花が散る音すら聞こえそうな、穏やかな午後
流星の寝息は相変わらず規則正しくて、小さな鼓動が時々、大吾の肩越しに伝わってくる
ふと、そんな言葉が大吾の心に浮かぶ
誰かとこうして過ごす時間に、嫌悪も疲れも感じていない自分が不思議だった
昔から他人が苦手だった
顔色を伺うのも、距離を測るのも、心を許すのも全部、煩わしい
付き合いだとか、社交だとか、要らんことばかりがまとわりつく「人間関係」なんて、ただのノイズにしか思えなかった
だけど、今
こうして肩を貸して、眠る姿を見ていて、まったく嫌じゃない
むしろこのまま、もう少しだけこうしていたいとさえ思う
小さく、誰にも届かない声で呟いた
流星の存在は、うるさくもないし、気を使わせるわけでもない
けれど無関心とも違う
ちゃんと距離を保ちながら、けどどこかで、自分の心にそっと触れてくるような
そんな不思議な存在だった
初めて出会った夜、雨に濡れて、それでも目だけはどこか諦めたように静かで
契約結婚、Dom/Subのシステム、形式だけの同居
どれも“必要だから”始めたことで、そこに感情なんて無いはずやった
流星が何を考えてるのか
どんな物が好きで、どんな事に笑って、何が嫌で、何に傷ついたのか
そういうのを、もっと知ってみたい
誰かの“中身”に興味を持つなんて、自分らしくもないのに
それでも今、大吾の心の奥底に芽生えているこの感情は、明らかに変化だった
けど、その声に苦笑が混じるのは、嫌じゃない証拠
気づけば、流星の寝顔をずっと見つめてしまっていた
ただ眠っているだけなのに、なんでこんなに安心するんやろな、って思いながら
大吾はもう一度、ふぅと静かに息を吐いた
それはたぶん、これから何かが変わっていく前触れのような、そんな息だった
その後も頬をほんのり桜色に染めて、流星はまだ大吾の肩にもたれたまま、すうすうと眠っていた
時折、まつ毛が小さく震えて、その表情はまるで安らぎの中に包まれているようだった
けれど、ふと風が変わる
空を見上げると、さっきまでの青空がゆっくりと灰色に滲みはじめていた
遠くで雷のような重たい音が、低く鳴る
さすがにこのままじゃ、雨に濡れる
そう思った大吾は、ため息ひとつついてから、そっと流星の身体に腕をまわす
そのまま、ふわりと抱き上げた
思わず、大吾の心にそう感想が浮かんだ
最初に腕に抱えた時よりも、確かに少しふっくらした
ほんの少し、頬にも丸みが戻って、華奢な肩にも若干の重みが出た
けどそれでも、まだ軽すぎる
ぽつりと漏れた言葉は、自分でも驚くほど自然だった
出会った頃、触れたら折れそうやった身体
言葉も少なく、笑顔なんてほとんど見せなかった
今は、違う
食べ物の話をすれば目を輝かせて、メイク用品を手にすれば少年みたいに喜ぶ
でもその細い腕や軽さを感じるたびに、大吾は思ってしまう
まだ、足りてない
まだ、安心はできない
その言葉に返事はない
流星は、大吾の胸の中で小さく身体を預けたまま、眠っている
歩き出した足は、決して急がない
風に揺れる桜の花びらが、ふたりの姿をそっと包む
大吾の腕に抱かれた流星の寝顔は、どこまでも穏やかで
大吾の心にそっと沁みるほど、綺麗だった
そして、大吾の中でまたひとつ、流星に対する想いが深まっていった
そして流星をしっかりと胸に抱えたまま、大吾は視線だけで辺りをぐるりと見渡した
シートの上には、今日買ってきたパンや、空になった水筒、流星が嬉しそうに並べていた小さなピクニックグッズがそのまま残っている
桜の木の枝が風に揺れて、ひらひらと花びらが舞い落ちる中、ゆっくりとした足取りで車の方へ向かいかけたところで、大吾はぽつりと呟いた
それは命令というより、自然とこぼれたような声だった
けれど、その響きには“絶対”が含まれている
すぐさま答えた丈一郎は、一切の迷いも見せず、すっと膝をついて手際よくピクニックの後片付けを始めた
いつものことだ
けれど、今日の大吾は違った
流星を抱えたその腕は、あくまで優しく、それでいて離さないようにしっかりとしている
振り返ることもせず、ただ流星の眠りを邪魔しないように静かに歩くその背中は、丈一郎から見ても珍しいほどにあたたかかった
そう心の中で思いながら、丈一郎はそっと、桜の枝を払い、パンの空袋を袋にしまう
それぞれが、それぞれの役目を淡々とこなす
だが、その中心には確かに流星の存在があった
そして、どこか誇らしげに
丈一郎の表情は、少しだけ緩んでいた
そして片付けを終え、桜の花びらが舞う中、丈一郎は静かにトランクを閉めると運転席へ向かう
助手席のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは
流星をそのまま膝に乗せて後部座席に座っている大吾の姿だった
一瞬、言葉が詰まる
けれど丈一郎は何も言わず、ただ扉を閉めてから、運転席に腰を落ち着けた
バックミラーの中、大吾は何事もないかのように流星を抱きかかえたまま座っていた
その表情は、ほんの少しだけ、柔らかい
小さくそう呟いて、大吾は流星の頭が揺れないように自分の腕をしっかりと回したまま、電動で背もたれを倒していく
その動作はまるで慣れているかのようで、けれど同時にとても慎重だった
丈一郎は運転席でシートベルトを締めながら、何度も何度もバックミラーを見返していた
心の中で呟く
大吾が誰かを膝の上に乗せるなんて
いや、そもそも“大吾が他人にここまで体温を許す”なんて、今まで見たことがない
ましてや、それを自然にやっている今の姿に、丈一郎は思わず軽くため息をつく
その時、大吾がふいに目を上げて、バックミラー越しに丈一郎と目が合った
無言のまま、けれどどこか“何か言いたいんか?”という視線を投げかけてくる
丈一郎は慌てて視線を外し、エンジンをかけながら口元を引き結んだ
その声に、大吾は小さく頷くだけだった
流星の頭をそっと撫でながら、車は静かに発進していく
桜の舞う通りを抜けてこの小さな静寂は、たしかに今の“大吾らしくない大吾”を、しっかりと映していた












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!