花瀬side
「おはよ、花瀬さん」
その声が聞こえた瞬間、
心臓が、トン、と跳ねた。
春の朝。
ふわりと風が吹いて、カーテンが揺れて、
教室の空気が、やわらかくほどけていく。
昨日と同じように、私の隣に座る長尾くん。
だけど、たったひとつだけ違ったのは──
今日は、「私の名前」を呼んでくれたこと。
“花瀬さん”っていう名字じゃなくて、
本当の私を、そっと包むような“あなた”っていう名前。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「“あなた”って、素敵な名前やな。めっちゃ似合ってる」
照れくさそうに笑いながら、彼はまっすぐにそう言った。
まるで、桜の花びらがひとひら、そっと心に落ちてきたみたいだった。
“似合ってる”って___
そんなふうに言われたの、初めてかもしれない。
『名前、気に入ってるから、嬉しいです』
ノートにそう書いて、彼に見せる。
「やっぱり、ええなぁ。“あなた”。響きがやわらかいし、なんか……可愛い。」
ドキッとした。
“可愛い”って。
名前のこと? それとも──
……そんなの、考えちゃダメなのに。
でも、長尾くんの声がやさしくて、あたたかくて、
その言葉に、胸の奥がじんわり染まっていった。
私の声は、まだ出せない。
でも、気持ちはちゃんと届いてる。
長尾くんは、ちゃんと受け取ってくれてる。
たくさん話せなくても、
笑ってくれる。
優しくしてくれる。
──私なんかに、こんなふうに話しかけてくれる人がいるなんて。
「ありがとう」って、声に出せたらどんなに嬉しいんだろう。
この気持ちを、自分の声で伝えられたら、もっと近づける気がする。
そんなことを思ってしまうくらい、私はもう。
長尾くんの声に、笑顔に、
毎日、心を動かされていた。
春風が、髪をふわりと揺らす。
名前を呼ばれたこの朝は、
きっと、ずっと忘れない。
私の世界を少しだけ変えたのは、
小さな「おはよう」と──
「あなた」って呼んでくれた、
その甘くて、やさしい声だった。
甘め長尾くんをぜひお楽しみください…💛🪽












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!