなるような、そんな目。
散々振り回して好き勝手する癖に、我に返ってみれば、いつだってこの息吐く暇も無く騒がしく鼓動を早めるどうしようもない浮き足立つ感覚は、こいつが運んできたもので。
_______時間は戻ってくれない。
戻るような、残酷な事には、もう、ならない。
口の端を噛む。_______そして、
その目を、その目の先の蒼い景色にまで届く様に、答えた。
携帯をしまって言う咎乃に、鼻で笑い飛ばすように答えた。
________見えているずっと先で選んだ時から。
瞼の奥が震えて、目を瞑るほどに日が差す方で、誰かの、強い光の隣で、正しく有れるように。
新たな季節を揺らし始めた喧騒の最中で、
_________俺はもう大丈夫だ、と。
きっと空の上にいる、見守ってくれている家族に、伝えずにはいられなかった。
熱冷めやらぬまま、けれど確かに、携帯に何か字を打ち込む咎乃を背に一人で立って地平線の奥を見据えた。
そういえば使っていなかった自分の携帯を取り出す。______咎乃と同じグループに来ていたのと同じもの以外、一切通知はない。他の誰かからのメッセージも、一つもない。そりゃそうだ。知っている。_______それで良いのだ。
波の音が聞こえる。先ほどと同じ。_______正真正銘の、「あの日」見たのと、同じ海。
この海は、湊は、変わらないけれど。
俺は、変わっていかなければならない。進んでいかなければならない。歩幅を合わせて共に。______もう一度、何回でも夜を裂いて、光の方へ。
静かに一つシャッター音が響いた。誰に送るわけでもない。現像するかもわからない。ただ、
新しい今日を、全てを、忘れないように。
振り返ったから太陽に背を向けているのは俺なはずなのに、ふと正面から陽に照らされているように光って見えた咎乃が笑っていた
ただ一言、頷いて、携帯をしまって、全ての情景を背に、地面を踏み締めた
強い、強い、暖かな光の方へ。
4 / 30
_ Minato Kaibara
Happy Birthday _












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!