Tsubasa side
真っ暗なリビングの窓際。
親の出張を利用して、夜更かしをする。
半透明なカーテンを少しだけ開けて、
その隙間に二人ぎゅっと肩を寄せ合い、座り込む。
満天の星空を見つめたまま発された言葉に、
手に持っていたコップを思わず落としそうになった。
月明かりを一身に浴びるヒョンの姿は、
今日も息を飲むほど綺麗で儚く、消えてしまいそうだ。
梅雨特有の湿気を含んだ風は気持ち悪くて嫌いだけど、
そんな事、今はどうでもよくなってしまった。
僕がその問いかけに何も答えられずにいると、
ヒョンはそれに気付いて僕の顔を見つめた。
そうして、可愛らしく笑った。
好きな人が、いた。
そんなの知らないぞ、僕は。聞いてない。
ヒョンの友人関係に女はいなかったはず。
ヒョンは人見知りだから自分から声をかける事はない。
ましてや女なんて、この人はすぐ緊張するから。
とはいえこのビジュアルを見過ごせない女も多い。
友人関係に至る前にヒョンに告白して、勝手に砕けて
いった女を何人も知ってる。
そんなヒョンが、好きな人?
僕以外に?好きな人がいた?
僕にヒョンの知らない事があるってだけで許せなくて、
気がおかしくなってしまいそうだけど、それでもまだ
良い弟の立場を守ろうとする僕は、真剣に耳を傾ける。
堂々と。
浮気をしたと、言われている気分だった。
溢れ出てしまいそうになる涙を必死にごかまして、
コップに注がれたソーダが映す夜空をじっと見つめた。
どう、思うか。
ヒョン。
僕は、まず貴方に怒らないといけないです。
どんな所でも、僕がいるって言いましたよね。
貴方はそれに対して、可愛く笑いましたよね。
全部を僕に捧げてくれるって、言いましたよね。
僕も全部を貴方に捧げるって約束、守ってるのに。
ずっとずっと、我慢してるのに。
ずっとずっと、隠してるのに。
いつまでも思い出さないまま。
いつまでも眠ったまま。
僕の事、ひとりぼっちにしてきたくせに。
他に好きな人がいるって、そんな話。
聞かされる僕の気持ちが分かるんですか。
ずっと、ずっと貴方だけを見てるのに。
僕は、自然に振る舞えずにいた。
酷く冷たく聞こえたであろうその回答には、
ヒョンを僕の顔をちらりと横目で見るなり、
黙り込ませてしまうほどの威力があった。
ここで自然に振る舞えるほど、
まだ自分はしっかりしていない。
内側から溢れ出てくる憎悪やら怒りやらを鎮めるのに
八割の意識を集中させているので、二割程度の集中力
でしか、今のヒョンには相手ができない。
その内のほんの少しは。
今は、ヒョンと話したくないという、僕の私情だ。
母さんが出張で家に帰ってこない日は。
決まってこうして、ヒョンと夜更かしをした。
窓際に座って、晴れた日なら窓も開けて。
季節ごとに違う空と星を見つめながら、
簡単に近況報告し合ったりして、過ごす。
その何気ない時間が、僕の人生の癒しだった。
沢山の闇から逃げ回って逃げ込んだあの家で、
毎晩一緒に過ごしていた日々を思い出させるから。
その時は、ヒョンもより一層、ヒョンに近付き、
僕もまたあの頃に戻ったような感覚がしていた。
この日々があったから、僕は我慢出来ていた。
ヒョンがヒョンではなく、"瑞希"である事を。
そんな、僕の大切な時間だったのに。
まんまとまた、この世界に潰されてしまった。
今度は、ヒョン自らの手で潰されてしまった。
僕の心は、もうズタズタだった。修復不可能なくらい。
いっそ、もう全部。
なんの、約束。
そう言われるとわかっていたはずなのに。
ヒョンの口からそれを実際に言わせて、傷付くなんて。
僕まで馬鹿になってしまったみたいだ。
でも、もう。もういいんだ。
分かった。僕はこの一瞬で、ヒョンの言葉で。
ヒョンが、僕の傍から離れるかもしれない、って。
分かったから。
もう自然と、戻れないなら。
無理矢理、"あの時"に戻すしかない。
もっと初めから、
こうしておけばよかったと、思うよ。
" 瑞希兄さん" なんて、最初からいらないんだ。
兄さんは頭を抱えた。
それでもどこか楽しそうに笑っていた。
この人、人の色恋の話は本当に好きだな。
聞き専ってやつなんだろう。ケタケタ笑ってさ。
ずっと、見てきてもんな。この笑顔も。
この人は本当に面白いな。
ここまで来ると逆に笑えてくる。
僕が必要なのは、最初から。
" ボムギュヒョン " だけだ。
Mizuki side
産まれた時から、お前の横にいて。
お前の三つ上の代で。俺がよく知ってる人。
馬鹿で、目が離せないって言ってた。
そんなの、よく考えても。
誰も、いない気がするんだけど…。
近所に女の子の幼馴染って居たっけ?
