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第1話

1話
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2026/01/13 17:15 更新
『ソウタ、大好きだよ』

そう言いながら恋人のジュノンが微笑む
両手を広げ、ソウタが来るのを待っている

『ジュノン!!』

勢いのまま抱きつこうとした
しかし、抱きつこうとしたがその腕は空を切る

『えっ...』

足がもつれ、ソウタはつんのめる
何が起こったのか分からず辺りを見渡すと、胸の奥が冷たく沈んだように感じた

そこにいたジュノンの姿が見当たらない

慌てて辺りを見渡す
けれど視界に広がるのは、光のない、底の見えない闇だけだった

『ジュノン!どこ?!』

叫んでも、叫んでも、返ってくるのは自分の声の残響だけ
その音さえ、闇に吸い込まれて消えていく

先の見えない闇に向かってソウタは走り出した
嫌な予感が、なんとも言えない不安が背骨を伝って這い上がる

もう二度とジュノンに会えないような気がしたから

『ジュノン!待って!行かないでくれ!!ジュn』


ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ

「ッハ!」
跳ね起きると同時に、けたたましい目覚ましの音で強制的に夢から現実へと引き戻される
目覚ましの音がソウタの鼓膜を叩く

目の前にはいつもと変わらない天井
見慣れたはずの天井がいつもよりも遠く感じた

外には鳥が数羽止まって、こっちを見下ろしているかのように鳴いている
今日も世界は何事も無かったかのように、平然とと朝を迎える

「ハァ…ハァ…ッ…」

胸が上下する
荒む息遣いを整えようと、ソウタは布団の中へ潜りこんだ

カーテンの隙間から覗き込む朝日が痛いほど眩しい
今日は太陽がうるさいほどの快晴だ

気持ちを落ち着かせようと、目を瞑る
しかし暗い場所では夢の内容を思い出してしまう

脳裏に焼き付くあの光景
夢の中でまるで太陽のように微笑むジュノン
もう抱きしめることの出来ない伸ばした腕
もう届かない声
掴むことの出来ない温もり

耐えきれなくなり布団から出る
朝日に照らされた金髪がサラサラと光り輝く

「ジュノン...」

小さく呟いてから、ふと何かを思い出す

『そういえば今日って...』

ベッドから落ちたスマホを拾い、日付を確認する

『8月8日』

胸の奥がざわつく
心の奥にしまったはずのものが溢れ出してきそうだ

下にLINEが来てたことに気づく
レオからだ

『今日いつもの所に11時に集合で。ソウタは来れたらで大丈夫』

しばらく画面を見つめたまま、指が動かなかった
やがて、考えるのをやめてOKスタンプを送信する

「フー...とりあえずシャワー浴びるか...」

重い体を引きずるようにして、ベッドから下りる
足に力が入らない

気持ち悪い

全身が冷や汗でびしょびしょで不快だ
フラフラした足取りで脱衣所に向かう
家具で所々体をぶつかってしまった
痛みは感じるがどこか他人事のような気分だった

キュッ、ザーーーーーーーーーー

シャワーを捻る
暖かい温度に設定してるのになかなかお湯が出てこない
昨日給湯器オフにしたことを思い出す

『昨日の俺何してんだよ...』

しかし今は動くことさえ億劫だ

「もういいや」

冷たい水が、容赦なく頭から降り注ぐ
思わず息を呑むが、不思議と嫌ではない

むしろ、冷水の方が頭がはっきりしていく気がした

このままでいい
今は、この冷たさが心地いい

肌を打つ水音の中で、夢の輪郭が少しずつ薄れていく

気づいたらかれこれ5分以上頭から水を被っていた
冷たさに慣れてしまった頃、ようやくシャワーを止める

風呂場から出て機械的に服を着る
ドライヤーの温風が髪を乾かす音だけが、やけに大きく響いた

ふと、鏡にうつった自分と目が合う

「ひっでぇ顔」

思わず声が漏れた

目の下には前よりも濃くなった隈、パサついた金髪が色を失っている
鏡越しに見える身体はひと回り小さくなってるように思えた

「情けねぇな。あいつ絶対笑ってるわ」

慣れない手つきでコンシーラーで隈を隠し、髪の毛をセットする

普段とは違い、今日はきちんとしたスーツに袖を通す
昔からスーツは嫌いだった
決められた型に嵌められる、自分が自分で無くなるような感覚がどうも性にあわない
ネクタイを締め、再び洗面所へ向かう

ニッ

鏡の前で口角を上げる

笑顔の練習だ
笑顔がぎこちなくなっている
表情が固く、どこか不自然さを感じる

「笑顔の方があいつ喜ぶだろ。久々に会うんだ。あいつを悲しませたくない」

独り言のように呟く
当然、返事をしてくれる相手はいない

ピロン

タクシーがマンションの下に到着したようだ
リビングに行き忘れ物が無いか目線を送る

そして、最後に棚の上

そこに置かれた一枚の写真の前で、足を止める

「...いってきます」

自然とそう口にしていた

声をかけた先には恋人

ジュノンの遺影

2年前の8月8日

ジュノンは居眠り運転のトラックに撥ねられ帰らぬ人となった

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