最初に小さい人間は、紙に自分の名前を書いた。
『田中 藍』
カクカクしていて読めなかったのを今でも覚えている。
「僕のことは藍って呼んでね」
そう、ランは言った。
「君の呼び方も決めないと」
「青鬼」って嫌だから、と零すラン。
おれはまた分からなかった。
「じゃあ、“らだ”って呼ぼうかな」
なんか似合う気がする、そう言った。
こうしてなまえの名前は「らだ」になった。
ランはずっと館にはいなかった。
「がっこう」というものがあるため、それが終わって「ゆうごはん」が始まる前までしか、いられないらしい。
おれはそれでも良かった。
なぜなら「ともだち」は初めてだったから、そういうものだと思っていた。
ランは館に来ると、おれにたくさん「おはなし」をした。
おれはずっと聞いていた。
なんだか穴の奥がシュワシュワするような気分になるから。
でも意味が分からなかった。
それに気づいていたのだろうか。
ある日ランは言った。
「らだって、僕のおはなし分かる?」
少し長い沈黙が流れる。
ランは小さく呟いた。
「…明日からお勉強だね」
次に来た時、ランは両手に大きいバッグを二つ抱えて来た。
まずは、「ひらがな」のお勉強。
ランが使っていたらしい紙を使って、練習した。
ひらがなを、書くようになるのはすごく難しかった。
けど鉛筆を持ったり、ひらがなを読めるようになる方が難しかった気がする。
でもランといっしょなのはシュワシュワするから、たくさんやった。
ランの服の腕の部分が長くなる時には、ひらがなで書いたり読んだり、簡単な会話は出来るようになった。
鉛筆はまだ苦手だった。
そこからカタカナのお勉強に移った。
カタカナの方がひらがなより簡単だった。
カクカクしてるから書きやすい。
ひらがなを覚えるより、はやく覚えた。
そして次は「漢字」の練習。
この時から、お勉強の場所が変わった。
「館の外の人間にバレたら、大変なことになるから」
ランはそう言っていた。
「たいへんなことって?」
「大変なことは…大変なことだよ」
「…へんなの」
でもおれはランといっしょに、お勉強出来ればそれで良かった。
だから場所が薄暗い地下室の牢屋でも、文句は言わなかった。
でも漢字が難しいから、文句は言った。
「おかしいって、なんでこんなにむずかしいの?」
「たくさん書いたら分かるよ」
「ランはわかるの?」
「分かるよ?だって小学生だもん」
「しょうがくせい?」
「…日本語の勉強も漢字が終わったらやろうね」
気合いでどうにか漢字も覚えた。
鉛筆の使い方もその時にやっと覚えたんだっけ。
ひらがな、カタカナ、漢字をマスターしたのは良かったが、その後は日本語の勉強が待っていた。
たくさんの紙が集まった本を四冊持ってきたランを見たと時、俺は逃げたくなった。
でもランの話を聞きながら勉強出来るから、思った以上に楽しかったはず。
何より、自分が分からなかったことが分かるのが嬉しかった。
「らだ、そろそろ一緒に勉強して一年が経つね」
ランが持ってきた教科書の最後のページが終わったとき、ランは俺にそう言った。
「え?もうそんなに経った?」
館の外では「時間」というものが流れているのだと知っていたけど、そんなに流れていたとは
呆然とする俺を置いて、ランは背負っていたランドセルから何かを取り出した。そして俺に手渡す。
それは赤色のマフラーだった。市松模様の。
「らだへのプレゼント、あげる」
ランはそう言った。
「プレゼント?俺に?」
俺はランの言葉の意味が分からなかった。プレゼントってそれってさ、
「俺、人間じゃない、バ、化け物だし…」
俺は咄嗟に手に持っていたマフラーを、ランの手元に押し付けた。
俺はそんな物を身に着けられるような存在じゃない
そういうことを言いたかったのに、何故か口がつっかえて上手く言えない。
ランはそんな俺を無表情ながらに見て、すぐ口を開いた。
「らだは僕の友達だよ?」
「っえ?」
