___ 桃 side
いつもみたいに外に出されて、
いつもみたいに裸足で座って、
いつもみたいに辺りは暗くて、
…そのまま、いつもみたいに朝になるはずだった。
いつもみたいにうずくまって、
ただ寒さに耐えていたのに。
急に、目の前にコーヒーの缶。
その缶に添えられた指先を辿って、上を見た。
人がいた。
男の人。
若かった。
如何していいのかわからなくて、
結局恐る恐る受け取った。
渡されたそれはじんわり温かくて、
悴んだ手を解してくれた。
見上げて伺ったその人の表情は、
笑ってもいなくて、
悲しそうでもなくて、
苦しそうでもなくて、
ただただ、真顔だった。
でも、軽く撫でられた頭から伝わる。
その手の体温が、
その心の優しさが、
俺には、紅く見えた。
遠のいていく背中を眺める。
段々小さくなっていって、
曲がり角で見えなくなった。
また、俺の世界は静寂に戻る。
いつも通りの暗闇が、
俺の手元にあるコーヒー缶を灯に、
色づいたような気がした。
受け取った缶を、
両手で握りしめる。
吐いた白い息は、
闇に溶けて、消える。
数年前、俺がまだ小学校低学年だった時。
さっきの人みたいに、
通りすがりに声をかける大人が沢山いた。
大体は、そんな内容だった。
でも、さっきのお兄さんは違った。
何も言わずに、頭を撫でてくれた。
” 俺 ” のことを考えてくれた。
俺は、嬉しかったのかもしれない。
変にくどくない、
あの人なりの、優しさが。
あの人なりの、距離感が。
別に、いつものことなのに。
外で夜を明かすのも、
寒い中裸足なのも、
暗闇の中一人きりなのも、
全部全部、
いつものことなのに。
ぬるくなっていくコーヒー缶を握りしめながら、
俺は泣いた。
次の日も、お兄さんはやって来た。
また、ホットコーヒーの缶をくれた。
昨日と同じ、黒いパッケージ。
無糖を表すそのデザインは、
俺にはまだ早かった。
それでも、
渡されるその温もりが、
俺は何より嬉しかった。
2回だけ撫でられる。
その感触も昨日と同じで。
また、お兄さんを見送る。
段々小さくなっていって、
曲がり角で見えなくなった。
次の日も、その次の日も。
お兄さんはやって来た。
手には必ずコーヒーの缶。
毎日飽きずに、同じ種類の同じ味。
毎日同じ温度で渡されるコーヒーが、
俺の心を支えていた。
次第に、お兄さんがコーヒーをくれる時、
軽い雑談ぐらいはするようになった。
お兄さんのこともだいぶ知った。
名前は凪紬で、24歳。
俺の一回り上。
普段は家で仕事をしてるらしい。
夜のこの時間にここを通るのは、
コンビニに行くからだとかなんとか。
お兄さんは、俺の頭をよく撫でる。
最初は2回、軽く触れるだけだったけど、
今ではわしゃわしゃと髪をかき乱すように撫でるから、
少し擽ったい。
お兄さんは、毎晩日付が変わるギリギリに来て、
日付が変わって30分くらいしたら帰る。
その30分で、俺の心は満たされる。
お兄さんの顔は相変わらず無表情だけど、
俺は、お兄さんの雰囲気が好きだった。
お兄さんがいない頃、どうやって夜を過ごしてたか、
思い出せなくなっていた。
次の日、お兄さんは来なかった。
次の日も、
その次の日も。
別に、約束したわけじゃない。
約束したわけじゃないけど、
来てくれないことが、
どうしようもなく悲しくて、寂しくて、
今までくれたコーヒーの缶を寄せ集めて眠った。
全部、夜明けまで握りしめているせいで未開封だ。
開けたところで飲めもしない。
起きると、ごつごつしたものが身体に当たっていて痛かった。
それでも良かった。
お母さんに見つからないうちに、缶を隠した。
アルミ缶の縁で指を切って、痛かった。
それでも良かった。
お兄さんに、会いたかった。
お兄さんが来なくなって1週間。
段々元の俺に戻り始めていた頃、
お兄さんはやってきた。
いつも通りの無表情で、
いつも通りの雰囲気で、
いつも通りのコーヒー缶。
俺のいつも通りは、
暖かい思い出へと変わっていたことを、
改めて思い知る。
お兄さんが捲ったトレーナーの下には、
痛々しい痣の数々。
俺が焦っていると、
突然、お兄さんが笑った。
自然に零れた、そんな笑みだった。
お兄さんが笑ってるのを初めてみた。
笑ってる顔も好きだなって思った。
寂しさも、
悲しみも、
お兄さんがいなかったことで
感じていた喪失感も。
すべて忘れて、
お兄さんと笑い合っていた。
夜の12時過ぎ、
コンクリートで出来た駐車場の隅で、
白い息を吐きながら漆黒の空の元、
どうでもいい話をする。
急に、お兄さんが声のトーンを落とした。
横を向くと、空を見上げているお兄さんの横顔が目に入る。
瞬間、どくんと心臓が跳ねた。
顔色一つ変えずに言うお兄さんに、
この人は分かってるんだ、と気づく。
まぁ、それもそうかもしれない。
こんな夜中まで、
しかも裸足で、
子供一人で駐車場に蹲っていれば、
辿り着く答えは、一つしかない。
お兄さんの言葉を、なぞるように反芻す
笑いかけたお兄さんの顔は、
どこか切なくて、
儚くて、
初めて、” 感情 ” を感じさせた。
綺麗だった。
お兄さんの、綺麗な紅い目を見る。
その目は、他の誰でもない、
俺を捉えていた。
その言葉は何処までも軽くて、
否、
何処までも軽く見えて。
月明りに照らされたお兄さんの睫毛が、
キラキラと輝いて見えた。
差し出されたお兄さんの手を取り、
横に並んで歩き出す。
お兄さんは、何もしゃべらない。
前を向いたまま、俺の手を握って歩く。
その誘いが、どういうものか。
ただ単に、家に遊びに来いというのではないことは、
子供ながらにはっきりと理解していた。
お兄さんに、着いて行きたいと思った。
お兄さんなら、
この人なら、
着いて行ってもいいと思った。
俺の夜を、
変えてくれたから。













編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。