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第1話

おくのおく
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2026/02/15 05:35 更新
 ドクドクと脈打つ心臓の音で、俺が目が覚めた。ふ、ふ、と浅い呼吸を繰り返し、ベッドから降りる。ふらふらとおぼつかない足取りで便所へと向かい、トイレの前でへたり込んだ。尿意があったために来ただけなのに、しかし胃袋からせりあがるそれについにトイレに向かって顔を突き出し思い切り吐き出した。口の中が酸性のそれで満たされる。喉が溶けるようなそれに、また吐き気を催した。何度も何度も吐き出して、ようやく収まったと感じた時、下半身がぐっしょりと濡れていることに気が付いた。

「……あ…」

 大学生になって、初めてであった。自分が、漏らしてしまうなど。恥ずかしくてたまらないため、慌ててパジャマを脱いで、洗濯機に放り込む。パンツも同様に放り込んで、慌てて新しいものに履き替えた。それだけで息を切らしてしまい、変に汗が流れる。ドキドキと心臓は強く脈打ち、視界がぐにゃぐにゃと歪む。昨日はこんなことがなかっただけに、余計に背中が冷えるような心地になった。

 今は朝食を摂る気にもなれず、スポーツ飲料を自販機で購入することにしてから家を出る。すでに一日が終わったのかと思うほど疲れ切っており、歩幅も、心なしかちまちまとしている気がした。

 大学にたどり着くと、そこには何人もの生徒が友人と楽し気に会話をしている様子が目につく。自分は朝からこんなにも大変な目に遭っていると言うのに、それを知らずに生きている人々を見て、胸に何かが詰まるような気分になった。また、胃袋からせりあがる感覚がして、慌ててスポーツ飲料を飲む。一口飲んだだけで、俺は満たされた気分になった。

 今は大人しく講義を受ける気にもなれず、また、ちまちまとした足取りで部室へと向かう。そこにたどり着くまでに、俺はかなり遠回りをした気分に陥った。ここまでで疲れることなど何もないはずなのだ。ずっと歩いているのだから。なのにもかかわらずこうして息が切れてしまっている。は、は、と浅い呼吸を、朝のように繰り返し、落ち着いてからドアを開けた。そこには、またサボっているらしいキリンさんがいて、いつものようにアダルトビデオを見ていた。

 ぐ、と喉が詰まり、膝が震える。視界がチカチカとして、どうしても落ち着く暇を与えてはくれない。ゲホ、グフ、と呼吸も許されぬような咳をした時、キリンさんが萎えたように呆れかえったような表情をして振り返った。…途端、ひゅ、と俺の息が詰まる。目を合わせただけなのだ。それだけで、息が詰まり、呼吸が難しくなるのは、変ではないか。そうは思うのに、体は言うことを聞かず、ひゅ、ひゅ、と呼吸にもならぬ呼吸を繰り返している。体内に酸素が行き渡っていないのだろう。まともに呼吸ができていないのだから当たり前だ。膝が力を失い、体を支えられずに俺は倒れた。意識があり、頭から思い切り地面に向かって倒れたのにもかかわらず、痛いとは感じなかった。ただ、心臓が、体を守るために大切な臓器が、ドクドクと大きく脈打ち、俺を虐め続けていた。

 キリンさんだろうか、誰かが俺の事を起こしてくれる。恐る恐る前を見れば、慌てたように目を見開き、焦っている表情をしたキリンさんがいた。

「キリ…ンさ………」

「どっ、どうした? なんかあったか? 救急車、呼ぶか?」

 そう言いながら、キリンさんは俺の事を抱き上げて、柔らかい、ふかふかとしたソファのある部屋まで連れて行ってくれた。そこに横にされて、顔も付近でしゃがみこまれる。目と目が合い、また、息が詰まった時、キリンさんはそっと立ち上がって、俺の頭を優しく撫でた。

「目合わせたら変な呼吸の仕方になっちまうな。とりあえず、博士に見てもらおうぜ。なんか、わかるだろうから」

 と言われて、キリンさんは俺が横になっているソファにもたれかかって、スマホを弄り、メールをしていた。誰に送っているのかを聞こうと思ったのだが、顔を動かせば吐いてしまう気がして、モヤモヤとしたまま時間を過ごした。時計の、カチカチという秒針の音が響く。やけに大きく反響しているので、段々と気味が悪くなって、はふ、はふと呼吸が浅くなった時、ちょうどドアが大きく開かれる音がした。バンッ!! を扉の音が突然鳴り、肩が揺れる。掛けられていた毛布を手繰り寄せて、頭までかぶり、はー、はー、と呼吸は酷く荒れた。

 その後のことは、正直そこまで覚えてはいない。キリンさんにおぶられ、いつの間にか来ていたタブーさんに頭を撫でられ、そして博士に様々な質問をされた。そこだけだ。断片的でしかない記憶が、俺の冷えた背筋をさらに冷やして、カタカタと震えさせた。

「ハックくんは、……だ~よ………・・・・・・・・・」

 ひどく耳鳴りがして、耳をふさぎたい気持ちに駆られて、下を向く。今は落ち着きを取り戻したらしい心臓が、柔らかくトクトクと動いていた時、ポトン、と一粒、水が零れた。水漏れ、最初はそう思ったのだが、どうやら違うらしく、俺の目の周りが熱いと感じた時にようやく悟った。

「なん・・・・なんで」

 呟いてから、キリンさんとタブーさんが心配そうにこちらを覗いているのがわかる。その瞳をこちらに向けられていると言うだけでどうしてだか酷く切なくなり、俺からあふれていたらしい涙が、尚更ひどく零れ続けた。

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