「僕にとって大切な存在だから、マフラーをあげたいんだ」
そんな風にすらすらと答えた後、ランは俺の首元に慣れた手つきでマフラーを巻いてくれた。
そして手鏡を俺に渡す。
手鏡の中には、赤色のマフラーが首元に巻き付いてある青色の化け物がいた。
ランは俺の姿を見て、軽く頷く。
「似合うね、やっぱりらだの青色にこの赤色は合う」
「…そう?」
「うん」
間髪入れずにランは返答した。俺はもう一回手鏡の中を見た。
似合うのだろうか、こんな俺にこんな素敵な赤色のマフラーが。
でも、
ランが似合うって言ってくれるのならば、そうなんだろうな。
「…ありがと、ラン」
手鏡を手から下ろして、俺はランへ呟いた。するとランはいつもの無表情の顔を一瞬崩して、目を大きく開く。
「ん?どうした?」
「…こちらこそ、僕と友達になってくれてありがとう」
いつもの顔より、ちょっと違うランの顔がその時見れた気がした。
「また場所変えんの?」
ランからプレゼントを貰っていくつか経った。
俺達は今まで地下室の薄暗い牢屋で遊んだり、勉強したりしていたが、ランが場所を変えると言いだした。
「うん、流石にここ暗いから」
「やっと気づいたのかよ…」
俺がはぁ、とため息をつく。ランは申し訳無さそうに肩をすくませた。
「ねえらだ、最近僕以外に人間が来ることはある?」
少し考えたような顔をしてランは言った・
「ないけど、どうした?」
「…なんでもないよ」
「ホントに?」
俺はずいっと顔を近づけて、ランの目を見つめる。
「ホント」
最近表情が柔らかくなってきたランは、一つも表情筋を変えない。
これ以上やってもいたちごっこなので、俺はそれ以上問い詰めるのを止めた。
場所を最上階の牢屋のところに変えて、またいくつか経った頃。
その頃になると、俺はもうすっかり大体の知識を身に着けていた。
ランとの会話も、噛み合わないこともない。
俺は嬉しかった。とっても。
これが友達なんだって。
だから、
近くにランがいない日が多くなってきたことが辛かった。
ある日突然というわけではない、元々こういうことはあった。
でも3日、4日と、来ない日がポツポツと増えていく。
悲しい。
ランが友達になってくれて、今まで心の穴が埋まってきていたからこそ、この状況が俺にとって苦しい。
そしてそんなに来ない日があっても、ランの振る舞いは変わらなかった。
いや、変わっていないように振る舞っているような感じがした。
「らだ、最近なんか暗い顔してるけどどうした?」
ランが持ってきたボードゲームをしている時だった。
「え?」
「僕と話す時とかこうやって遊んでる時とか、ずっと浮かない顔をしてるよ」
「そ、そう?」
「うん、なんかあったの?」
ランは何食わぬ顔で問いかけてきていた。
「なんにもない、もっとランと遊びたいなってぐらい」
俺は咄嗟に嘘をついた。
でも嘘じゃない、ホントのことも言ってる。
「…そっか、ごめんねもっと頑張るよ」
その時のランの顔は、俺の知能じゃ言い表せられない顔だった。
頭の中の悶々が大きくなってきている。
あれからまた幾らか経った。
ランが来ない日はあの日から少なくなって、よく遊んでくれるようになった。
本当ならばそれで悶々は消えるはず。
はずなのに。
ランの様子はあの日からおかしくなった。
身体の色は青くなっていくし、ガーゼや絆創膏が皮膚に増えていくし…。
日記に鉛筆を走らせながら、俺は密かに悩んだ。
でもホントはやるべきことは分かってるんだ
ちゃんと向き合って話さなきゃいけないってことは。
ランの足音が遠のいた後、俺は一人暗がりの部屋で佇んでいた。
初めてあんな顔のランを見た。
今までのランは人形のように澄んだ目をしていたのに、あの時の顔はまるで違った。
まるで奥に押し込められていた導火線を、灯油に浸してマッチで火をつけてしまったようで。
「ねえ、なんでそんなランはボロボロなの?」
さり気なく聞いたつもりだった。
ちょっと気にかけてるというふうにして、それで、
