第13話

青は染まる
405
2025/12/13 10:44 更新




※藍視点



藍
少なっ


 人が捌けた食堂はとっくにピークを過ぎていたこともあり、話に違わず目に入るおかずの量は寂しいものだった。



(なまえ)
あなた
ぎり一個ずつなんであぶなかったですね


 トングを掴んだあなたさんはそう言うと、宣言通り、自分の分のハンバーグを俺の皿にのせてくれた。
 けれど、一緒に座って食べることはしなかった。



(なまえ)
あなた
選手の方と同じ卓で食事するなんて恐れ多いので


 うながした隣の席を丁寧に断るあなたさん。

 仕事は手伝わせようとするのにそこは遠慮するんかい、とつっこみそうになったが、すでに頬張っていたハンバーグのせいでその台詞は塞がれた。







藍
…これ終わりあるん?


 一応約束なので、ハンバーグと交換条件のあなたさんの手伝いをするために、荷物置き場のようになった一室でパソコンを開き、ではやろうかとなったところで、俺は固まる。


 画面に表示された未処理の映像資料の数に愕然とした。


 この膨大な動画全部見るんてまじ?アタックの決定率やら効果率やら端から端までデータ打ちこんで、そっからまた分析作業って、正気ですか?睡眠時間ある?



(なまえ)
あなた
レセプションとかディグとかそれぞれに対応するキーはここに一覧にしてあるので、それ参考にしながら入力していってもらえると助かります
藍
えげつない量っすね
(なまえ)
あなた
普通ですよ
藍
感覚麻痺してもうてない?
(なまえ)
あなた
それはあるかも


 電子パッドを取り出しながら、平然と言ってのけるあなたさん。

 そこで一つの疑問が浮かぶ。

藍
あなたさんってアナリストやっけ?
(なまえ)
あなた
…いや?
藍
なんでふわっとした答えなん
(なまえ)
あなた
自分でも立ち位置が確信できていないというか…曖昧な状態で呼ばれたというか…


 たしかに。思い返せば、みんなの前で初めて挨拶をしていたときも、名前とサポートスタッフであるということくらいしか話していなかった気がする。

(なまえ)
あなた
名目上アナリストのアシスタントも、とはなっているので、まぁ、全般的にお手伝いをさせてもらっているのが現状です
藍
…体大丈夫?保たんやろ
(なまえ)
あなた
選手のみなさんのほうが大変でしょう?
藍
なら今の状況矛盾してない?
(なまえ)
あなた
ねー
藍
首傾げて誤魔化さんといて


 可愛い顔してめちゃくちゃ言いよって…と思いはするが、たまに現れるその悪戯めいた表情が、ちょっと癖になってきていた。




 それにしたって、この量である。ハンバーグ一つでは絶対に割に合わない。

藍
勝手にデータ取りこんでくれるアプリとかないんすか


 ポチポチとキーを押しながらぼやく。

 完遂する頃には何時になるんだろうと計算し、ゾッとした。


 安請け合いするんじゃなかった。こんなに大変だとは。



(なまえ)
あなた
あるにはあるんですけどねぇ。いわゆるサブスクみたいなやつが。送った動画の配球率とかを全部数値化して、資料にして送り返してくれるサービス
藍
それしたらええやん
(なまえ)
あなた
ただ、契約している人間ならみんな見れてしまうので、世界のいたるところにあるクラブにも動画が共有されてしまうところがネックで
藍
他の国のも見れるのはこっちとしてもメリットじゃないん?
(なまえ)
あなた
それは本当にそう。大きなメリットです。ただ、逆に見られたくないプレーもあるでしょう?試し出したばかりの戦術が、完成する前に研究されては困るし、弱点の部分が映っている映像ならなおさら
藍
まぁな
(なまえ)
あなた
手の内を明かしたくないところもあるので、最終的にはこうした地道な作業が必要になるんです
藍
納得しました。…ごめんなさい


