第6話

6.夕暮れの事情聴取
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2026/04/24 08:09 更新
あなた
(あ、あかん。完全に目をつけられた……! 北さんにあんな幼児退行の奇行をさせてしまったなんて、重罪や……!)
 私のポンコツ能力が引き起こした、前代未聞の大惨事。
 5分間、あの完璧な主将をアホの子にしてしまったのだ。今頃、北さんは怒り狂っているに違いない。いや、怒るというよりは、淡々と「なぜあのような行動をとったのか、論理的に説明しなさい」と詰め寄られるのだろうか。それもそれで恐ろしい
北信介
……あなたの苗字さん
 背後から突然かけられた、低くて落ち着いた声。
 私が漫画のように飛び上がって振り返ると、そこには部活のジャージを着た北さんが立っていた。
 まだ練習中のはずなのに。
 オレンジ色の夕日が、北さんの白髪交じりの綺麗な髪をキラキラと照らしている。その三白眼は、いつも通り感情の起伏を感じさせない、凪いだ湖のようだった。
あなた
ご、ごめんなさい!!
 私は考えるよりも先に、直角に頭を下げていた。
あなた
北さんにあんな恥ずかしい思いをさせて! 私、決して悪気があったわけじゃなくて、その、落とし物を届けようとして緊張してしまって……!
北信介
……頭を上げて。別に怒っとるわけやないよ
 北さんの穏やかな声が降ってきた。
 恐る恐る顔を上げると、北さんは少しだけ困ったように眉を下げていた。その耳の先端が、夕日の赤さに紛れるように、ほんのりと赤くなっている。
北信介
怒っとるわけやない。ただ……確認したいことがあってな
 北さんは一つ、深く息を吐いた。
北信介
俺は、さっきの5分間の記憶が、完璧に残っとる。自分が『おにぎりモグモグ』だの『よしよし』だの言うて、監督や部員たちに絡み散らかしたことも、全部や
あなた
ううっ、本当にすみません……!
私は再び頭を下げそうになったが、北さんの「待って」という制止に阻まれた。
北信介
あなたの苗字さん。俺は、自分がそんな無意味な言葉を羅列する人間やないと思っとった。言葉っちゅーのは、相手に正しく意思を伝えるために、整理して使うもんやからな
 北さんの言葉は、いつもの「正論」だった。一分の狂いもない、理路整然とした彼の哲学。
北信介
せやけど……さっきの俺は、明らかに普通やなかった。脳の引き出しが全部ひっくり返ったみたいに、語彙力が崩壊しとった
 北さんは一歩、私に近づいた。
 その距離に、私の心拍数が再び跳ね上がる。ドクン、ドクンと、耳の奥で警報が鳴り響く。
北信介
あなたの苗字さんが俺の指に触れた、まさにその瞬間にや
 北さんの視線が、私の指先へと落とされる。
北信介
偶然やない、と思う。……あなたの苗字さん、君、何か特殊な体質か、あるいは妙な技術を持っとるんとちゃうか?
 ついに、核心を突かれた。
 さすがは観察眼の鋭い北さんだ。ごまかせるはずがなかった。
あなた
……はい
 私は小さく頷き、観念して自分の秘密を打ち明けた。
あなた
私……極度に緊張して人に触れると、相手の語彙力を5分間だけ幼児退行させてしまうんです。誰の得にもならない、ポンコツな体質なんです……
 俯く私を、北さんはじっと見つめていた。
 きっと呆れられただろう。そんな不気味な体質で、自分をバグらせた女なんて、警戒されて当然だ。
 しかし、北さんの口から出たのは、意外な言葉だった。
北信介
……なるほどな。体質、か。納得がいったわ
 北さんはふっと、柔らかく息を漏らした。
北信介
それなら、白石さんが悪いわけやないな。緊張をコントロールするのは難しいし、体質は自分じゃどうしようもないもんや。君が自分を責める必要はないよ
あなた
え……?
 予想外の優しい言葉に、私は思わず顔を上げた。
北信介
ただ
 北さんは真面目な顔に戻り、私の目をまっすぐに見つめた。
北信介
一つだけ、気になっとることがある
あなた
は、はい、何でしょうか……?
北信介
あの時……俺は語彙力がログアウトしとったけど、意識ははっきりしとった。だからこそ、自分の口から出た言葉の『理由』も、なんとなく理解しとる
 北さんは一歩、さらに私に歩み寄る。
 夕暮れの渡り廊下で、二人の影が一つに重なる。
北信介
俺は、君の袖を掴んで『ここ、おる』と言った。あれは……語彙力がなくなった俺が、脳みその一番奥底にある本音を、そのまま単語にして口に出してしもたんやないかって、思うてな
 え……? 本音、って。
 北さんは、耳を真っ赤にしながら、しかしその瞳でしっかりと私を捕らえて、こう言った。
北信介
あなたの苗字さん。俺は、君に触れられて……嫌じゃなかった。むしろ——
 その時。
 バタン! と渡り廊下の扉が乱暴に開いた。
宮侑
北さーーーん!! 監督が、さっきの『よしよし』の件でガチの説教モードに入って手ぐすね引いて待ってますよーーー!!
 空気の読めない侑の絶叫が、ロマンチックな空気を一瞬で粉砕したのだった。



(第6話 完)

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