自傷、捏造、口調迷子
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袖がズレていないか気にする癖がついた。会話の途中、時々手首に向けられる視線を、なんでもないフリして無視するのにも慣れた。
心から俺を気づかい、心配し、大切にしてくれている仲間の声から。耳を塞ぎたくなることが増えた。
事務所に入り挨拶をすると、みんながそう挨拶を返した。
丁寧に。俺の顔を見て。まるで患者を診察する医者みたいに。俺の顔色、声のトーン、仕草。それを探るように、俺が入った瞬間みんながしっかり俺のほうへ体を向ける。もちろん、みんなにそんな意図はない。
けどその心配に似た観察が、俺の首をじわじわと絞める。
すべてが、まるで何かのセリフを読んでいるかのように感じるのは気の所為だろうか。
「いつもどおり」の役を演じようと、過去の自分の表情・テンション・口調を保とうとしている。そう感じるのは気の所為だろうか。
社長が穏やかな口調でそう言い、俺の顔をじっと見た。
俺も、セリフを読んだ。
会話が続いていく。セリフが連なっていく。役者は時折、観客の顔色を見て。そして観客がその劇に満足しているのを確認したあと、再びセリフを読み始める。
体の奥が冷えていくのを感じる。自分が周りの輪に入れていないような、普通を示すボーダーラインと逆向きに足を向けている気がする。
世界のすべてが、遠く感じる。
気合を入れ直し、再びみんなの輪の中に入る。
叫ぶ。笑う。怒る。楽しむ。
そうして、いつの間にか全部嫌になっていく。それを見ないふりして、重い足取りで楽屋を去った。
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俺の気まぐれな憂さ晴らしが3人にバレたのは、とある企画が原因だった。
いつも通り楽屋に行き、収録をし、そして家に帰るはずだったその日は、俺達の関係を徐々に変えていく日となった。
今まで笑っていたはずのみんなの顔から、すっと笑みが消えた。みんな驚いたように目を見開き、眉をひそめ、俺の手首に視線を向けている。
そこでようやく俺は気づいた。
自分がいかに間抜けであったのかを。
左手首に刻まれた赤い線が、袖がズレてあらわになっていた。体を動かす系の企画だった。いつもより激しい動きを繰り返し、動きに気を取られて完全に油断していた。
一旦収録止めます。そうスタッフの声が聞こえた時、取り返しのつかないことをしてしまったことを察した。
最初に俺を叱ったのは社長だった。血相を変えて俺に詰め寄り、俺の肩を大きな手でガシッと掴む。
みんなの顔が心配から困惑へ変わるのがわかった。社長はより一層手の力を強めた。肩が痛くて重い。
今まで驚きと困惑で声を出せずにいた甲斐田が、そう言った。その声は少しだけ震えていた。無理して、必死に、出した声だった。
もちさんは少し怯えた様子で俺を見ていた。手が震えている。想像もしていなかった展開に、頭がぐちゃぐちゃになってるんだろう。目を見開き、時々変に視線を逸らし、そしてゆっくり俺の顔を見て、また床に目を逸らす。
必死に言葉を探した。
上手く喋れているのか。上手く呼吸ができているのか。わからなかった。
それがあの時の俺に言えた、精一杯の言い訳だった。
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かさぶたを爪でつつく。手首の傷はもうだいぶ治ってきた。後はかさぶたが完全に取れて、それでおしまい。
ぼーっとしながら足を動かし、帰り道を歩く。薄暗い空が、なんとなく不穏な空気を漂わせている。冷たい風が静かに吹き、頬に当たった。夕方特有の倦怠感が俺を襲う。
携帯を片手でつつきながら、足を動かすスピードを少し速める。そんな俺と相反し、目の前の遮断器がゆっくり降り始める。赤いライトが交互に点滅し、それに気づいた大学生らしき若者達が急いで線路を渡る。それをぼーっと眺める。
ぼーっと。電車を待つ。
カンカンカンと耳に残る高い音が響き、遠くから列車が走る音が聞こえ、それが段々近づいてくる。
彼がそう叫ぶと同時に、俺の左腕が強く後ろに引っ張られた。その刹那、電車が目の前を通り過ぎていく。
