ホテルを後にし南雲が酔っ払ったあなたをタクシーに乗せて連れて行った場所は自分の家だった。
静まり返った室内の明かりを絞り、南雲は腕の中のあなたをゆっくりと自分のベッドへと横たわらす。彼女がお酒に弱いのは誰よりもよく知っている。まだ付き合う前のこと、同じように酔っ払ってふらふらになった彼女の姿が鮮明に脳裏をよぎった。
──神々廻は、本当に申し訳なさそうに謝っていた。
けれど、神々廻を責めるつもりなんて最初からこれっぽっちもない。むしろ、あそこで他人に流されず、すぐさま自分を呼びつけてくれた彼には感謝しかないのだ。
南雲はキッチンから持ってきた水のグラスをベッドサイドのテーブルに置くと、シーツに沈む彼女の顔をそっと覗き込んだ。
「……はぁ、……っ、」
林檎のように真っ赤に染まった顔。辛そうな熱を帯びた息遣い。昼間にぶつかり合った鋭い空気はもうどこにもない。無防備に熱を吐き出す恋人を見つめながら南雲はそっと手を伸ばした。
頬にそっと手の甲を当てると、あなたはビクッと小さく身体を震わせた。
「あなた……」
静かにその名を呟く。すると、あなたは重い瞼を閉じたまま、自分の頬に当てられた南雲の大きな手に、熱い手のひらをそっと重ねてきた。
「はぁ……っ、ごめん……ね……」
「……大丈夫? 水、飲めそう? あなた」
「なぐもぉ……ごめん、なさい……」
重ねた手にさらに力を込め、愛おしい人が自分の頬に擦りつけるようにして言葉を紡ぐ。その瞬間、南雲の手のひらに微かに濡れた熱い雫がぽつりと落ちた。
「あなた……泣いてるの?」
ゆっくりと顔を近づけて覗き込むと、彼女は薄っすらと目をあけ南雲を見つめてきた。その瞳にはいっぱいの涙が溜まっていて、上気した顔のせいでひどく切なく映る。こんな時に不謹慎な思考を抱くのは、あまりにも場違いかもしれない。けれど、最愛の彼女のこんな表情を見せられて、男としての感情が昂らないわけがなかった。南雲は身体の奥から込み上げてくる容赦ない独占欲と理性をグッと抑え込み、あなたに添えていた手をそっと引こうとする。
──だが、その瞬間。
ギュッ、と強い力がかかった。あなたは絶対に逃さないと言わんばかりに、小さな指先で南雲の手をきつく握りしめ離そうとしなかった。
「……っ、あなた……」
繋がれた手のひらから、彼女の熱が容赦なく心臓へと流れ込んでくる。南雲は静かに息を呑んだ。
「嫌い……なんて言って、ごめんね……」
あなたはポロポロと大粒の涙を流しながら、昼間のことをずっと気に病んでいたのだろうか。その健気な姿に、南雲はくすっと切なげにそして愛おしそうに彼女を見つめる。
彼女の手をそっと自身の両手で包み込み、ベッドに肘を突きながらそっと距離を詰めていく。
「なぐものこと……嫌いになんて……酷いこと言って……。わたし、うっ……私も、ずっと……大好き、だから……」
熱に浮かされながら途切れ途切れのその告白を聞いた瞬間、南雲の理性がぷつりと切れる音がした。
彼はベッドサイドに置いていた水のグラスを手に取ると、自らの口にそれを含み、そのまま躊躇(ためら)いなくあなたの唇へと顔を近づける。
「……っ?! んっ……、んっーー?!」
驚きに目を見開くあなたの唇を塞ぎ、無理やり口移しで水を流し込んでいく。冷たい水が二人の舌の間を滑り、行き場を失った滴があなたの口元から首筋へと艶やかに伝い落ちた。
「あなた……水、ちゃんと飲んで……」
容赦なくもう一度水を含み覆い被さる南雲。仰向けのまま彼を見上げるあなたの視線に映る恋人は、どこかいやらしく、そして雄の顔をしていた。
薄暗い部屋の中、窓から差し込む月明かりに照らされる彼の端正な輪郭があなたの心臓を跳ね上げる。酔いとは違う理由で早くなる鼓動。その激しさに本能的な危機感を覚え、あなたは「ちょっ……と」と南雲を静止するように彼の胸元に手を添えた。
だが、そんな抵抗はあっさりと無力化される。南雲はあなたの両手首を片手で容易く掴み上げると、ベッドへ縫い止めるようにして、さらに深く、溺れるような口づけを強いるのだった。
口に流れてくる南雲の熱い感情を必死に受け止めるのに、慣れない深い口づけにはぁはぁと辛そうになるあなた。