それで…
「ああ…ちょっと最近よく転んでて」
「だったらそんなに血は出ないだろ?」
「…うっかり屋さんなんだよ僕」
「だとしてもそんなに体調悪そうなんだよ?」
「それは…」
その顔がとても心をギュッと締め付けて、堪らなくて。
「もう嘘つくのやめろよ」
「そんなに俺のことが信用できない?」
「急に館に来なくなるし、かと思ったら勝手におかしくなってるし…」
「…ここで俺はずっと待ってるのにさ?」
「ああほんっと、友達やってることが馬鹿らしいわ…!!」
口が止まってくれなかった。
ずっと頭の中で抑え込んでいたものがグラッとなだれ込む。
そして俺は必死に下を向く。
もうランの顔が見れないと思ったからだ。
見たくない。見たくない。
「…じゃあちゃんと言ったところで僕の気持ちは分かるの?」
耳に強く暗い声が通って来る。
「外の世界について何にも知らない君が?」
「君は人間じゃない、僕と一緒じゃない」
「話が通じ合わない生物に言えるわけない、せいぜい一緒にゲームするぐらいしか出来ない」
「僕は…君と違ってずっとあそこで苦労してんだよ…!!」
何故か咄嗟に顔を見上げていた。
目の前には、目の中に激しい炎が静かに巡っている顔のラン。
何も言えない。ランも何も言わない。
走り去ったランの顔は、何だったっけ。
ランは来なくなった。
明日も。
明後日も。
明々後日も。
外がガンガンうるさい日。
俺の腕の中には、
痣や切り傷で震えているランがこっちを見ている。
ランの体の震えが俺の腕を伝って、俺の全身を震わす。
「なにこれ…なにこれ…」
「なんでこんな震えてるんだよ…」
「なにがあったんだよラン…ねえラン…」
俺が必死にそう言っても、ランは震えた息を出すだけ。
頭が回ろうとしない。
体の震えが止まらない。
外がうるさい。
「震えてるってことは寒いってこと?」
俺は一生懸命ランを抱きしめる。
こうすれば人間は暖かくなるんでしょ?
ねえそう言ってたよね?
でも震えは止まってくれない。
止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ
「…く…しい…ら…だ…」
不意にランの声が聞こえて、俺は力を緩めてランの顔を伺った。
ランはボーっとした目をして、ハアハア息を震わせている。
「らだ…ごめん…ね」
「ぼくが……よわい…せいで…」
「めいわく……ばっ…か」
切れ切れの声が俺の耳の鼓膜を優しく揺らし、
そして切れた。
体の震えも止まった。
震えた息も止まった。
止まった……?
ランの顔を見つめる。
ランの顔はどんどん青白くなってきていて、
澄んだ目はもうどこも見ていなかった。
「…死んだ……?」
ランが死んだ
ランが死んだ
ランが死んだ
ランが死んだ
死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ
外がうるさい
外から人間の声が聞こえてくる。
うるさい足音が来ている。
近づいてくる
うるさい生き物が近づいてくる
ああああああああああああああああああああああああああああ
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい
まわりがまっかだ
うるさいやつらでまっかっか
まっぷたつになったり
ふくすうにちぎれたり
つぶしたり
やっとしずかになってくれた
もうだれのいきのおともきこえないや
だきしめてもあったかくない
もういきてない
もうしゃべってくれない
もうあそべない
もうきれいなめをみれない
もう
ごめんもいえない
おれがあのときもっとちゃんとしてれば
ちゃんとしてれば
おれがもっとちゃんとむきあえていたら
ランはしなずにすんだかもしれない
ああそっか













編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。