前の話
一覧へ
次の話

第2話

HappyEND
7
2025/07/23 09:24 更新
孤独に、音はなかった。

誰とも話さず、目も合わさず、教室の隅でひとり過ごす少年――
中学三年生、白井志良(しら)。
無表情で、無関心で、時に暴力的。
教師やクラスメイトからは「危険人物」として扱われ、誰も彼に近づこうとはしなかった。

だが、彼はかつて光だった。
優しく、穏やかで、誰にでも笑顔を見せる子だった。
それが、母を失ったあの日から、すべてが反転した。

小学校四年、再婚。
小学校五年、母の突然の死。
残された義父と義弟は、家庭を家と呼べぬ空間に変えた。

「飯は自分でなんとかしろ」
「みきに手を出すな」
「泣きごとを言うな。男だろ」

義父はそう言うだけで、家を空ける。
義弟・みきは、母が死んだことさえ忘れたように、好き勝手にふるまった。

しらは、黙っていた。
何も言わず、何も求めず、ただ、心を閉じた。
小学校高学年から彼の暴力が始まった。
ノートを破られた。
私物を壊された。
笑われた。
――その全てに、拳で答えた。

教師に掴みかかり、クラスメイトに暴言を吐き、叱責を無視した。
「俺を放っておけ」
その一言に、彼のすべてが詰まっていた。

中三の今、誰も彼に話しかけない。
彼も話しかけようとはしない。

放課後も居残りも、誰も何も言わなくなった。
担任ですら、目を合わせずに距離を取った。

しらは、それでいいと思っていた。
自分は“そういう存在”だと、認めていた。



しかし、二学期のある日。

校舎裏でサッカーボールが頭に当たった。
イラついたしらが振り返ると、慌てて走ってきた女子がいた。

「あっ、ごめん!ほんとにごめん!」

小柄で、ポニーテールの女の子。
名前は、たしか「東雲こよみ」。

同じクラスだが、今まで一言も話したことがなかった。

しらは無言で立ち去ろうとした。
だがそのとき、彼女が言った。
「あの、しらくん?だよね?」

「は?」

「その、いつも1人だから…」

「寂しくないのー?」

「、べつに」
耳に残るような声だった。
問いかけは、まっすぐだった。
それから東雲は、たびたびしらに話しかけるようになった。

「今日、朝すごい寒かったね」
「体育、やる気でないね」
「その本、面白いの?」

全部、他愛もない話。
けれど、無理に踏み込んでこない距離感に、しらは驚いていた。

話さなければならない空気もなく、沈黙が気まずくもない。

次第に、しらはぽつぽつと返事をするようになった。

「……まあ、普通」
「別に、面白くはない」
「なんで話しかけてくるの?」

「なんでって、気になるからかな。
いつも見てたんだよ、しらくんのこと」

見てた。
その言葉に、しらの心が微かに震えた。



ある日、先生に怒鳴られた。
些細な提出ミスで、教卓に呼び出され、みんなの前で責められた。

「また君か。反省の色が見えない。いい加減にしろよ」

その瞬間、かつての自分が顔を出した。
手が震え、拳が固くなる。

だが、視線を横に向けると、こよみがいた。

ただ、首を横に振っていた。
ゆっくりと、でも確かに。

しらは、手を下ろした。
初めて、自分の意志で暴力を止めた。

教師は呆れたように言った。
「少しは人の言葉に耳を傾けられるようになったか」

皮肉のようだったが、しらは言った。

「……たまには、聞いてやってもいいかもな」

教室がざわついた。
数人の笑い声も聞こえた。
でも、しらの中には、ほんの少し“温度”があった。



東雲と話す時間が増えた。
言葉の重さも、沈黙の意味も、彼女はわかってくれる。

ある日、彼女が言った。

「お母さん、もういないんだよね」

「……ああ」

「私も。小1のときに亡くしたの」

初めて“重なった”。

「だからかな。しらくんの気持ち、少しだけわかる気がする」

彼女の目は、泣いていなかった。
けれど、深く、静かだった。

「寂しいのに、誰も気づかないときって、あるよね。
気づかれたくないのに、本当は気づいてほしくてさ」

しらは黙って頷いた。
それだけで、救われることがあると知った。



卒業が近づく頃。
義父がまた呼び出された。

しらの進路について。

「特に希望もないですし、本人がやる気ないので。
そちらで処理してください」

担任の顔が曇る。

しらは静かに言った。

「……俺、行く高校決めました。試験、受けます」

教室が静まり返った。

義父は「は?」と笑った。
が、しらは続けた。

「もう、あんたに頼らない。
頼っても意味ないって、やっとわかったから」

それは、彼なりの“さよなら”だった。



春。
しらは高校に合格した。

制服に袖を通し、誰にも祝われない部屋で、小さく息をついた。

けれどスマホが震えた。

『合格おめでとう!
春からまた会えるの楽しみ! こよみより』

“また会える”
その言葉に、しらはようやく、微かに笑った。

孤独だった少年は、
たった一人の存在によって、救われた。

世界は優しくはなかった。
でも、誰か一人でも自分を見てくれるなら――

生きていける。
END

プリ小説オーディオドラマ