 少し反省した。

 わざわざ手間のかかる方法をとらなくてもいいのに、なんて浅く考えて発言してしまっていた。


 明確な理由の元、チームにとっての最良の手段を選択してくれていたのだ。
 たとえそれが、自分にとってどれだけ負荷のかかることだとしても。



(なまえ)
あなた
当然の反応ですよ。俺だって、どんだけあんねんって思うときありますし。だから謝らなくて大丈夫です


 目を細め優しく微笑むあなたさん。それにつられて、眉間に寄せていた皺が緩み、自然とこちらの表情も和らぐ。


 俺、この人ともっと仲良くなりたいかも。
 このとき、素直にそう感じた。







(なまえ)
あなた
それこそ、例としてあげるとしたら、その試合なんですけど


 電子パッドを操る手をとめ、俺の座る椅子の隣にしゃがみこみ、あなたさんは具体例を教えようとしてくれているのか、キーボードに置いた俺の手の上に自分の指を重ねだす。


 触れられところが熱を帯び、血液をつたって心臓へと轟いた気がした。


 なんでやろ。胸がきゅってなったんは。

(なまえ)
あなた
セットの終盤、今のシーン、大塚さんは左に寄りがちなんですよね


 胸の異変に動揺した俺はそれを誤魔化すように、ひたすらあなたさんの説明に耳を傾けた。

(なまえ)
あなた
このフォーメーションになったときの癖みたいなんですけど、他の試合映像だとわかりずらいのであまり認知されていないようですが、対戦国のチームに知られるとこの位置を抜かれてしまうので危険かな、と
藍
たっちゃんには教えてあげたんすか?
(なまえ)
あなた
いえ
藍
伝えたほうがよくない?
(なまえ)
あなた
実績のあるアナリストならまだしも、俺は…そういうのじゃないんで。余計な情報を耳に入れて、混乱させてしまってもいけませんし
藍
でもこんなたくさんデータ扱って分析してってしてるんやったら、一つの意見として話してもええと思うんやけどな。じゃないとせっかくこれだけ仕事してるんがもったいない
(なまえ)
あなた
これは仕事じゃないですよ?
藍
…は?
(なまえ)
あなた
今やってるのは仕事じゃないです
藍
体育館おったとき、この後仕事があるから片付けたいって言ってなかった?
(なまえ)
あなた
”作業が詰まってる”とは言いました
藍
アナリストのアシスタントもしてるって…
(なまえ)
あなた
やってますよ。普段の業務でデータ整理も。でもそこにある動画は通常業務の範疇外です
藍
なら、俺は今なにをさせられてるん?


 うーん、と考えるような声を出したあなたさんは答えもせず、またあの顔で笑うだけだった。


 その顔と、手の甲に触れたままの熱と、理由のわからないこの状況に、俺の脳内はひたすら混乱するしかなかった。








 睡眠時間がなくなるから、と作業から解放された俺は、自分の部屋へと続く通路を歩きながら、絶え間ない疑問の答えを求めて、思考を巡らせた。




 本気で手伝わせるつもりなら、こんな中途半端なところで帰すだろうか。

 実際、処理しなければならないと言っていた動画の十分の一もやっていない。

 それに、説明のために見せた動画がたっちゃんのものだったのも偶然なのだろうか。



藍
…え、どこから…?


 例えば…あなたさんは始めからなにもかもを知っていて、祐希さんみたいに、あるいは祐希さん以上に、すべてお見通しだったのだとしたら。


 片付けに来たタイミングも。

 ハンバーグのことも。

 データ整理を手伝わせたことも。

 そして、あの映像を見せたのも。



藍
十分戦略家やん


 明日の練習で実践しろってことかいな。


 それでたっちゃんのいるコースをぶち抜いて、俺に自信をつけさせて。

藍
まんまと手のひらで泳がされとるなぁ…


 そうしてまたあの悪戯な顔で笑うんやろか。



藍
…だったら見たいかも







藍
と、思っとったけど…


 あの笑顔を向けられたら向けられたで、途端に体温が上昇するのは以前と変わらず。

藍
名前で呼ばれるのはもう平気になったのに、あれにはまだ慣れへんねんなぁ…




 誰もいなくなったコート。つぶやく独り言。落ちこんで、じっとしていられなくて、繰り返すサーブ練習。


 振り返るあの日と重なる部分は多いのに、今とあの日とではまるで違う。



(なまえ)
あなた
それ何本目?


 夕日が漏れる体育館の入り口からひょっこりと姿を見せたあなたさんが俺に尋ねる。

藍
あと一本打ったら終わるから


 心配しないで、と言ったら。

(なまえ)
あなた
心配してない


 と、両手に持ったタオルとペットボトルを背中に隠した。







(なまえ)
あなた
今日、麻婆豆腐だってさ


 散らばったボールを拾い上げ、思い出したように言うあなたさん。

藍
なんでそれも知ってるん


 また、俺の好物を当てて。

(なまえ)
あなた
さぁ、なんでだろうね


 また、そうやって首を傾げて。


 どれだけあなたは俺の気持ちを押し上げるのが上手なん。




 太陽を背負ったあなたさんの表情は逆光によってはっきりとは見えなかったが、あの日と同じ、悪戯な笑みを浮かべていることは容易に想像できた。



藍
ほんなら早く行かな


 俺の好きなものはなんでもお見通しだというのなら、今一番好きなものには気づいてくれてるん?

(なまえ)
あなた
おかわり分あるかなー


 おそらくそこだけは知らないんだろうな、と理解しているものの、それもなんだか物足りないような気がして。でも、この心地よい関係を手放す勇気もなくて。


 一番近くで、できるだけ長く、あなたさんのその笑顔を見ていたいって思うのは我が儘やろうか?



藍
…あ、やっとわかった


 もしかして、もしかすると。


 あのときに足りないと感じていたのは、過度な練習でも、緻密なデータでもなくて、あなたさんだったのかもしれない。


 一番必要だったのは、あなたさんみたいな人の存在だったのかもしれない。



(なまえ)
あなた
ご飯の心配?


 あなたさんに、ん?と目を細められ、体温がまた一段階上がる。


 悪魔みたいに悪戯な顔で笑って、天使みたいに優しさしか詰まっていない行動ばかりで。

藍
なんやねん…ほんま…




 落ちる陽が角度を変え、コートの中に降りそそぐ。


 眩しさに目がやられそうになるが、もっとこちらの目を眩ませる人が正面にいるので、そこは問題ではない。

 問題があるとすれば、熱を帯びた頬の有様を晒してしまうかもしれないということ。


 だからこの顔を照らし、赤を上書きして染めてくれる夕日に少しだけ感謝した。



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