※藍視点
人が捌けた食堂はとっくにピークを過ぎていたこともあり、話に違わず目に入るおかずの量は寂しいものだった。
トングを掴んだあなたさんはそう言うと、宣言通り、自分の分のハンバーグを俺の皿にのせてくれた。
けれど、一緒に座って食べることはしなかった。
うながした隣の席を丁寧に断るあなたさん。
仕事は手伝わせようとするのにそこは遠慮するんかい、とつっこみそうになったが、すでに頬張っていたハンバーグのせいでその台詞は塞がれた。
一応約束なので、ハンバーグと交換条件のあなたさんの手伝いをするために、荷物置き場のようになった一室でパソコンを開き、ではやろうかとなったところで、俺は固まる。
画面に表示された未処理の映像資料の数に愕然とした。
この膨大な動画全部見るんてまじ?アタックの決定率やら効果率やら端から端までデータ打ちこんで、そっからまた分析作業って、正気ですか?睡眠時間ある?
電子パッドを取り出しながら、平然と言ってのけるあなたさん。
そこで一つの疑問が浮かぶ。
たしかに。思い返せば、みんなの前で初めて挨拶をしていたときも、名前とサポートスタッフであるということくらいしか話していなかった気がする。
可愛い顔してめちゃくちゃ言いよって…と思いはするが、たまに現れるその悪戯めいた表情が、ちょっと癖になってきていた。
それにしたって、この量である。ハンバーグ一つでは絶対に割に合わない。
ポチポチとキーを押しながらぼやく。
完遂する頃には何時になるんだろうと計算し、ゾッとした。
安請け合いするんじゃなかった。こんなに大変だとは。
少し反省した。
わざわざ手間のかかる方法をとらなくてもいいのに、なんて浅く考えて発言してしまっていた。
明確な理由の元、チームにとっての最良の手段を選択してくれていたのだ。
たとえそれが、自分にとってどれだけ負荷のかかることだとしても。
目を細め優しく微笑むあなたさん。それにつられて、眉間に寄せていた皺が緩み、自然とこちらの表情も和らぐ。
俺、この人ともっと仲良くなりたいかも。
このとき、素直にそう感じた。
電子パッドを操る手をとめ、俺の座る椅子の隣にしゃがみこみ、あなたさんは具体例を教えようとしてくれているのか、キーボードに置いた俺の手の上に自分の指を重ねだす。
触れられところが熱を帯び、血液をつたって心臓へと轟いた気がした。
なんでやろ。胸がきゅってなったんは。
胸の異変に動揺した俺はそれを誤魔化すように、ひたすらあなたさんの説明に耳を傾けた。
うーん、と考えるような声を出したあなたさんは答えもせず、またあの顔で笑うだけだった。
その顔と、手の甲に触れたままの熱と、理由のわからないこの状況に、俺の脳内はひたすら混乱するしかなかった。
睡眠時間がなくなるから、と作業から解放された俺は、自分の部屋へと続く通路を歩きながら、絶え間ない疑問の答えを求めて、思考を巡らせた。
本気で手伝わせるつもりなら、こんな中途半端なところで帰すだろうか。
実際、処理しなければならないと言っていた動画の十分の一もやっていない。
それに、説明のために見せた動画がたっちゃんのものだったのも偶然なのだろうか。
例えば…あなたさんは始めからなにもかもを知っていて、祐希さんみたいに、あるいは祐希さん以上に、すべてお見通しだったのだとしたら。
片付けに来たタイミングも。
ハンバーグのことも。
データ整理を手伝わせたことも。
そして、あの映像を見せたのも。
明日の練習で実践しろってことかいな。
それでたっちゃんのいるコースをぶち抜いて、俺に自信をつけさせて。
そうしてまたあの悪戯な顔で笑うんやろか。
あの笑顔を向けられたら向けられたで、途端に体温が上昇するのは以前と変わらず。
誰もいなくなったコート。つぶやく独り言。落ちこんで、じっとしていられなくて、繰り返すサーブ練習。
振り返るあの日と重なる部分は多いのに、今とあの日とではまるで違う。
夕日が漏れる体育館の入り口からひょっこりと姿を見せたあなたさんが俺に尋ねる。
心配しないで、と言ったら。
と、両手に持ったタオルとペットボトルを背中に隠した。
散らばったボールを拾い上げ、思い出したように言うあなたさん。
また、俺の好物を当てて。
また、そうやって首を傾げて。
どれだけあなたは俺の気持ちを押し上げるのが上手なん。
太陽を背負ったあなたさんの表情は逆光によってはっきりとは見えなかったが、あの日と同じ、悪戯な笑みを浮かべていることは容易に想像できた。
俺の好きなものはなんでもお見通しだというのなら、今一番好きなものには気づいてくれてるん?
おそらくそこだけは知らないんだろうな、と理解しているものの、それもなんだか物足りないような気がして。でも、この心地よい関係を手放す勇気もなくて。
一番近くで、できるだけ長く、あなたさんのその笑顔を見ていたいって思うのは我が儘やろうか?
もしかして、もしかすると。
あのときに足りないと感じていたのは、過度な練習でも、緻密なデータでもなくて、あなたさんだったのかもしれない。
一番必要だったのは、あなたさんみたいな人の存在だったのかもしれない。
あなたさんに、ん?と目を細められ、体温がまた一段階上がる。
悪魔みたいに悪戯な顔で笑って、天使みたいに優しさしか詰まっていない行動ばかりで。
落ちる陽が角度を変え、コートの中に降りそそぐ。
眩しさに目がやられそうになるが、もっとこちらの目を眩ませる人が正面にいるので、そこは問題ではない。
問題があるとすれば、熱を帯びた頬の有様を晒してしまうかもしれないということ。
だからこの顔を照らし、赤を上書きして染めてくれる夕日に少しだけ感謝した。














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!