いなかったよな?ましてや翼だぞ?
この顔だから好きになる女の子は多かったけど。
この顔にしてこの性格だからなぁ。
冷たくて嫌になったとか、相手にされないとか。
酷い時は話してもらえないなんて言ってる子もいた。
のに、女の子の幼馴染が、いる?俺が知らないだけ?
ふわぁっと、柔らかい風が吹いた。
含まれる湿気の量が多くて、肌が少しベタつく。
少し目を伏せたまま感覚だけで俺の方を向く翼の髪が、
その風でふわふわと揺らされてまるでアニメみたいだ。
はっきりした目鼻立ちも相まって、幻想的だった。
翼は、しばらく何も言わなくなってしまった。
ただ黙って手に持ったコップの中のソーダを退屈そうに
ボーッと見つめて、時折それを口の中に運ぶだけだ。
何かまずいことを言ってしまったような空気だった。
だから俺も何も言えなかった。ただ同じように黙って
デタラメに空なんか見上げたりして、星に意識を注ぐ。
コトンと、翼がコップを置いた。
そのコップに入っていたソーダは、
もうすっかり全て飲み干されていた。
翼は、真っ直ぐ俺の顔を見つめて。
ゆっくりゆっくり、言葉を紡いでいく。
あ、この子今すごく緊張してる。
そう伝わってきてしまうくらい。
ザザザッ
頭に、ノイズがかかる。
奥の方がグッと痛くなってきて。
寒くもないのに、鳥肌がたち始める。
頭が、痛い。割れそう。
翼の話、普通なら信じないだろう話。
でも、その光景が容易に頭に浮かぶ。
まるで、俺もその場いたかのように。
……………なんか………知ってる。
子供部屋みたいなところだ。
本棚が扉になってた。小さい窓しか無かった。
……………………覚えてる。
結局来てくれる前に自分で出たから、
あんまりその約束、意味なかったんだけど。
…………そうだ、そうだった。
あの日だよね。俺が抜け出した日。
走って家に行ったら、何故かいたんだ。
……うん、逃げたね。
全部置き去りにして、2人であの家に。
傷だらけの君の手を、しっかり握って。
…した。その子の家の治療箱で。
綺麗な顔だから、跡が残らないといいねって話して。
あの人変だよねって話しながら…誰だったっけ。
……………。
月が、ゆらゆらと揺れる。
丁度、今日のこの綺麗な月みたいな日だった。
隣の、弟が涙を流していた。
その顔はあの頃と何にも変わらない。
可愛くて、愛おしくて、大切なまま。
あぁ、俺はまた、一人にしてしまっていた。
こんなに愛おしくて、仕方がない人を。
この世界に、置き去りにしてしまっていた。
愛おしい人は、声を殺して泣いていた。
弱りきったみたいに、小さく縮こまって。
あの頃と何も変わらない、耐えてきた泣き方だ。
でももう、大丈夫だ。
俺はまた、君に出会うことが出来た。
神様はきっといる。
前世では仲良く出来なかったけど。
今世では、全部を思い出して一番に。
この子に会わせてくれる程度には。
まだ、マシになってると思う。















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!