びゅっと電車が大きな音を立て通り過ぎ、その音が段々遠くへ行った時。ようやく俺の意識は、俺が立っているこの場所に戻った。
彼は俺の質問には答えなかった。他に言いたいことがたくさんあるのだろう。
眉をひそめ、唇を噛み、震える手で俺の左手を大切そうにぎゅっと握っている。
その顔はとても怒ってて。そして、泣き出しそうだった。
彼は数分口を閉ざした後、深呼吸をして覚悟を決めた顔でそう言い、俺の手を引っ張った。
軽蔑されたかもしれない。彼の険しい表情から、そういう不安が湧いてきた。その恐怖は一度顔を出したら頭を支配する。途端に心臓の鼓動が速くなる。どくどくどくどくと、俺を責めるように脈打つ。
呼吸の仕方を忘れそうになった時。俺の手を引いていた彼がぴたりと止まった。
彼が優しい口調でそう呟いた時、ふっと呼吸ができるようになった。まだ落ち着かない心臓の音から気を逸らそうと、辺りを見渡す。いつの間にか人気のない裏路地に連れてこられていた。
やっと口から出た言葉は、情けないものだった。
彼は俺の腕から手を離し、そう聞いてきた。頷くと、彼は安心したようによかったと呟き、そしてまた顔を険しくさせた。
彼の目を見る。心の底から俺のことを心配し、寄り添おうとしてくれている。それが伝わる。
けど、さっきのことを、あの感覚を言語化できる程、俺の頭は回っていない。
どうして、なんで、なにがあったの
みんなそう聞いてくる
まるで理由がないといけないような、そんな圧力を感じる。
口を閉ざし地面に視線を逸らした俺が、彼の目にはそう見えたのだろう。彼はなんて声をかけようか悩むように、言葉1つ1つを丁寧に紡いでいる。
言葉はそこで途切れた。だが、そこから先は聞かなくてもわかる。俺に死んでほしくない。そんな言葉が続くのだろう。
取れかけのかさぶたに触れる。カリッと爪でつつくと、ボロボロとはがれた。無理に剥がしたから少しヒリヒリする。
自責の念とはまた違う。ただ、今までの行動を振り返って。考えて。そうして感じる愚かさ。
目の前の、本当に自分のことを大切に思ってくれてる人の気持ちに、本気になれない天邪鬼。
わかりました。彼は頷き、そして真っ直ぐ俺の目を見た。相変わらず、眩しい。眩しいくらい純粋で、真っ直ぐで、優しい。それが今の俺には遠く感じた。
優しいね。そんな皮肉は言わない。
彼の言う通り、裏路地を抜け、2人で歩く。お互い何も言わない。彼は時々俺の顔を見て、そして自分の足元へと視線を逸らす。俺はというと、段々濃い藍色へと姿を変える空を、ぼんやり眺めていた。
家の近くの曲がり角まで来た所で、俺達は別れた。優しく微笑みながらこちらに手を振る彼に、手を振り返す。
彼はしばらくその場に立ち止まり不安げな顔をした後、背中を向け去っていった。彼のふんわりとした髪が風になびき、遠くなっていく。
俺は彼が去ったのを確認したあと、そう溜息をついた。家の方へ足を向け、一人歩き始める。
重い足取りで歩き、家の鍵をポケットから取り出し、ドアを開ける。部屋の電気をつけ、よろよろとベッドに向かう。
また溜息をつきながらベッドに横になった時、スマホの通知音がなった。手を伸ばし、スマホを引き寄せてメッセージを確認する。
長文で綴られた俺に寄り添うメッセージ。甲斐田からだった。内容はさっき言われたこととあまり変わらない。ただ俺のことが大切だ。そればっかりが書いてあって、見てるこっちが恥ずかしくなる。
眩しい世界で生きていて、反吐が出る。所詮この人たちは、遠い所で眩しい言葉だけをつらつらと並べ、勝手に救った気になるだけだ。
そう思うと少しだけ、信じてみたくなる。
甲斐田にありがとうと返信し、スマホをベッドの方へ放り投げ、体を起こす。ぐいーっと伸びをして、肩を軽く動かし、適当に何か作ろうと冷蔵庫の方へ向かう。
生きてるとお腹が空く。無意識だとはいえ、その生を自ら手放そうとした直後でも、人間の体は呑気なものだ。
そう思いながら流しで手を洗い、腕を巻くった。
手首のかさぶたは、もうすっかりなくなっていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!