「はぁ……っ、なぐ……も……、まって、もう……っ」
繋がっていた唇がわずかに離れると、あなたは胸を上下させながら呼吸を整え、恥ずかしそうに視線を落としてうつむいた。今の彼女の全ての言葉も仕草も、彼にとっては全て理性を壊すきっかけに過ぎない。そんな危うい引き金を自分自身が彼に与えているとは全く分からないまま、あなたは潤んだ瞳に赤く染まる頬を晒している。
南雲は真下にいる愛おしい彼女をその目に深く焼き付けたまま、崩れゆく理性の波に身を任せ、彼女の柔らかな首元へと顔を埋めた。さっきまでの強引さが嘘のように優しく首元に口づけをしながら、片方の手で愛おしそうに彼女の頬を包み込む。
熱を帯びた肌を優しくそっと指先で撫でながら、南雲は顔を少し上げ、角度を変えて今度は吸い付くように深く甘いキスを重ねた。あまりにも優しいその手つきと、包み込まれるような安心できる彼の温かさを感じながら、あなたはシーツに深く沈み、ただ素直に彼にすべてを任せるのだった。
(……この流れだったら、最後までしてしまうかもしれない)
それは、あまりにもマズい。
お酒の勢いに任せて、こんな無防備なあなたを──。
脳裏をよぎった懸念が、南雲の思考に無理やり急ブレーキをかけさせた。どれほど体が彼女を求めていようとも、恋人として犯してはならない一線がそこにはある。
南雲は名残惜しそうに唇を離すと、溢れる衝動を宥めるようにただ優しく彼女の細い身体をきつく抱きしめた。
あなたもそれに安心したように応え、ゆっくりと彼の広い背中に小さな腕をまわしてしがみつく。二人の間にトクトクと速い鼓動の音だけが響いていた。
「……ねぇ、あなた。どう? 体調は?」
髪を優しく撫でながら問いかけるが、腕の中からは返事が返ってこない。かわりに、すー、すー、と規則正しい、小さな寝息が聞こえてきた。
南雲はふっと緊張を解き、心底愛おしそうに笑みをこぼした。ゆっくりと上体を起こして起き上がる。あなたは長い睫毛を閉じたまま、熱の抜けた体で心地よさそうにただ力無くベッドに横たわっていた。
南雲は彼女の寝顔を見つめながら優しく頬を撫でる。その可愛らしい寝顔を見つめながら今日の彼女を思い出す。初めて彼女に嫌いと言われ心臓が跳ねてショックだったこと。
けれど、今こうして彼女の寝息を聞いていると不思議と愛おしさしか湧いてこない。
あなたは理不尽に怒ったわけじゃない。ただ、南雲の前だからこそ、素直に思ったことを口にしてくれたのだ。どうでもいい相手なら怒る気すら起きずに愛想を尽かして去っていくはず。他の誰にも見せない取り繕わない本当の姿。飾られた笑顔でもなく、一歩引いた遠慮でもない。
彼女から溢れ出た怒りも、悲しみも、嫌悪も――そのすべての激しい感情を自分一人だけが独占できている。そう気付いた瞬間、南雲の胸に深い愛着が込み上げた。
南雲は、あなたの小さなまだ少し赤みの残る手をそっと自分の両手で包み込んだ。温かいその体温を感じるだけで、胸の奥がどうしようもない愛おしさで満たされていく。
「これから先、もっとたくさんの時間を二人で過ごそう。また今日みたいに僕が君を怒らせて、泣かせて、大嫌いって言われる日が来るかもしれない。僕だって、余裕をなくして君に感情をぶつけちゃうかもしれない。……お互い、大きな衝突だってあるだろうね」
そこまで言って、南雲は嬉しそうに目を細め、あなたの手の甲にそっと唇を寄せた。
君の流す涙も、怒りも、笑顔も……これから訪れるすべてを僕に預けて欲しい……。
愛しい彼女の額にもう一度だけ優しい口づけを重ねる。
南雲は口元にいつもの柔らかな笑みを浮かべると、大切な宝物を抱きしめるように愛するあなたをその腕の中にそっと閉じ込めるのだった。
深い夜の静寂が、二人の重なる体温を優しく包み込んでいく。ただそれだけのことが今の南雲には何よりも愛おしかった。
たとえ朝の光がすべてを現実に戻そうとも、この暗がりのなかで刻んだ誓いは、二人を結ぶ絆として永遠に色褪せることはない。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!