そのまま時は流れ、もうすぐ7月になろうとしていた。気温は徐々に高くなってきて、ジメジメとした空気が体にまとわりつく。
食堂の前にデカデカと張り出された「冷麺始めました」の文字に、夏の始まりを感じる。
授業終わり、ソンホは冷麺食べようよーと言うジェヒョンに引っ張られながら食堂に向かっていた。
お昼時の食堂は多くの人で混雑しており、クーラーがついているのに蒸し暑い。
特段、冷麺の気分ではなかったが、こんな中熱いものは無理だと諦め、ジェヒョンと一緒に冷麺を頼む。
頼んだ冷麺を持ち、やっと席に着くと通路を挟んだ斜め前に見慣れた背中が見えた。
(あ、テサニだ)
どうやら軽音サークルの人たちといるようで、みんな何かしらの楽器をそばに置いていた。テサンを囲むように座る人達を見て、やっぱりテサナって人気なんだなと実感する。クールであまり喋らなそうに見えて、仲良くなるとイタズラをしたりよく笑ったり、無意識に人を虜にする才能……
「ねぇぇぇソンホー聞いてるー?」
ぼーっとテサンを見ているソンホにジェヒョンが声をかける。
「あっごめん、なに?」
もうーと冷麺を啜りながら、ジェヒョンが喋る。
「この前教会行くとか言ってたじゃん?だから昨日聖書の言葉?みたいなの調べてみたの」
あーそうなのと答えながら、ソンホも冷麺を啜る。思っていたより薄い味に、でも食堂だからこんなものかと1人で納得してしまう。
『自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。』
いきなりのジェヒョンの言葉に啜っていた冷麺が喉に詰まりそうになる。
「っごほ……なに?いきなり」
「だからー!聖書の言葉ってやつ!」
調べてたら、なんかかっこいいのがあったから気に入ったと笑うジェヒョンを見ながら、ソンホはどこか図星を突かれたような気分だった。
正直、自分のテサンへの気持ちはほとんど確信してしまっている。その気持ちから逃げるなという内容の言葉に、今の状況を重ねてしまい、ソンホは複雑な面持ちで眉間に皺を寄せた。
「…あー!なんかソンホ心当たりあるんでしょ」
そう言ってニヤニヤするジェヒョンが、悩み事があるなら言ってみなさいと詰め寄ってくる。
ソンホはチラッと斜め前にいるテサンに視線を向けると、すぐに冷麺に視線を戻してもう一度食べ始める。
「無視しないでよ〜」とジェヒョンが言っている声が聞こえるが、そんな簡単に話すことはできない。ジェヒョンが男同士だからって否定するような人じゃないことは分かっているが、誰かに話すことでテサンへの好きかもという気持ちが確信に変わってしまうことがソンホは怖かった。もう後戻りできないような気がして。
そんなことを考えていると、視界の隅でテサンとその周りの人たちが立ち上がったのが見えた。どうやら食べ終わったらしく、トレーを持ってこっちに向かってくる。
「あ、ソンホヒョン」
通路側にいるソンホに気づかないわけもなくテサンが声をかけてくる。
「あーテサニじゃん」とソンホはまるで今気づきましたというような態度を取って答えた。
「ヒョン、日曜の夕方予定ありますか?」
「ひまだけど…」
「!良かったら、俺らのバンド見に来てくれませんか?」
初めてボーカルもするのでソンホヒョンに見てもらいたいですと話すテサンは、少し照れくさそうな笑顔を浮かべていた。
「うん、いいよ」
ソンホが承諾するとテサンは嬉しそうに、また詳細送りますねと弾んだ声で答えた。すると、いきなり
「テサナァァ」
テサンとの会話ですっかり存在を忘れていたジェヒョンの声が聞こえてくる。
「サークルの先輩に挨拶は!?」
あーそういえば、テサンとジェヒョンは同じサークルだったな。そう思い返していると、テサンは興味なさそうに「ジェヒョニヒョンいたんですねーお疲れ様です」と横目で返事をした。
不憫なジェヒョンに思わずソンホは笑ってしまった。当の本人であるテサンはそのまま、また日曜日にっと言うと友達の元へと駆けて行った。
「なにあいつ!?先輩への敬意が感じられない」とぐちぐち言うジェヒョンを宥めながら、ソンホたちも食べ終わった食器を返すために立ち上がった。
「てか、なんでテサニと仲良いの?」
ジェヒョンが思い出したように聞いてくる。
「あーなんかいろいろあって、?」
ソンホがなんとなく濁して答えると、ジェヒョンはなにそれと笑った。
「けど、テサニがあんな嬉しそうに人に話しかけるのなんて初めて見たかも」
ソンホ好かれてるね〜なんて言うジェヒョンの言葉に、冗談だって分かってるけど自分だけ特別なような気がして心臓が落ち着かなかった。
日曜日。
「午前中はライブのリハーサルがあるから教会に行けないです」というテサンからの連絡を確認して、ソンホは1人で硬い椅子に座っていた。
ここしばらくはテサンと2人で礼拝を受けていたからか、1人でここにいることがなんだか落ち着かなくてソワソワしてしまう。
意味もなくスマホを触っていると突然大きな声が聞こえてきた。
「あれ、今日はもう1人のお兄ちゃんいないのかい」
「え、あ、はい」
この人は、たしか讃美歌を大声で歌う派手なお婆さん。2つ前の席から体を捻り、身を乗り出すとソンホに喋りかける。
「いやー若い男の子がこんな教会に毎週いるから覚えちゃってね〜」
そう言ってお婆さんは嬉しいんだよと皺の多い顔をさらにしわくちゃにして微笑んだ。
そのまま礼拝が始まるまでお婆さんに質問攻めをされると、最後に「青春、後悔ないように過ごすんだよ」と言って前を向いた。
なんだか最近、自分の状況にアドバイスをされているような気分になることが多いな。
ソンホがいきなりのことに余韻を感じている間に礼拝が始まった。
牧師の話というのはどうしてこんなにも眠くなるのか。穏やかな喋り方と落ち着いたトーン。自分から進んで教会に来ている手前、うとうとするのはどうにも気が引けるが睡魔には抗えない。
浅い眠りに沈みかけたソンホの耳に、不思議といつも聖書の言葉だけが届く。
『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。』
神がなんだっていうんだ…失敗してもなにも責任取ってくれないくせに……。
なんて八つ当たりのようなことを考えながら、ソンホの首はカクカクと船を漕いでいた。
結局、睡魔に負けて眠っていたソンホがハッと目を開けると礼拝は終わっていた。硬い椅子は睡眠には向かないらしく、1時間ほどしか座っていなかったのに背中とお尻が痛い。
連絡によるとテサンのライブは18時かららしいので、まだまだ時間がある。ソンホは一旦時間を潰すために腰を上げ、いつもの喫茶店に向かった。
席に着くなり、アイスアメリカーノとナポリタンを注文した。ほどなくして運ばれてきたナポリタンを口に運ぶと、昔ながらの懐かしい味が広がる。美味しさに頬が緩み、今度はテサンにも勧めてみようかなんて思いながら、気付けば皿は空になっていた。
食べ終えた皿を隅に寄せ、時間を潰すために持ってきていたノートパソコンを開くと同時にスマホの画面が光る。
「俺の出番16時からだから見に来てね〜」というジェヒョンからのライン。
あーそうか、ジェヒョンも出てるんだったな。ソンホは分かったよと返信してからスマホを机の上に置くと学校の課題を終わらせるためにパソコンと向き合った。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!